共鳴 | ナノ

共鳴


 戦場で見かけた身軽な女は、花などという可愛らしいものではなく、返り血を浴びてなお敵を討つ姿はまさに一人の兵でしかなかった。
 ――非効率なのによくやる。
 そんなことをふっと考えた折。おかっぱ頭の女はこちらを見てにこりと笑い、短い刀を両手に握り締めたままで手を振った。
 あの細い腕で、身体で、いったい何人の命を奪ってきたのか。見た目は若いが、立ち回りは若者のそれではない。自分のように幼少から鍛えていたものかもしれないが、とにかく釣り合わない。
 後にその女が歴戦の勇者と呼ばれる猛者であることを知る。

 懐かしいことを思い出していた。
 そんな自分の隣から身軽にぴょいんと跳ねて、「勇者」は岩の上に飛び乗った。かと思えば、座り心地のよさそうなところを見つけて腰を落ち着ける。
「あー、疲れた」
 自ら肩を揉む姿は年寄りのように見えて仕方がない。
 そう思っていると勇者はこちらを見つめて眉を顰めた。
「その顔は、失礼なことを考えているな」
「いやいや、勇者殿の体力も限りがあるんだと思ってねェ」
「一応、人間だから」
 同情するならおぶってよと勇者は言う。
「嫌だよォ」
 そうはっきり断ると唇を尖らせていたが、すぐに飽きたのか岩から飛び降りてきた。隣に立つと小さく見える。身体は、一般人とさほど変わらない。
 だが、普通とは明らかに違う。
 ――一応、ねェ。
 本人が言った通り、彼女は一応人間だ。殆ど老いることがない、という点を除けば。その上本人ですら名前を知らないらしい。「勇者って呼ばれるから、それでいいよ」と暢気に言っていたのは遠い日だ。
「イサミ、とか」
 歩き出した勇者が呟く。
「私の名前さ。面倒だからあだ名をもじった奴でいいかなって」
「あだ名でもないと思うけどねェ、おじさんは。それにしても何で今更」
「いや、なんか思い出したから。結局、宗矩も勇者って呼んでるけど、そんなこと微塵も思ってないだろう?」
「ま、勇者殿がおじさんの名前呼ぶようなものかなァ」
「何それ」
 ぐい、と細い腕を空に伸ばす。この腕が獲物を操り、命を狩り獲っている。
「宗矩は、名前呼ばれたくないの」
「そういうわけではないが、呼び捨てにされることはないなァ」
「言わなきゃ年下って分からないだろうしね、その顔。私からすると子供同然なのにさ」
 皮肉めいた言い方だったが、事実ではある。
「ってことは、おじさんからすると勇者殿はおばあちゃんってことになるねェ」
「あながち間違ってもないなァ。っと……」
 勇者はすぐさま口を片手で覆い、渋い顔を作った。
「危ない危ない。その口調、すぐうつりそうになるんだよ」
 道が開けてきた。どうやら何らかの集落が近いようだ。山道を二人きりでひたすら歩くのにも疲れてきた頃だ。
 変わらない風景にも、くだらない会話にも、何色でもない関係にも。もう飽いた。
「……歴戦の勇者殿なら、引く手数多だろうに」
 今の自分には定まるべき場所がない。それでもこの女は戦で出逢ったのをいいことに、それまで自分が世話になっていた軍を抜け出してわざわざ同行を申し出た。物好きにも程があると今も昔も思っていた。
「どうしておじさんなんかの相手するんだァ」
 ふっと空を見上げた。自分の口から出た息は白かった。
「んー」
 見上げたままだから、小さな勇者の姿は見えない。
「私、結構あんたのこと好きなんだよね。面白いから」
「それ、褒めてないねェ?」
「分かる? だって、滑稽なんだよ。餓鬼は餓鬼らしくしていればいいのにさ。甘えとか全部捨てて、大人であろうとする。それこそ、その辺の大人よりずっと大人だ」
 勇者はぴょんと跳ねて、まだ空を見上げていた自分の両頬を掴み、無理矢理下を向かせた。少し首が痛い。視線が交わる。
「いつか絶対自分から崩れるんだろうな、って思うと、見届けてやりたくなったんだ」
 少女の顔でにこりと微笑む。言葉には精一杯の悪意を滲ませて。
「……ああ」
 つられて、喉から笑い声が出た。勇者の腕をやんわりと振り払い、自分の額に手をあてる。
「不味いねェ。お主、本当におじさんに似てきちゃってるよォ」
「性格の悪さが?」
 ――分かっているなら聞くな。
 そう言おうとして口を閉ざす。きっとこの返答も想定して吐いた言葉なのだろう。
「助けてはくれないんだねェ、おじさんを」
 視線を外してから目を閉じた。風が冷たい。日が落ちるまでに宿を探さなくてはいけない。
「あんたが望むのなら、助けてあげてもいいけど」
 とん、と軽く背中を叩かれた。恐らく笑っているのだろうが、今は見えない。
「無理だろうな」
「……ああ、そうだろうねェ」
 名前のない年老いた少女と、居場所のない子供のような大男。
 どちらがより滑稽かという答えは冬の寒さに預けて、共に歩んで行く。
 見えない明日へ。
 いつか堕ちていく、何処かへ。
「やっぱり名前なんてなくてもいいかな」
 白い息が澄んだ空気に消えた。
「どうせ、宗矩は誰のことも名前で呼ばないんだろうし」
「そんなことはないさァ」
「でも、私のことは呼ばないよ」
 女は少し足早になって、自分よりも前に出た。
「呼ばない」
 道の先にはぽつぽつと灯りの集まる場所が見えた。




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