毛利家4


 空は確かに明るかった。
 そう、確かに青空だったのだ、と晴賢は考える。外へ出るまでは雲が殆ど広がっていなかったはずだ。
 それが今、青は暗く厚い雲に覆われてしまっている。
「これは……」
 一雨どころでは済まない、と踵を返すが早いか、雨がどっと降り始めた。大粒の雫が激しく落ちる。あっという間に濡れ鼠になってしまった晴賢は舌打ちをしながら何処かの軒先に避難した。しかしそれでも容赦なく雨は晴賢を襲う。
 晴賢は諦めたように壁へ背を預け、牙を剥いた入道雲を見上げた。
「……あの日のようだな」
 一人、ごちる。
 温い風が吹いていた。もはや雨に打たれることなど構わず、晴賢はぼんやりと空を見ていた。
 あの日、厳島の地は激しい風雨に晒され、その隙を利用した元就の奇襲により晴賢は敗戦を喫した。しかし隆元に許され、今は毛利の管理下に置かれている。
 晴賢は目を閉じた。自分に付き従った兵は殆ど厳島の泡に消えた。大将であった自分は、生かされている。
「私は……何をしているのだ」
 何故あのとき自分で腹を切らず、隆元に判断を委ねたのか。散っていった者に顔向けが出来ないのではないか。晴賢の後悔は止まらない。雨粒のように、晴賢の心に降り注ぐ。
 雷鳴が轟いた。
 晴賢ははっとなって目を開いた。
 目の前に傘を開いた元春が立っていた。
「探したぜ」
 元春は、晴賢が自分に気付いたことを知ると、白い歯を見せてにこにこと微笑んだ。
「……元春」
 かつて義弟だった男だ。晴賢は少しだけ光の戻った目で元春を見た。もう一つ、傘を手にしている。
「帰ろう」
 大きめの声で元春が言い、傘を差し出す。晴賢は俯いた。真っ直ぐに自分を見つめる視線が肌に突き刺さる。
「私はいい」
 晴賢の返答は雨に掻き消された。
 何も聞こえなかった元春が首を傾げる。
「アニキ?」
 無理矢理傘を持たせようとする。だが晴賢は尚も拒絶した。俯いたまま首を左右に振る。
「私は、いい」
 今度ははっきりと聞こえる声で言った。
「そこは、私の帰るべき場所ではない」
 晴賢の乱れた前髪から雫が伝い落ちる。元春はそれを目で追った。雨粒と混ざってすぐに分からなくなってしまう。
「……アニキ」
「その呼び方も止めろ」
 耳障りだ――と晴賢は叫ぶ。だが雷の轟音が重なった。それでも、唇の動きで、元春には伝わった。元春が哀し気に眉を垂らす。追い打ちをかけるように晴賢は睨んだ。
「どうせ全て、元就殿に利用されるための策略に過ぎなかったのだろう」
「……それは違ぇよ」
「何が違う!」
「あのときは、まだ何も決まっちゃいなかった。何も変わっちゃいなかった。変えたのはお前だろ?」
「……」
 晴賢は黙り込む。元春が間違ったことを言っていないと分かっているからこそ、何も返せない。
 佇む義兄弟を土砂降りが引き裂く。
「義兄貴」
 雨音にも雷鳴にも負けない声で元春は呼んだ。
「帰ろう。お前の居場所は、うちなんだ。……少なくとも今は、な」
 にこりと元春が笑う。
 再三差し出された傘を、今度は晴賢も拒否しなかった。
 既にずぶ濡れになってしまった服を引き摺りながら晴賢は傘を開く。内にも雨の轟音が響くが、構ったものではない。
 歩き出した晴賢の隣を、くすりと笑いながら元春が追う。普段はきっちりと整えられている晴賢の髪は乱れ、固められた前髪もばらけて額に張り付いている。その一見無頓着に見える義兄が少し、微笑ましい。
 視線に気付いた晴賢が眉を寄せて元春を睨み上げた。
「何だ」
「別に?」
「ならば何故――くしゅっ」
 表情とは裏腹に可愛げなくしゃみをした晴賢に元春は噴き出してしまう。更なる不機嫌を買ったことは、言うまでもない。
「ほら、風邪ひく前に帰ろうぜ」
 足早になる元春に「言われなくとも分かっている」と吐き捨てながら、晴賢も走り出すのだった。




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