空白のふたりごと | ナノ

空白のふたりごと


 どさり、何かが笠に落ちたような音と重みを感じて、柳生宗矩は足を止めた。視界の隙間から見上げると雪の積もった木が目に入る。なるほど雪が枝から落ちて当たったのかと納得しまた歩を進める。
 さく、さく。踏み進める度に新雪が固められていく。
 道には誰の姿もない。それを確認して宗矩は先を目指す。誰も居ないところへ。ただひたすらに歩く。
「寒いねェ」
 空気が白く濁っている。空は暗く澄んでいたが、宗矩がそれを見上げることはない。
 寒い、と呟いた宗矩は薄着のままで、そもそも着込む服を持っていない。それどころか一日の食事にも困る日々が続いており、剣のために鍛えた肉も少しずつ削がれてきてしまっている。
 流れる先に何があるのか、何かあるのか、今は未だ見えない。
 道のすぐ傍は低い崖だったが、境界線は雪の積もった草で白く濁されている。さらに目を凝らすと簡素な小屋が見つけられた。足跡のせいかその周囲には雪がない。どうやら誰かによって今も使われているようだ。日は既に落ちようとしている。寒さもより厳しくなるだろう。
 せめて壁だけでも借りれぬか、と意識を小屋に移したときだ。足を乗せた地面が不意に動いた。否、足が滑った。すかさず体制を整えてもう片方の足で踏ん張ろうとしたが、空腹のせいかどうも力が入らない。目の前に夜空が映った。次の瞬間には背中に衝撃が走っていた。
「くっ……」
 頭は護れたらしく、ゆっくりと起き上がろうとするが、激痛に耐えかねて再び身を沈めた。どうやら崖が低いことと、雪が緩和してくれたことでその程度の傷で済んだようだった。
「あーあ、嫌になっちゃうよォ」
 世が。自分が。
 痛みが治まったら歩くかと、周りの雪で冷たくなる中、ぼんやりと考える。それともこのまま自分まで冷えきってしまうだろうか。木々の合間から見える星空を見上げながら思う。何となく手にした笠は一部が壊れてしまっていた。
 さくさくと足音が響く。
「おや」
 人を小馬鹿にしたような声が宗矩に降りかかった。
「どこかでみたような図体が転がっているかと思えば、アンタでしたか」
 左頬に刀傷の入った男の図体もまた人よりは大きい。宗矩は口角を吊り上げた意地の悪い顔で笑った。
「こんなところに何用だァ、左近殿」
「それはこっちの台詞だ」
 笑い混じりの声が安堵を呼ぶ。左近は宗矩の腕を掴むと遠慮がちに起こし上げた。痛みのせいか宗矩が一瞬見せた苦い顔も笑い飛ばしてしまう。
「足を踏み外して落ちるなんざ、親父殿が聞いたら何て言うだろうね」
「拙者だって、万全ならこんな無様な真似はしないさ」
 ばつが悪いのか、宗矩は普段の冗談めいた喋り方をしなかった。しかし左近の肩を借りて崖下に見えていた小屋へ運ばれたときにはもう元通りの顔で、「左近殿こそ、何だってこんなところへ?」と腰を下ろしながら、というよりは下ろされながら尋ねた。
「何でって、ここは俺が今借りてる家でね」
「家ねェ」
 宗矩はぐるりと辺りを見渡す。板に囲まれた空間というだけで、家とはとても呼べない。左近は「雨風が防げれば充分でしょうよ」と笑った。
「さ、取り敢えず服を脱いでくれ」
 左近の手が宗矩の衣服にかかった。宗矩はわざとらしく目を丸める。
「そういう趣味があったとは、大和からの付き合いとはいえ知らなかったよォ」
「あったとしても今食おうとはしないよ。傷見せろって言ってるんだ」
 二人は顔を合わせて低く笑い合った。すると背中の傷に響いたのか宗矩がまた顔を歪めて蹲る。言わんこっちゃない、と左近が突然真面目な表情を作る。
 上半身だけ服を剥ぐと、細かい怪我が背中を覆っていた。
「雪があって助かったってわけか」
「こんな様が知れたら何処も召し仕えてくれないねェ……参った参った」
「ま、その点は否定できないね。かくいう俺も似たようなもんだが」
 今は互いに牢人の身であることを暗に明かし、左近は小屋に備えていた薬で簡素な処置だけを行った。その間素肌を晒していた宗矩は自分を抱えるようにして寒さを凌いでいたが、流石に耐えかねて小さくくしゃみを落とした。
「悪い悪い」
 気付いた左近がさっさと服を着せる。宗矩は恨みがましく左近を見上げた。
「頼むよォ、おじさんただえさえ寒い思いしてるんだから」
「若いくせに何言ってんですか。ま、見た目は確かにおじさんだが」
 左近が揶揄したとき、腹の虫が鳴った。どうやら互いが犯人であるようだ。そういえば飯を食べていなかった、と左近はにやりと微笑んだ。
「粗末なものでよけりゃ、食べるかい」
「ああ、粗末なものすら食ってないからねェ。ありがたい」
 戯れ言もいつしか減り、二人して雑炊のようなものを啜った。最中には昔話と時勢の話で少々盛り上がったが、これから自分がどうするかは話さなかった。
 宵闇は深くなっていた。
「さ、これ以上起きていても用はないし、そろそろ寝るとしますか」
 左近はそう言うと綿を入れて縫い合わされた着物のようなものを宗矩に放り投げた。受け取って眉を顰める。
「渡されてもねェ。左近殿はどうするんだ」
「俺はまだアンタほど苦労しちゃいないんでね。一晩くらいは耐えられるさ」
「偶然拾ったくらいでそこまで世話を焼く義理はないだろォ」
「薄情者でもないさ。ま、大人の厚意は大人しく受け取っておくもんだ」
 左近の手が宗矩の頭をわしゃわしゃと無遠慮に撫でる。身長は宗矩の方が高く、座っていてもその差は変わらないために奇妙な絵面となってしまっているのだが、何よりも宗矩はわざわざ全ての髪を後頭部で纏め上げていたのにそれが乱されたことを嫌がり、また親子のような扱いを嫌った。
「餓鬼のような扱いはやめてくれないかなァ」
「実際、餓鬼だろう? ほら、怪我人は早く寝なさい」
 元々面倒見の良い男である。そう言って宗矩に布団代わりのものを被せると、自分は壁にもたれて目を瞑ってしまった。
「全く……」
 強引だ、と思わなくもなかったが、すぐに聞こえてきた鼾を耳にするとどうでもよくなって、痛む背中を気にしながら宗矩は床に横たわった。

 小鳥の鳴き声で左近は目を覚ます。爽やかな目覚め、というわけにはいかなかった。膝が重い。その上足は痺れて痛い。
「……何してるんですかねえ」
 その原因である張本人に尋ねると、狸寝入りをばらすように宗矩は瞼を押し上げた。悪びれる様子もなく笑う。
「いや、直接横になると寝心地が悪くてねェ」
「だからって人の膝を枕にしなくてもいいだろうに。起きてるならさっさとどいてくれ」
「怪我人は寝ろと言ったろォ?」
 軽口を叩きながらも大人しく起き上がった宗矩の長い長い髪がゆっくりと揺れる。左近はそこで初めて宗矩が髪を解いていたと気付いた。鬱陶しくないのかねえと寝ぼけた頭で考える。
「借りが出来てしまったな」
 ふと、宗矩が調子を変えて零した言葉に左近は首を回しながら「返せるようになったら、酒でも飲むか」と適当に返事をした。




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