毛利家3


「じとじと、じとじと……」
 畳に転がりながら幸鶴丸は人形のように繰り返した。
「嫌な時期ですね、父上」
 ぽつぽつと障子に黒い点が映っては流れていく。書に目を落としていた隆元は顔を上げ、首を傾げた。
「外で遊べないから、かな?」
「はい」
 毛利の跡継ぎとはいえ、幸鶴もまだまだ幼い。今は普通の子供なのだ、思い切り駆け回りたいときもあるだろう。しかし生憎時期は梅雨、湿った空気と雨が幸鶴の前を阻む。この季節に嘆いているのは幸鶴だけにあらず、祖父の元就もまた、本は湿気に弱いと必死で対策をとっている。
「遊んでばかりも困るのですけれどねぇ」
 隆元の向かいで和綴じの紐を新しく替えながら、隆景がにこりと微笑む。う、と呻き、幸鶴は跳ねるように起き上がった。
「で、でも叔父上、昨日はちゃんとお勉強を」
「ええ。ですから、今日は初めからお休みにしようと思っていたのですが……この雨です」
 すっと目を細めて隆景は障子の方を見つめた。隆元は前髪で隠れた目を丸くし、そんな隆景を見る。
「い、意外、かな」
「何がです?」
「隆景、もっと厳しいと思ってたよ。い、いや、そもそも私が父親なんだけど……」
「兄上には幸鶴丸様の躾よりも大切なことがあられますので」
「た、隆景もじゃないの……?」
「実質上、私らの家も毛利の為にありますから、それ以上に大切なことなどございません」
 幸鶴丸様も同様に、と隆景は微笑む。隆景には実子がいない。だが、幸鶴丸の前では本当の親である兄よりも優しい瞳を見せることすらある。――その十倍、厳しくもあるが。
 隆景は背を丸め、少し怯えた様子の幸鶴丸と目線を近付けた。
「しかし雨では仕方がありません。外にも出られませんし、昨日の続きでも如何で――」
「い、嫌ですっ」
 突然立ち上がった幸鶴丸は、ぺしっと可愛らしく隆景の肩を叩き、すぐさま走って逃げた。
「叔父上が鬼です!」
 珍しく目と口を開いたまま固まっていた隆景はその一言ではっとなり、同じように立ち上がって手を伸ばした。
「幸鶴様!」
「ど、度胸あるなあ……」
「要事以外では走っていけないとあれほど……! お待ちなさい!」
 自分で言っているからには、隆景はなるべく早足で歩いて幸鶴丸を追った。部屋の中をどたどたと駆け回る幼子と教育係。間の隆元はぽかんと見つめていたが、らしくない弟の姿を見ているうちに噴き出した。気付いた隆景が足を止め隆元へ何か言おうとすると同時に襖の方が開いた。
「おー、雨でも元気だな」
 にこりと歯を見せて笑いながら元春が入ってくる。はたと足を止めた幸鶴丸に近寄ると軽々と抱き上げた。
「元春叔父上!」
「よしよし、隆景に歯向かえるようになったとは上出来だな」
「兄上……!」
 反論した気に顔を上げる隆景を元春が笑顔で制止する。
「元々そういう予定だったんだろ? だったら俺が遊んでやるよ。なあ幸鶴?」
「はい、叔父上!」
「甘やかしすぎはいけませんよ兄上」
「……二人とも、私の子供なんだけど……な?」
 隆元のぼやきなど何処へいったものか、元春は幸鶴丸を抱き上げたまま部屋を出て行ってしまった。
 漸く書物を置いた隆元と、不機嫌そうにまた元の位置へ腰を落ち着かせた隆景だけが部屋に残る。
「全く、兄上は……」
 隆景は不貞腐れているようだった。ふふ、と隆元は笑った。むっとした視線が隆元に向く。
「何かおかしいことでも?」
「う、ううん、……でも、隆景にも可愛いところあるんだな、って……ご、ごめん……」
 言っている最中に視線が冷たく痛いものになり、隆元は何か言われる前に謝ってしまった。
 構いません――湿気のせいか、普段以上にくるくるとした自分の髪を撫でる、少し紅い横顔が言う。
「雨」
 隆景が障子を見た。
「止みませんねぇ」
「……梅雨、だからね」
 しとしと、しとしと。
 静かに穏やかに、雨は降り注ぐ。




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