咲く花よ | ナノ

咲く花よ


 無欲な人だ。
 左近は自らの殿をそう思っている。
 主、順慶のことは本人が生まれたときから知っている。その頃から苦労の耐えない人生を歩んでいるせいか、若くして何かを悟ったように穏やかだ。花や木々を愛で、無駄な戦を嫌う。
 この日、順慶は盆栽の手入れに勤しんでいた。
「今日も天気がいいですね」
 にこりと木々に微笑みかける。日除けのためか笠を冠り、棚に飾られた盆栽などの鉢植えを一つずつ手に取って世話をしていく。安らぎの時間を過ごしていた順慶だが、人の足音に気付くと手にしていた鉢を置いて振り向いた。ふっと口元を緩める。
「おはようございます、左近」
 剪定用の鋏を手にしたまま人影の方へ駆け寄る。僧衣の袖を振りながらぱたぱたと――衣服のせいか何処かぎこちなく自らの元へ駆けつける順慶を前にして、左近は少し苦笑しながら軽く頭を下げた。
「おはようございます。今日も早いですねぇ」
「やはり朝が一番美しく見えますから」
 そう言って再び植木の方へと身体を向けた順慶の後を左近も追う。こうしてゆっくりとしていられる時間も、最近はあまりなかった。戦が始まれば花の世話どころではなくなってしまう。順慶は何よりそれを厭う。逆に言えば、それ以外の欲はない。のんびりと花を眺めていられるのなら充分だと順慶は話す。
「私のような者でも、何に怯えることなく心から安らげる。そんな世こそ泰平と呼べるのではないでしょうか……」
 柔らかな朝日を浴びながら順慶は左近に微笑みかけた。笠が穏やかな笑顔に影をかける。左近はゆっくりと頷いた。
「殿御自らだけの平穏では意味がないってことですな」
「はい。勿論、左近も共に、その世に居なければいけません」
 順慶の目がほんの僅かに細められる。左近は顎に手をあてて笑った。
「本当に無欲なお人だ。それだって、自分のための願いじゃあない」
「そうですか? 私は、これ以上にない我欲だと思います」
 一通りいつもの世話を終え、順慶は棚に鋏を置く。それから、今まで顔を向けるばかりだった左近の方へ身体ごと向き合った。真正面から見た順慶の頬はけそりと痩けている。法衣で隠れた身体もまた細いのだろう、と左近は懸念している。いつか身体を壊してしまわないか心配でならない。
「私は……」
 順慶は小さな身体で微笑み、左近の顔を見上げると、すっと手を挙げて左頬の傷に触れた。やはり肉のついていない手や指が愛おしそうに傷を撫でる。
「……左近と共に生きたいだけなのかもしれませんから」
 唇が鴇色の花をやんわりと咲かせる。左近は自分に向けられた手を下ろさせると、それを両掌で包んだ。
「それが無欲だって言うんですよ」
「貴方を縛ろうとしているのに、ですか? もしも泰平のために左近が犠牲になるのなら、そんな世はいらない。そう思っていても……ですか」
「ほら、結局は俺の心配をしてるんじゃありませんか」
 笑う左近を見上げて順慶は目をぱちぱちと瞬かせる。
「ですが、危険な思想ではあります……」
「心配して頂かなくとも、先の世でも俺は殿と共にありますよ」
 順慶の手を握る力が強くなる。目を細めた順慶はもう一つの手を、自分の片手を包む左近の手に重ねた。そして頬にも花を咲かせて笑った。
「信じていますよ、左近」
「ご期待に応えられるよう、頑張ります」
 二人はそっと互いの手を離した。まだ日差しは柔らかく、空気は肌寒い。左近は空を一度見上げると順慶の肩に優しく触れた。
「さて、そろそろ中に入りましょうか。あんまり寒いと身体に障りますからね」
「そこまで弱くはありません」
「そいつはどうでしょうね。あんたの場合念押ししないと恐いんですよ。ただえさえ、これだけ細いんですから」
 順慶の肩を左近の指が這う。指に当たる感触は骨張ったものばかりで、柔らかさがない。
 左近に従って歩き出そうとした順慶だが、突然はたと足を止めた。僅かに眉を寄せた左近が順慶の顔を覗き込む。
「殿?」
 怪訝に思う左近の前で順慶は笠を押し上げ、白練の光へと顔を晒した。
「……左近、私にはもっと罪深い欲があったことを思い出しました」
「そりゃまたどういうことです」
「貴方を……」
 順慶の頬は薄紅梅に明るんでいる。
「貴方を欲し、貴方に欲されたいという欲です」
 はっきりと言い切られ、左近は驚いたように目を若干見開いた。だがすぐにそんな自分を笑い飛ばした。
「ああなるほど、そりゃ欲ですね。ですが、殿……そう思っているのは殿だけじゃァありません」
 左近の手が順慶の腰を抱く。広がった服に隠れた身体はやはり痩せていたが、今は気にしないとばかりに抱き寄せようとする。順慶もその力に従った。自分とは違って逞しい腕の中に収まる。
「殿、笠を外しちゃ貰えませんか?」
 肌寒い朝に体温を感じながら左近は囁きかける。何も分かっていないのか、順慶は戸惑い気味に笠の紐を解いた。風が吹き抜ける。すっと笠が滑り落ち、地面に落ちた。
「さこ、ん」
 屈んだ相手の行動を順慶が不思議に思う間もなく、その鴇色は奪われた。外気で冷えてこそいたが、寒さよりも行為自体に目が覚める。そして漸く左近の真意を悟り、我ながら鈍いとも思うがもう遅い。
「左近……」
 自分を腕から解放させた順慶は傍の笠を拾い上げる。
「するならすると言ってください」
「おや、てっきり分かって頂けたものだとばかり」
 にやにやと口を緩めている左近から目を逸らし、笠を抱いて無言で歩き始める。袖がぱたぱたと風に揺れる。
「そんなに照れないで下さいよ」
 声を掛けたところで、左近に見えるのは純粋無垢な主の背中ばかりだ。




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