操り人形といっしょ | ナノ

操り人形といっしょ


 巨大な鎖がガチャリと音を立てる。
 罪人のように繋がれた元春はゆるゆると顔を上げた。その口の端は血で汚れている。
 目の前には、光のない瞳を持った隆景が佇んでいた。
 元春はハッと笑った。
「……いい加減、目ぇ覚ませよ」
 反応はない。
 隆景の魂はここにはない。清盛に傀儡の術をかけられ、自我を持たぬ人形になってしまっている。元春はその隆景に負けた末、戦の舞台であった変わり果てた厳島の社に閉じ込められることとなったのだった。
「隆景」
 祈りを込めて名前を呼ぶ。
 隆景はほの暗い表情のまま、手にした軍配で元春の顎を持ち上げた。
 その瞬間、何処からか声が響く。
『言葉の自由を、許そう』
 パリン――何か割れるような音が隆景の奥から聞こえた。
「兄上……」
 重々しく口が開かれる。
「隆景、」
 元春は呼び戻そうとしたが、その目が未だ暗いことに気付いて黙り込んだ。
 隆景はそれでも笑っていた。
「お美しい姿ですね、兄上」
 喋らされているのだろうか、と元春は思う。どの抵抗したくとも身動きはとれない。
 にこりと隆景が微笑む。
「もっと美しくして差し上げます」
 隆景は足元を見下ろした。そこには腕くらいの太さを持った黒い大蛇が擦り寄っていた。
「テメェ、隆景に何させる気だ……!」
 ここに居ない、術の持ち主に叫んだところで届くはずもない。
 隆景は大蛇を抱き上げた。
「この蛇は遠呂智様の眷属、つまり身体の一部のようなものなのですよ。兄上が羨ましい限りです」
「何言ってやがる……」
「遠呂智様と交われるなんて光栄なことですよ」
 顔色を変えずに言い放った隆景を前に、元春は全身の血が凍るのを感じた。何をされるのか悟ったのだ。
「馬鹿、止めろ! つーかさっさと目覚ませって……!」
「何を嫌がることがあるのです?」
 首を傾げる隆景に心はない。分かっていても、元春にはただそれだけが辛く思えた。

 下半身だけ衣類を剥がれても持ち堪えた元春だったが、大蛇の頭が排泄口に触れたときには流石に動揺し、振り払おうと必死に暴れた。しかし巨大な鎖が音を立てるだけだ。
「隆景、もうこんなこと止めろ!」
「そんなに恐れなくともいいでしょう。少しだけ、痛むかもしれませんが……些細なことです」
 濁った目が笑う。
「たか、」
 蛇が元春の内蔵を抉じ開ける。僅かに開いた隙間を縫って、その頭を突っ込んだ。
「ぐああああああああああ!?」
 ぽたり、ぽたり。蛇を伝って血が落ちる。元春の見開ききった目からは涙が、歯を食いしばった口からは唾液が溢れていた。
 息を整える間もない。道が開けたのをいいことに蛇は身体をうねらせながら更に奥を目指す。
「う、ぐっ、ぎぃっ」
 言語にもならない悲鳴だけが上がる。
 元春は一層大きく叫んだ後、くたりと項垂れた。涙と唾液の混ざったものが床を濡らす。隆景は元春の反応がないことを確かめると、頬を軍配で殴った。唇から血が飛ぶ。
「まだまだこれからというところで気を飛ばすとは、失礼ではありませんか」
 虚ろに目を開いた元春に顔を近付かせる隆景の表情は真剣そのものだ。何も言葉を出さずに朦朧と隆景を見上げる元春の下半身では蛇が身体を収めようとして蠢いている。隆景は不意に微笑むと元春に口付け、鉄の味が染み付いている舌を舐めとった。
「ぐ、うぅっ、たの、む……隆景、たすけっ、はがっ」
 懸命に助けを求める間にも、蛇は元春の血に鱗を濡らしながら突き進む。時々ちろちろと舌を出して腸の壁を舐め、また丸まろうと首を傾げてより傷を広げた。
 このまま食い破られてしまうのだろうかという恐怖が、元春を襲う。自分が果てるのは戦の先でと決めている。こんな形で死んでたまるものか。少し灯った目の光だったが、激しくうねる蛇がそれを奪う。腸液と血液の混ざったものがぐちゃりぐちゃりと唄う。
「あ、に……き……」
 再び薄れようとする意識の中で、元春はその呼び名を口ずさんだ。
 不意に、大きな物音がした。呼び戻された意識で元春がその音を確認すると、隆景が床に倒れていた。眠っているように見えた。遠くから勝鬨が耳に入る。清盛が倒されたのだとすぐに分かった。
 助かった――と思うもつかの間、体内の蛇がより活発に動きだし、ばたばたと暴れるようにその身をくねらせる。元春は歯を食いしばりながら、何度も肩を大きく震わせた。
 ここに幽閉されていることを知っているのは、今その場で眠っている隆景しか居ない。ましてや不敗の猛将、元春が人並みはずれた力を与えられていたとはいえ弟に敗れて連れ攫われるなど、味方は思わないだろう。
 元春の心に僅かで確かな絶望が巣食う。
「はっ……」
 息を、呑んだ。
 蛇は時折外へと後退すると、再び突進を開始した。また気分次第で壁を押し上げ、腹に存在を浮き上がらせる。直腸を通り抜けることもあった。元春は、ただ喘いだ。消えそうになる自我で思うのは、自分が兄を護ると宣言したときの記憶だった。
 家を、兄を、弟すらも護れずに死ぬというのは、元春にとっては恥辱よりも堪え難い。
 にゃあ、と猫の鳴き声がした。元春の力のない瞳に猫が映り込む。猫は、扉の少し前に居た。元春からは見えなかったが、扉は僅かに開いている。遠いその猫は元春を見つめていたが、もう一度にゃあと声を上げると隙間から外へと逃げてしまった。

 軋む音を立てて扉が開く。
 中は暗く、一見何も無いようにも見える。隆元の足元で猫が鳴いた。
「何か……あるの?」
 問いかけると猫は鳴き、また逃げ出した。
「あっ、ちょ、ちょっと!」
 呼び止めた頃には既に影もない。隆元は仕方なく一人で奥へ進んだ。何か、物音が聞こえる。刀を握り、広間へ踏み出した隆元は目を疑った。
 倒れる三男の先で、鎖に胴と両腕を繋がれた次男が大蛇に陵辱されている。元春は既に小さな喘ぎを繰り返すのみとなっていたが、隆元が駆けつけるとはっと気付いて顔を上げた。
 兄貴。
 声にはならなかった。隆元は迷いなく蛇に刀を突き立て、弟の体内から引きずり出した。そして刀を抜き、今度は頭を貫く。蛇は動かなかった。カラン、と刀が転がる。
 隆元は何も言わずに元春を強く抱き締めた。
「……兄貴……?」
 ぎゅうと胸にかき抱かれている内に、元春から涙が溢れた。
「ごめんね……」
 隆元が震えた声を出す。
「遅かったよね……助けてあげられなくて、ごめん……」
「何いってんだ……ちゃんと来てくれたじゃ、ねぇか」
 微笑もうとするが涙は止まらない。しかし元春は首を振って己を制した。
「隆景は、大丈夫なのか」
「怪我でも、」
「いや、急にぶっ倒れた……多分、術が解けてすぐだ」
 隆元は元春から離れ、隆景の背を揺さぶった。数度繰り返すと隆景はゆっくりと目を覚ました。
「兄上……?」
 暫くぼんやりとしていた隆景は元春を見つけるとすぐに立ち上がり、もつれるように駆け寄った。
「兄上、私は……!」
「あー……取り敢えず、この鎖外してくれねえか?」
「は、はい」
 隆景は慌てて鎖を外し始めた。隆元もそれを手伝う。
「うお、っと」
 解放された元春は支えるものを失い、そのままへたり込んだ。
「わり、立てねえみたいだ」
 涙を拭いて笑うものの目元はすっかり赤くなってしまっている。隆景はその肩に顔を埋め、隆元は二人ごと腕に包んだ。兄弟に囲まれた元春は驚いて苦笑する。
「申し訳ありません、兄上」
 隆景が顔を上げることはない。
「お前、記憶が」
「ありません……しかし、大体は想像がつきます。私は兄上に許されがたいことを……!」
「……うーん」
 元春は力なく頭を掻くと、その手で隆景を撫でた。
「お前がしたくてしたことじゃねえだろ? 第一、俺はお前を叱ろうだなんて思っちゃいねえし怒ってもないって」
「しかし、兄上」
「俺をこれ以上困らせてくれるな」
 元春は笑っている。隆景はやっと顔を上げた。口の中に鉄の味が残っていることを不思議に思っていたが、元春の口元が赤く汚れていることに気付き、また顔を逸らした。
「元春……本当に大丈夫……?」
 緩やかに腕を解きながら、隆元はそっと元春の顔を覗き込む。
「大丈夫、ってわけでもねえけどよ……取り敢えず、服直したいから一旦どいてくれねぇか?」
「あ、ご、ごめん」
 隆元が離れると隆景も身を離し、やっと自由になった元春は乱れた衣服を適当に着直した。足に伝っていた自分の血は、帯の内側で拭う。血は止まっていたが、少しふらつく。だがこれ以上兄弟に心配をかけるわけにはいかないと何でもない振りをする。
「……そういえば兄貴、何でここが分かったんだ?」
「え、っと……猫が」
「猫? ……そういえばいたな」
「二人を捜してたら、猫が見えて。何だか鳴いてるし、追いかけてきたらここに……」
「へえ。こんな形になってても、一応ご利益があるってことかねぇ」
 元春は二人の手を借りて立ち上がったが、すぐによろけて隆元に寄りかかった。くつくつと笑う弟を隆元は訝し気に見る。
「……ありがと、兄貴」
 弱々しいその声に元春の受けた傷の重さを知り、同時に隆景もまた深く傷付いているだろうと思いながら、隆元は自分の無力を嘆いた。




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