山吹色に暖かく | ナノ

山吹色に暖かく


 今も耳に残る声がある。
 物心つく前に父親を亡くした幼い主は、何かと自分を頼ってきた。左近、左近と、名前を呼んでは着物の裾を握る。不安だったのだろう。何も教えられないまま家名を負わされ、その小さな背中は押し潰されそうだったに違いない。
「左近」
 少し掠れた声が昔と似た音色で俺を呼ぶ。
「まだ眠らないのですか?」
 燭台の仄かな灯りに照らされた殿は布団の中からゆっくりと顔を上げた。瞼がもう殆ど降りていて、いかにも眠そうだ。
「起こしちまいましたか」
「いいえ……元より、寝ていませんから」
 この顔では、嘘か真か判別し辛い。
 殿は衣擦れを聞かせながらもそもそと布団から這い出て、灯りの傍で座っている俺に寄り添った。視線は手元の本にある。
「兵法を学ぶのも良いのですが……ちゃんと休養もとって下さいね」
 やはり眠いのか、喋るのが遅い。思わずくつくつと喉を鳴らして笑ってしまった。
「俺は殿よりも丈夫ですから大丈夫ですよ。それに、ちゃんと休むときには休んでます」
「本当ですか? 左近に何かあったら困ります……」
 眉を潜めて徐々に俯く殿の腰に手を回し、抱き寄せる。殿はぱっと俺の顔を見上げて驚いたように目を丸くしていたが、やがて俺の胸元に手を沿わせた。
「俺よりも自分の心配をしてくれませんかね。殿は痩せすぎです」
「ちゃんと食べてますよ」
「ええ、殆ど草ですがね……」
 精進料理を口にするのは分かるが、殿は本当に野菜、それも緑のものしか食べていない。その上小食ときている。これでは肉がつかないのも理解出来る。
 書物を畳に置き、両腕で殿を抱き締めた。簡単に収まってしまう身体が恐くもあり、また愛おしい。
「……左近は暖かいですね」
 あまりない体重を俺に預けながら、殿ははにかんで言った。普段より何処か弱々しい笑顔には疲労が見てとれる。それもそうだろう。僅かな時間横になっていたくらいで疲れがとれるはずもない。つい先ほどまで身体を重ねていたのだ、只でさえ細く体力のない殿は、一度の行為ですら一晩眠らなければ回復しない。
「殿の方こそ、もう眠られては如何です?」
 少なからず辛いはずだ。そう思って気を使ったのだが、殿は首を小さく左右に振った。
「……一緒に」
 か細い声で言う。
「寝て下さい、左近……」
 何か思うより先に、俺は昔の幼い殿を思い出した。あの頃から既に痩せていた気もする。傍によくいたせいか、時折こうして俺に甘えた。
 妙に懐かしかったからか、無意識に殿の頭を撫でていた。気付くと殿が目を細めて俺を見上げていたので、もう暫く撫でておいても叱られそうにない。短い髪は少々掌に痛かったが気にする程度ではない。
「またえらく甘えたですねぇ」
 幼く見える殿には相応の対応になってしまう。殿は拗ねたような顔をして、いけませんか、と答えた。
「もう少しの間腕の中にいたかったのに、貴方ときたらいつまでも布団に入ってくれません……」
 抱いた後の殿は大抵甘えたがるものだが、今日も例に漏れないようだ。最近では慣れたのかもうないが、恐い痛いと泣いていても事が終われば俺に寄り添って笑顔を向けていた。
「そいつはすみませんね」
 手を殿の頭から離し、そのまま顎を掴んで引き寄せた。色恋には殊更鈍いお人だが、流石に意図を汲んでくれたようだ。静かに口付けを受け入れてくれた唇を舌で割り、慌てて引っ込んだ柔らかい肉を追っていく。どれだけ深く繋がっても未だこうした戯れに顔を真っ赤にする殿が可愛らしくて堪らない。
 胸板をドンドンと何度も叩かれたので唇を離した。ぷは、小さく息を吐いた殿は俺を軽く睨んだが、涙を浮かべて睨んだところで何の威嚇にもならない。
「……苦しいではありませんか」
「おや、息を止めておいでで?」
「私は左近のように慣れてはいませんので」
 殿はそう言うとそっぽを向いて布団の方を見た。機嫌を損ねたか、と若干不味いとは思ったが、よく見ると殿はそっぽを向いたまま俺の袖を掴んでいた。そのまま殿を観察していると、また俺の顔を見て首を傾げた。
「寝ないのですか?」
 純粋に見つめる瞳へ笑いを飛ばした。
「今布団に戻っても、さっきの続きをするだけだと思いますがねえ?」
 すると今度は顔を青くして、
「……今日はもう無理ですからね」
 と俯く。その頭をまた撫でた。
「冗談ですよ。さ、もう寝ましょうか」
 燭台の灯りを吹き消し、布団の中へ二人して入った。正直に言うとかなり狭いが、殿は嬉しそうに俺の腕へ頭を乗せる。そもまま微笑んだ。
「……おやすみなさい、左近」
 今も変わらない温度で、俺の名前を呼ぶ。
 欲が治まったわけではなかったが、我慢の限界だったのかすぐに寝息を立てた殿を起こすわけにはいかず、枕にされていない方の手を背中に回すだけで、目を閉じた。
「おやすみなさい、殿」
 主従とも保護者のような関係とも違う色を孕んだ布団の中、ゆっくりと微睡んで、落ちた。




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