天色に淀む | ナノ

天色に淀む


 夜の帳がすっかり下りてしまった時間に、隆景はゆっくりと自宅の扉を開いた。灯りも全て消された家の中を静かに歩く。
「おかえり」
 暗がりから声がかかる。隆景は緩慢な動作でその方向を見た。
「……起こしてしまいましたか?」
「いいや、寝てないだけだ」
 部屋の入り口に佇んでいた元春はふっと微笑んだ――しかしすぐに眉を顰め、険しい顔つきになる。
「食事は」
「終わりました。……相手も、もう生きてはいません」
 目を伏せる隆景に元春が詰め寄る。
「なあ、何も殺すことないんじゃないか?」
 幾度となく掛けられた言葉だ。隆景はふうと溜め息を吐き、冷ややかな目で元春の顔を見上げた。
「私が嫌なのです。そこらの男に身を委ねるなどと……しかし、生きるためには仕方がありません。ですからせめて、私の上で永眠させて差し上げたのです」
 隆景は、夜に効く目を細めた。
「人など、私らからすると食材でしかないのです、兄上。兄上が動物の血肉を食らうのと同じこと。そのくらいの感情しか持てません」
 何も言わない元春へ軽く一礼し、隆景は隣にある自分の部屋に向かって歩き出した。扉に手をかけ、ふいと振り返る。
「兄上が私の餌になって頂けるのならば、その憂いもなくなりますが?」
 元春がくっと喉を鳴らす。
「……冗談」
「ええ、勿論」
 微笑み、隆景は、暗闇に溶けた。

 元春と隆景は腹違いの兄弟だ。上にもう一人、同じく腹違いの兄がいる。
 父は人間ではない。
 父は、人と交わって精を吸い取り生きる妖魔だ。
 子供達はその食事の過程で生まれた。長男隆元と三男隆景は同じような女から生まれたが、次男の元春だけは人間を母親としている。
 父元就は男も女も食事の対象に出来るが、隆元と隆景は母親のせいもあり、自らも男でありながら女よりも男の方が栄養に換えやすい身体をしている。隆景に至っては、女からの供給程度ではいくら命まで吸い取ったとしても生き長らえることは難しい。よって普段から男を相手にしている。
 元春だけは、少し丈夫な人間、で済んでいる。
 精を全て吸われた人間は命を落としてしまう。隆景はそれを知っていて、餌にした人間は全て殺してきた。世間では変死として扱われ、元春は昼間、そのニュースを見る度に複雑な思いをしていた。
 元は一つ屋根の下に住んでいながら、殆ど帰らない父と長男、時間があれば共に過ごす次男三男の間には、少し溝があった。

「隆景」
 布団を揺する。
 ううんと呻いて、隆景は不機嫌そうに目覚めた。
「私は……夜行性なのですが……?」
「昼間は普通の高校生だろ?」
 起き上がり、目を擦る隆景の背中を元春は軽く叩く。
「飯、お前が作ってくれないとまともなもんにありつけないんだからよ」
「兄上が上達すればいい話なのでは? 私は別に食べなくてもよいのですから」
「兄に飢えろっつーのかよお前は」
「まさか……ああ、分かりました、すぐに準備します」
 隆景は渋々ベッドから下りた。元春は、あまり料理が得意ではない。だからいつも、物理的に食べる必要のない隆景が作る羽目になる。
 簡単な朝食と二人分の弁当を作ると、隆景はリビングで待つ兄の元へ――自分でも気付かないうちに頬を緩ませながら朝食を運んだ。
「お待たせしました」
 と、まず盆に乗せていた湯飲みを手渡す。元春は「ん」と小さく返事をして受け取り、口につけた。その目は何処か別のところを見ている。
「兄上?」
「……んー」
 お茶をいくらか飲みながら、元春は顎である方向を示した。隆景が目で追うと、いつの間にか点いていたテレビで、ニュース番組が放送されていた。隆景はそれを一瞥すると、いつもと変わらない表情でみそ汁などのお椀をテーブルに並べた。
『――都内の某マンションで、住人の男性が変死体で発見されました。男性に目立った外傷はなく、警察は……』
 画面には被害者と思われる男性の写真が表示されている。若くて髪の短い、健康的な男性だった。
 元春がこのニュースを何の感情もない目で見ているのは、二つの感情が互いを相殺しあっているからだ。
 自分の弟が、という懺悔の念と――こいつが弟と、というある種の嫉妬、そして恨み。
「同じような顔してるよなぁ……」
 ぽつり、元春が呟いた。隆景は気付かない振りをしていたが、
「一週間くらいは保つでしょう」
 とだけ返した。

 二人は、同じ高校に通っている。学生を狙うことは、隆景はしない。好みではない――というのが一つ。学生が減るとより目立つ、というのが一つ。
 実生活では目立たないように努めている隆景だが、兄も含めたその外見と性格から、主に女子生徒が放っておかない。それは隆景からすると、肉や魚や野菜が言い寄ってきているようにしか見えない。だから、元春は、退屈そうに人間を見つめる隆景を廊下などで見つけると、いつも連れ出していた。
 この日も、そうだった。隆景の手を引いて屋上へやって来たのは昼休みのこと。屋上への扉は常に鍵がかかっている。階段を駆け上がった元春はちらりと後ろの隆景を見返した。少し遅れて元春の隣に並んだ隆景が頷く。
 隆景がドアノブに手をかけると、手の中が青く弱く光り、カチャ、と静かな音が鳴った。ドアノブを回し、扉を開く。
「久し振りに見たが、やっぱり早いな」
 元春は素直に誉めた。
 ただ食事の方法が違うだけではない。隆景らには妖魔たる所以でもある、変わった能力がある。鍵を解除する、他人の夢に侵入する、周囲に自分を認識させなくする――など、より『栄養』を摂りやすくするための魔法といったところだ。だが、源である栄養、人の精が尽きるとそれすらも使えなくなってしまう。物を食わない人間が歩けなくなるように。
 だが、隆景はそんな己すらも好まない。元春が好まないからだ。こうしたくだらないことには使わせるが、肝心の、本来の使い道をとろうとすれば嫌がられる。
 二人きりの屋上で、フェンスに寄りかかりながら並んで弁当を開けた。
 隆景とて食物の味が分からないわけではないし、料理の腕でいえば元春よりも上手いくらいだ。美味しいと思うものがそのまま血肉となるか、ならないか。その違いだけで。
 元春に作ったものよりも二周りほど小さな自分の分を食べていた隆景がふと、手を止めた。元春の視線が隆景に向く。
「どうした?」
「……いえ」
 食欲が、と隆景は呟く。食べなくてもいいものだからな、と元春が言う。そういうことではないのですがね、と隆景は思う。
 目を閉じると昨日の相手が思い浮かび、同時に寒気がした。
 隆景は「兄さん」と小さく呼んだ。

 何度も同じ夜を繰り返す。
 夜の街で見かけた適当な男を捕まえ、また誘惑し、精を搾り取っては命を奪う。
 隆景は屍となった男を顧みることなくベッドから離れ、寝室の壁に背を預け、そのままずるずると座り込んだ。膝を抱える。
「……う、うう……」
 行為と同時に栄養補給をしているので、身体の痛みや怠さはない。だが心が軋む。吐き気がする。
「あ……」
 何かを言おうとして、隆景は不意に立ち上がり、洗面台へ走った。
 吐瀉物が、流れる。
「あ……に、うえ……」
 繰り返される痛みに、涙はもう溢れない。だが確かに苦しい。
 ある週、隆景は食事が終わっても帰らなかった。

 部屋で目が覚めた元春はまず、リビングへ向かった。起きていたならば、隆景が台所に立っている。しかし誰も居なかった。部屋を訪れたが、ベッドももぬけの殻だった。
「隆景?」
 家中探してみるが、どこにも姿はない。
 昨夜のうちから出ていたことは知っている。だが、食事のために徘徊していたとしても、空が白ける前には帰ってきていた。それが戻らない。
「……何かあったんじゃねえだろうな」
 父や兄が数週間、数ヶ月と家を空けたままであることはいつものことだが、隆景は律儀に人としての生活も営んでいる。珍しいと思うと共に、心配になる。その上、元春だけでは朝食も昼食もろくなものを期待出来ない。
 しかし隆景が帰宅する気配はなかった。
 元春は仕方なく、早朝から食べ物を求めて外へ出た。
 当然のように隆景は登校もせず、夕方元春が帰宅してから漸く、戻った。
「隆景」
 ゆらりとふらつきながら帰ってきた隆景を、元春は眉を下げて出迎えた。
「どうした、何かあったのか」
「……いえ」
 隆景は虚ろな目で笑った。顔色が悪い、などということは見られない。寧ろ出掛ける前よりも健康的なくらいだ。出て行った理由ならば元春もよく知っている。だが、栄養を補給して戻ったにしては様子がおかしい。
 手を伸ばそうと近付いたところで、元春は血の臭いに気付いた。
「……お前」
 隆景はふっと笑い、夏だというのに羽織っていた上着を脱いだ。元々着ていた白いシャツにはびっしりと血がこびり付いていた。
「何――」
 思わず胸ぐらを掴もうとした元春は、隆景の表情が潤んでいることに気付き、手を下ろす。
「……取り敢えず、シャワーでも浴びてこい」
 隆景は黙ってこくりと頷いた。

 着替えた隆景は、自分の寝室に元春を呼んだ。ベッドに腰掛け、元春を自分の隣に座らせる。
 お互いの視線は交わらない。
「……私は、この手で人を殺しました」
 ぽつり、ぽつりと、隆景が零す。
「兄上はいつものこと、と思われるでしょうが……違うのです。精を奪うまでもなく、私は自ら殺そうとしたのです」
「……隆景、もう少し分かりやすく話しちゃくれねぇか」
「そう、ですね。私は……そのときになって、相手の性器を噛み千切りました」
 隆景が顔を上げ、元春に微笑む。
 元春の顔に表情はなかった。
「元より、相手とする男以外には認識されぬよう、家には出入りしておりましたから、兄上に迷惑はかからないでしょう」
「……俺が聞きたいのは、そういうことじゃねえよ」
「ええ……」
 隆景は目を伏せ、強く瞑り、その端から雫を落とした。
「私は好きでこの身体に生まれたわけではありません。好きでこのようなことをしているのではありません。それが、生きるためには人間の男に身を許さなければならないのです。もう、耐えられません!」
「たか……」
「お願いします、兄上」
 戸惑う元春の肩を掴み、隆景は縋った。
「これ以上他の男にこの身を犯されるくらいならば、私は……兄上に……!」
 慟哭が、元春の服に皺を作る。涙がぼろぼろと流れている。元春はゆっくりと手を伸ばし、隆景の腕を掴んで、優しく離させた。
「……悪いな、隆景」
 見開いた目は涙を堪えようともしていない。元春は真っ直ぐに隆景の表情を見据えた。
「俺には」
 乾いた瞳と、濡れた瞳と。
「やっぱり、お前たちが理解出来ねえよ」
 何かが――割れた。
 隆景はその場にだらりと両腕を垂らした。涙が静かに流れる。元春は何も言わずに立ち上がり、部屋を出た。
 自分の部屋に戻った元春は引き出しからあるファイルを取り出した。いくつかの新聞記事がスクラップされている。ぱらぱらと捲っては、溜め息を吐いた。
 弟が命を奪った人間の写真を見るというのは、何ともいえない気分だった。――そして、明確な共通点に気付いてしまったことも。
「……お前が求めてたのは、俺なんだな」
 写真の男はどれも若く、健康的で、それぞれが似たところを持っていた。元々感じていたその既視感に、元春は漸く気付いた。自分に――似ている。雰囲気だけではあったが、それでも隆景が求めていたものは分かった。知ってしまった。
 だが、と元春は思う。
 ――餌にされるのは、御免だ。
 元春がまだもう少し幼く、隆景も妖の血に目覚めていない頃、何度か父や兄に搾取されていたことを元春は今でも鮮明に覚えていた。
 二人、特に父の場合は殆どただの戯れだった。わざわざ実の家族を食わずとも、いくらでも相手は居たのだ。それを嫌だと思っている節もない。
 しかし隆景は違う。男しか相手に出来ず、自分の運命を受け入れることも出来ず、苦しみ抜いてきた。誰よりも近かった弟か、自分のトラウマか――どちらを取るかなど、今の元春には考える余裕もない。

 数日が過ぎた。
 普段通りの日常が繰り返される。朝起きて、二人が顔を合わせて、適当な会話を交わして、学校へ行く。
 家族としての日々が、一週間は続いた――とある夜。
 父元就が久し振りに顔を見せた。
「うん、元気にしていたようだね」
 出迎えた二人に向かって元就は微笑んだ。――しかしその瞳はすぐに細められる。
「……元春は。隆景の方は、そうでもないようだ」
 元春は眉をつり上げ、隣の隆景を見た。隆景は目を逸らした。
 元就は少し屈み、間近で隆景の顔を覗き込んだ。
「お前がどうしたいのかは知らないけど……」
 父の言葉に、隆景の鼓膜だけが震える。
「……このままだと、死ぬよ?」
 ぞくり、と寒気がするような声だった。親が子にかけるような声ではない。隆景は、元就が自分の部屋へ入ってしまってからも暫く廊下で立ち尽くしていた。
 ――その光景は勿論、元春の目に入っている。
 元就は一日だけ家で過ごすと、また出掛けてしまった。

 それからまた数日。
 徐々に、隆景の起きている時間が短くなっていた。そのうち学校も休むようになる。何をするでもなく、ずっと家で寝ているのだった。
 ここのところは部屋に入るなと釘を刺されていた元春だが、心配も限界になったこの日、ノックもせずに扉を開いた。
「隆景、お前一体どうなって……――」
 寝室に足を踏み入れた元春は、一旦、言葉を失った。
 ベッドに横たわる隆景は顔色が悪いどころか、色さえ、その存在さえが薄くなっていた。線が見えない。窓に映った影のように、半透明になったり戻ったりを繰り返している。
「……あに、うえ……?」
 隆景はゆっくりを目を覚まし、起き上がろうとしたが、すぐにまたぽふりと倒れてしまった。
「お、前、何で」
「……これが……この種の、最期なのです……」
 駆け寄り、元春は隆景の手を取る。見えなくとも触れることは出来るようだった。
「あの日……兄上に拒絶されてより……わたくし、は、一度も……」
「あの日って……もうかなり前じゃねえか……」
 長い時間を飲まず食わずで過ごしてきたというのだ。
 元春は自分の言動を、心底後悔した。十数年の殆どを共に過ごしてきた肉親を、たった一言で死に追いやろうとは――考えてもいなかった。
 消えそうな肌で、隆景はふっと微笑んだ。
「良いのです……何度も、こうして生きるくらいならば、と思っておりましたが……それも、兄上への望みがあってこそ、でしたから……」
 にこりと笑った眦から涙が溢れる。
 ――元春は歯を食いしばり、乱暴に隆景を抱き起こした。
「悪い……! 俺は、前に何度か父上たちの相手をさせられたことがあって、栄養としてしか見られないのが嫌だっただけだ……! お前が本気で、俺だけがいいってんなら、俺は……!」
「……兄上」
 隆景は吃驚したように目を開いた。そして、透明な頬が朱に染まった。
「……なあ、もう遅いのか?」
「いえ……そうですね……取り、敢えず、」
 隆景はもう一度目を閉じた。しかしそれは自分から閉じたのであって、瞼の重さに負けたようではなかった。普段は鈍い元春も流石に察し、戸惑い気味に唇を重ねた。その瞬間、す――と何かが抜けていくような感覚があり、それが終わると隆景は色を取り戻した。
「応急処置……で、いいのか?」
「はい。本当に、命を繋ぎ止めるだけですが……」
 微笑んでから、隆景は自分が元春の腕に抱きとめられていることを知った。同時につい先程までのやり取りが漸く頭に入ってくる。
 ――自分は、何と言ったのだ。何と言われたのだ。何をされたのだ。
 身体と同じように半透明だった意識が戻り、隆景は少しずつ混乱し始めた。
「……兄上、本当に私の相手をして頂けるのですか?」
「そう言っただろ?」
「ですが……構わないのですか」
「何度もいちいち確認すんな。……愚図愚図してたらまた消えちまうんだろ? 皮肉っちゃあ皮肉だが、一応食わせ方は知ってるからな……」
 元春は隆景の身体をベッドに戻し、自らもその上に飛び乗った。
「ああ、でもな、一つだけ俺からも確認させてくれ」
「……何でしょう?」
 垂れた前髪が自分の額につきそうな程の距離まで顔を近付けられ、隆景はくっと唾を呑み込んだ。
 いつになく真剣な表情の兄を見上げる。
「俺は、お前の食い物になるつもりはねぇ。だから、人としてやるつもりだ。それでもいいか?」
「……そ、んな、こと……」
 弱った今の隆景では簡単に涙を流してしまう。
「勿体ないお言葉です」
 重ねて皮肉なことに、身内同士、その上完全な人間ではなくても餌になり得ることは、元春自身が過去に証明している。
「ですが、もう数え切れないほどの男性と関係を持った身……汚れた身体だということを、お忘れなく」
 元春の瞳に映った自分の顔を見つめる。
「……で、」
 元春は少々苛つき気味に声を上げた。
「その中で、お前が本気で相手にしたかった奴は居たのか?」
「……っ」
 隆景は控えめに頭を振った。
「居ません。私がお慕いしているのは兄上だけです。他の誰でも苦しく、狂い出してしまいそうな痛みを味わうだけです。喜ばしいと思えたことなど、一度も……」
 頸を振りながら、僅かに上体を起こし、元春の首に腕を回す。
「……お願いします、兄上。私をこの痛みから解放して下さい」
「ああ……全部、なくしてやる。これから先もずっと、お前が苦しまないように」
 誓いの口付けを――交わす。
 隆景の瞳が青白く光る。それは注視しなければ感じ取れない程淡い光だった。精を吸い取った証であるその光を元春は素直に綺麗だと思う。元々整った顔の弟が、ぞっとするように美しい。
 手を握り、互いに指を絡ませる。慣れた隆景は無自覚のまま足を開き、元春の膝を間に招き入れる。今までなら脳を少し弄って、無理矢理興奮させてまで自分と目合わせていたのだが、現在の隆景にそれまでの力もなく、愛する兄には素面のまま自分を抱いてもらいたいと願っていた。
「兄上」
 片手を元春の頭に伸ばし、髪を纏めていた紐をするりと解かせる。跳ねた硬い髪が肩に落ちる。何してんだとやや不機嫌そうに元春が訊いた。隆景は微笑んだが何も言わなかった。代わりに、時間があまりありません、と言った。
「相変わらずよく分かんねえなお前は。……ま、確かに、長引かせたら二の舞か……つってもなあ」
「興奮出来ませんか、私では」
「そういうわけじゃねえんだが」
「良いのです。同性相手なのですから、それが一般的な反応でしょう。お役に立てるのであれば、手でも口でも……」
 元春の片眉がくっと上がる。
「いや、いい……余計に萎えそうだ」
「まさか、兄上に歯を立てたりはしませんよ。……食べてしまいたいと思わないわけでもないですが」
「お前が言うと冗談に聞こえん」
 などと言う元春の口元は緩んでいる。
 二人して起き上がり、隆景は元春の下半身に顔を埋めた。衣服と下着をずらして現れた性器にかぶりつく。好物を前にした犬のように、舌を伸ばし、唾液を落としながら舐めていく。言葉とは裏腹に気遣っているのか、両手を使って全体を扱きながら舌だけを沿わせる。自分で起こした、血の夜を――忘れたわけではない。
 隆景の瞳がぼんやりと発光する。
「……本気にしてるわけでもねえぞ?」
 掠れた声を聞いて、竿と袋の境目を舌で撫でていた隆景は顔を上げた。
「ええ、分かっています。ですが……銜えるのは少し苦手でして……。足りませんか?」
「や、そういうわけじゃねえが。まあいい、ほら、もう充分だ」
 元春は隆景を優しく手で押しのけ、もう一度ベッドに寝かせた。流石に今口付けることは躊躇い、止める。
「……あー、つっても、男だし勝手には濡れてくんねえか……」
「構いませんよ」
「あ?」
 肌に汗を浮かべて隆景が微笑む。
「私の身体は人間の男性とも同族とも少し違いますので……。男性としか交合出来ぬ分、そのために少しずつ身体が変わってきているのです。そもそも人の食べ物を口にしない限り排泄も致しませんので」
「……つまり?」
「女性と同じように扱って頂いて構わない、ということです」
 隆景は自分に覆い被さった元春の背中に足を回し、自ら腰を動かして穴に熱の先を宛てがわせた。
「このまま……お願いします」
「……ん」
 少し体重を乗せるだけで、熱はずぶずぶと肉に呑み込まれていく。
「あ、ああ……」
 体内に入り込んでくる塊を感じながら、隆景は初めて自分の身体と心が満たされる感覚を知った。自分で言った通り、引き裂かれるような痛みはない。
 しかし、苦しくはあった。
「おおきい……ですね……」
 瞳を光らせながら隆景は苦笑する。今まで交わってきた誰よりも立派な男根が突き刺さっている。先程口の中に迎えようとしなかったのは、その大きさに不安を抱いたからだった。
「痛いか?」
「いえ、全く……圧迫感はあります、けれど……」
 元春は、頬を染め恍惚とした表情の隆景を見つめ、その言葉が嘘ではないだろうと思った。互いに熱の籠った息を吹きかける。
「ああ、むしろ俺がやべぇかもな」
 隆景と同じように汗を浮かべて元春は笑う。
「気ィ抜いてっとすぐ出ちまいそうだ」
「……嬉しいです」
 隆景は正直に微笑む。だが元春も冗談ではなく、女体と同じかそれ以上にねっとりと絡み付いてくる体内に追いつめられている。人間の、それも男の身体とは明らかに違う。
「好きなだけ出して頂いて構いませんよ。その分、苦しいのは兄上ですが」
「死にたくはねぇなあ」
「まさか、そこまで搾りません」
 目を合わせ、くすくすと笑い合う。
「これからもずっとやんなきゃいけねぇからな、お前に」
 元春がぽつりと呟いた。隆景はそれではっと目を開いた。何か言う前に唇を塞がれた。
 抱き合い、密着した状態で腰だけが生を繋ぎ合う。膨らんだ愛情が収まる場所を求め、隆景の身体を食む。
「はっ、ああ、はんんっ」
 元春の耳のすぐ傍で隆景は静かに喘ぐ。熱の棒が肉を引き摺って入り込む度に頬を染め、目を閉じる。
 満たされていた。
「……兄上」
 月白の瞳が潤む。
 声が掠れ、吐精した隆景もまた、体内にとくとくと流し込まれる種を感じていた。隆景の肩に元春の顎が乗せられていたので、互いに表情を見る事はなく、額に皺を寄せた元春の瞳が淡藤色に暗く輝いたことにも気付かない。
 そのまま数度交わり、濃密な夜を過ごしたが、互いに衰えることはなかった。


 空が白んだ。
 朝に目覚めた隆景は今までに経験したことのない怠さを覚えていた。
「んー……」
 腰に痛みがある。
 常ならば、疲労よりも回復の方が勝って翌日に尾を引くことはない。だが今回は妙に身体が重い。
 まるで、人間同士が営んだように。
 共に眠ったはずの元春は部屋に姿を見せなかった。仕方なくベッドから降りた隆景は部屋を出てリビングに向かった。元春は大きな窓のカーテンを開けているところで、入ってきた隆景に気付くと振り向き微笑みかけた。
「おはよう」
「……おはようございます」
 ふらふらとソファに転がった隆景を見下ろして元春は白い歯を見せる。
「なんか元気ねーな」
「ええ、普段ならもっと体調が良いはずなのですが……」
「俺は寧ろ絶好調なんだがなぁ」
 隆景が首を傾げる。
「妙ですね。少なからず消耗するものだと」
「あー、それなんだがよ」
 元春がソファに座ろうとしたので、隆景は身を起こして場所を空けた。クッションが体重に沈む。
「俺は殆ど人間だが、一部はお前と同じわけだ?」
「そうですね」
「で、お前が食うのは俺の人間としての部分、だよなあ」
「恐らくは……」
 隆景はそこで元春の言わんとしていることに気付いた。
「つまり、私には兄上の全てを食らうことなど出来ず、逆に」
「お前らと同じところで、お前の混ざった気を吸ってた……ってことかな」
「しかし、今までにそのようなことはなかったのでは?」
「お前だって元からその体質ってわけじゃねえだろ。俺みたいに血が薄いと、目覚めるのが遅いだけとか、そういう……ことも……」
 目と目を合わせて話しているうちに、元春は言葉を詰まらせた。そして隆景を見つめ、噴き出した。隆景が怪訝そうに眉を寄せる。
「ま、いいか! 俺とお前が害なく食い合えるってなら問題ねえ」
「それはそうですが」
「どのみち、お前の相手はもう俺だけなんだ」
 日差しが差し込む。
 柔らかい光を受けながら、隆景はゆっくりと微笑んだ。これから先も、ずっと。その言葉は一時のものではない。
 白磁の中でそっと唇を重ねる。
 揃って閉じた瞼の中、月光のように瞳は輝き、すうと朝日に呑まれていった。




▲ページトップへ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -