清水の如く・2 | ナノ

清水の如く・2


 初めて出逢ったのは幼い頃だったから、第一印象なんてもう、「白い」と思ったことしか覚えていない。
「貴様が毛利の一人娘か」
 その頃は確か、毛利も陶も同じ大内グループの傘下に甘んじていた。今でこそ互いに独立しているが、当時は何処かに寄り添わなければ倒れてしまいそうなほど危うい家だった。
 白いスーツを纏ったその少年は、ネクタイだけが赤かった。歳は、自分が十で、相手は十二だったと記憶している。
 私はぺこりと慌てて頭を下げた。
「は、初めまして。も……毛利隆元です。義隆様より、お名前を頂きました」
「陶晴賢だ。生まれの名前は隆房だがな」
 その人は眉間に皺を寄せながら不思議なことを言った。今思うと、若年にして改名したのは陶を独り立ちさせるための決意表明だったのだろう。それにしても、出逢ったときから傲慢な態度だった。
 隣に居た、同じくらいの少年が丁寧に礼をした。
「申し訳ありません、晴賢様は元よりこのような性格なのです。ご了承下さい」
「余計なことを言うな」
 陶の御曹司はむすっとした顔でその少年を睨んだ。髪の長い少年は顔を上げ、
「……失礼しました。私は弘中隆包です。晴賢様の使用人ですが、この屋敷におられる間は何かあれば私にお願い致します」
 晴賢さんと同じ歳とは思えない丁寧さに驚いた気さえする。今はもう少し砕けた話し方をしてくれるが、柔らかい物腰は変わらない。
 隆包さんはそのまま自分の主に向き合った。
「晴賢様、ご説明申し上げた通り元就様が所用で大内に滞在する間、お嬢様はこちらで過ごされます」
「分かっている。隆包、案内して差し上げろ。ここは無駄に広い」
「はい。ではお嬢様、こちらへ」
 たった二つしか歳が違わないのに、隆包さんの手は随分大きく見えた。
 自分が滞在する寝室を中心にいくつかの部屋を案内された。毛利の屋敷ですら自分の部屋周辺以外はあまり馴染みがなかったので、幼い自分には余計に広く見えた。それでも、当時の陶は今よりも、また同じ頃の毛利よりも小さかった。
 階段を下りると大きな扉があった。
「ここは?」
 私は隆包さんに尋ねた。
「庭へ出る扉です。今は花が咲いていて綺麗ですよ。ご覧になりますか」
「はい、是非」
 頼んで踏み入れた場所は、中庭というよりは本に見る草原のようだった。小さな花が咲き乱れる花畑が美しくて、子供心にとても嬉しかった。隆包さんは少し後ろで微笑んでいた。
「晴賢様もお気に入りの場所なのですよ、ここは。姿が見られないと思えば木陰でお休みになられていたりします」
 その声には疲れが混じっていたと思う。
 柔らかい風が通り、既に目を隠していた前髪を揺らした。
 後ろから足音がした。
「ここに居たのか、隆包」
「晴賢様。丁度良いところへ。このままここでお茶でもと思うのですが、如何でしょうか」
「私は構わないが」
 晴賢さんはきっと私の方を向き、私は恐縮した。睨むような目つきが普段からなのだと知らなかった頃の話だ。
「紅茶は好きか、隆元……君?」
「た、隆元で、いいです……」
「ならばそう呼ぼう。で、どうだ」
「う、うちは、お父様が紅茶をお好きなので……」
 晴賢さんは隆包さんに視線を移した。隆包さんは無言でお辞儀をし、屋敷の中へ戻っていった。
 あまり人と打ち解ける性分ではない自分は、あまり馴染みのない男性、それも威圧感を持つ彼と二人きりになって、改めて萎縮した。
「用意が出来るまで時間がかかる」
 びくっと肩を揺らした私を見て晴賢さんは溜め息を吐いた。
「……私は隆包のように気が利いたことを話せないようだな」
 その言い方が妙に自虐的で、つい噴き出した。
「そ、そう、ですね」
 くすくすと笑い出す私に晴賢さんは漸く笑顔を見せた。――とはいえ、僅かに口元が緩んだ、その程度だったけれど。
「こ、ここは花が綺麗ですね」
「ああ。手入れされてもいるが、どちらかというと自然に近い。だから私はここが好きだ」
「……私は、あ、あまり外に出されたことが、ないので……の、野原というのは、このような場所なのでしょうか」
「見た目通りの箱入り娘なのだな」
 晴賢さんはちらりと私の顔を見て、クローバーは知っているか、と尋ねた。
「正しくは白詰草だが」
「は、はい。その少ない、連れ出されたときに、摘んだことがあります」
「植えたのか元から生えていたのか、ここには多い」
 晴賢さんが歩き出したので、私は足をもたつかせながら後を追った。花畑の間を縫うようにして歩いていたときの、鮮明な色彩がまだ脳に残っている。そんなカラフルな花畑の端には緑と白と、少しのピンクが広がっていた。
「その割に、四葉など見た事もないがな……」
 晴賢さんはその場に屈み、そう呟いた。多分、彼なりに会話を探そうと気を遣ってくれていた――のだろう。
「四葉……」
 自分もその場に屈み込む。何気なく一本の茎を手にすると、先の葉は四枚ついていた。
「……あ、ありました、けど」
「なっ」
 信じられない――と顔に書いてあるようなそのときの晴賢さんは、今思い出しても噴き出してしまいそうだ。
「……お前は運が良いのだな」
 ――貴方の運が悪いのではないでしょうか。
 とは、今ですら、言えない。
「い、以前外に出たときは、この花で冠を作ったのです」
 私は必死に話を変えた。
「冠?」
 ぷち、と晴賢さんの手が白詰草の花を一つ摘み取る。
「これでか」
「はい、こうして」
 同じように自分でもいくつか摘み取り、茎を編んでいく。両手首が入る程の小さな冠はすぐに完成した。
「む……」
 興味を持ったらしく、晴賢さんは自分の手に持つ一輪と、私が持つ花冠とを交互に見比べた。
「女は器用だな」
「そ、そんなに難しくないですよ」
 もう一度、今度はゆっくりと編み始める。晴賢さんは私の前に座ってそれを見ていた。
「一つ、聞きたいことがあるのだが。……ああ、手はそのままでいい」
「な、何ですか?」
「その前髪、邪魔ではないのか?」
 ふっと手を止める。――そのときは、あまり触れられたくはなかった。
「私は、自分の目があまり好きではないのです……。そ、それを義隆様にお話すると、前髪で隠せばいい、と仰られましたので、それからはずっと」
「……それは、無粋な質問をしたな。済まない」
 意外にも晴賢さんはすんなり頭を下げた。驚いてこちらがさらに頭を下げたくらいだ。
「い、いえ! 気にしないで下さい!」
「どうも私はそういった発言が多いらしく、よく隆包に口煩く忠告されているのだ」
 晴賢さんが溜め息を吐く。口だけはそこそこ悪い、というのが、当時から今も続く彼への印象だ。直ってはいない。
「……ふふ」
 くすくすと、思わず、笑いが溢れていた。

 隆元が晴賢と話している頃、所用で大内家の屋敷を訪れていた元就は、数年前に死別した妻の親戚と偶然顔を合わせていた。
「ああ、久し振り。……その子は?」
 表向きだけの挨拶をしようとした元就の目に留まったのは親戚夫婦が連れていた男児だ。
 その男児はぺこりと頭を下げたまま、大きな瞳で元就を見上げた。
「吉川家長男、元春です。貴方が元就様ですか?」
「……うん。そうだよ」
 元就はそっと元春の頭を撫でる。自分の娘よりも少し幼いくらいだろうか。きらきらと輝く瞳が元就には痛い。
「すまないが、私は用があるから、これで」
 小さな子供に手を振り、元就はその場を後にした。

「……こんなものか?」
 完成した花冠を掲げ、晴賢さんは首を捻った。自分のものよりは不格好で、すぐに解けてしまいそうだった。
「やはり私には向いていない」
「こんなこと、向いていても……何にも、なりませんよ」
 思わず俯いた私に晴賢さんは少々苛立った声をかける。
「お前は何でそう己を卑下する。何にせよ得意で悪いことはなかろう。編み物等にも転じられよう?」
「……そうかもしれませんが」
「が、ではない。いいか、どんなことでも言葉に出せば本当に――」
 晴賢さんの声を遮るようにして風が吹いた。花々の上をすり抜け駆け抜け、私達二人の間も割って走る。
 視界が開けた。肌に触れていた前髪の感覚がなくなる。彼の瞳に私の素顔が映っている。
「あ……」
 慌てて指で髪を抑えた。
 晴賢さんは暫く固まった表情のままで黙っていたが、風が吹き終わると、思い出したように咳払いをした。
「……隠すようなものではなかろう」
「えっ」
 聞き返されたことを照れたように顔を振り、晴賢さんは私を指差した。
「貴様は自分の価値を覚えろ! いや、しかし顔は隠していた方がいいか……虫が沸いても困るからな……」
 俯いてぶつぶつと何かを言い始める。
「あ、あの……わっ!?」
 声を掛けようとすると、晴賢さんは私の両手を取って握り締めた。
 この、彼の顔と、咲き誇る花の色を私は忘れない。真摯な顔でこう言ったのだ。
「私の妻になれ」
 頭が真っ白になった。声を忘れ、思わず首を傾げた。
「え……へっ?」
「よもや他に許嫁でも」
「い、いえ聞かされておりませぬが、し、しかし」
 いくらか時間が経って、漸く言葉の意味を理解する。
「……わ、私を、ですか!?」
「何も今すぐに返事とは言わん」
「と、当然です! そんなこと、急に言われましても……お父様に話をしなくてはいけませんし……」
「父のことはいい。いずれ私が話をつけてやる。それよりもお前はどうしたい」
「ですから、そう急に言われても、ですね!」
 わたわたと腕を上下に振っていると隆包さんが戻ってきた。私の慌てようを見て首を傾げる。
「どうなされたのですか?」
 庭にある白いテーブルへ紅茶のセットを置き、こちらに駆け寄ろうとする隆包さんに手を振って何でもないと応える。
「あ、あの、えっと」
 そのまま休憩の準備を始めた隆包さんに聞こえぬよう、小声で話した。
「い、今は答えられませんが……そ、そうですね。私が大人になってもまだ同じことを言って下さるのなら……そのときは、受けようと思います。い……いけませんか?」
 精一杯の返答だった。晴賢さんは腕を組んでふむと唸った。
「ならば約束しよう。確かお前は、二つ下だったな?」
「は、はい」
「十年後には必ず、家に迎えてみせる。違えるな」
 晴賢さんはそう言うと白詰草を一輪抜き取り、私の左手を取って、小指にくるりと巻きつけた。
 遠くで隆包さんが不審そうな顔を見せていた。


 あれから、十年の月日が経過した。
 ふと机に置いた写真立てに目を向ける。あの頃と変わらぬ、白い衣を身に着けた晴賢さんは写真の中でも笑っていない。
「ねえ、私たちはもう、いくつになったのかな……」
 今でも恋人ではある。しかし、約束とは、違う。
「覚えてないの……?」
 左手を翳し、溜め息を吐いた。
 扉の向こうから弟達の呼ぶ声がして、立ち上がった。




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