清水の如く | ナノ

清水の如く


 かつ、かつ、かつ。
 石畳を細い踵が叩く。ぜえはあと息を切らしながら、またよろめきながら、隆元は走った。
「お、お待たせしまし、たぁっ!?」
 ――見事に躓き、そのまま地面に飛び込むと、ふわりとスカートが揺れた。
「あいたた……」
 額を擦りながら起き上がった隆元に手が差し伸べられる。
「何をやっている、早く立て。怪我はないだろうな」
「あ……は、はい……」
 恐る恐る手を握り返すと、ぐいと力強く引かれた。よろよろ立ち上がる。じっと見上げた男は普段通り眉間に皺を寄せていた。
「慌てて走るからそうなるのだろう。大体……何だ、その格好は」
「え」
 眺める視線につられ、隆元も自分の服装を見た。少し薄手の、フリルがついた白いワンピースに革紐のウェッジサンダル。白い布地から覗く腕と生足が眩しい。
「お、おかしい……かな……?」
 いつもは目を覆う程長い前髪を片側だけピン留めで除け、はっきりと見えるようになったその片目で隆元は男を、晴賢の顔を見つめた。
 隆元とは反対に、いつもの白い衣装とは違う、しかし変わらずスーツのような紺色のジャケットを羽織って、いかにも不機嫌といった表情の晴賢が隆元の胸元付近を指差す。
「問題大有り、といったところだ。雨でも降ったらどうする!」
「え、ええと……それもそう、だけど……」
 何故待ち合わせ早々に説教をされているのだろう、と隆元はぼんやり思った。

「ああ、デリカシーのない男ですね」
 二人が待ち合わせていた場所近くの喫茶店――その大きな窓ガラス越しに隆元たちを見ていた隆景が、素っ気なく呟いた。ぶら下がったイヤホンのコードは鞄の中へと続いている。一つのイヤホンを片耳ずつ共有しながら隆景の隣でコーヒーを飲み、元春は笑った。
「まあ、そう言うなよ」
「両家の関係がこの先どうなるかはお二人にかかっているというのに……」
「それはちょっと気が早いんじゃないか?」
「……すまんが」
 朗らかに喋る兄妹に口を挟んだのは、向かいに座る隆包だ。
「どうしてこうなった……?」
 頭を抱える隆包。彼は、陶家の御曹司である晴賢の面倒見役だ。そして隆元を含むこの二女一男の父親、元就の親友でもある。自分の主と親友の長女が休日に二人で出掛けると聞き、傍からこっそりと見守ることにしたのだが――それを、同じく隆元の後をつけていた元春と隆景に見つかって今に至る。
 という旨のことを隆景は改めて説明した。隆包は、
「それは知っている」
 と頭痛を覚えながら言った。
「……で、何だそのイヤホンは?」
「お姉様の服を見立てた際に少し、仕掛けさせて頂きました」
「それが妹のすることか……」
「お互い様では?」
 貴方も心配でつけていたのでしょう、と隆景は言う。元春がコーヒーを飲み干した。
「まあ、俺らもそこまで野暮な真似をするつもりじゃないよ、弘中さん。そもそも今日は隆景の買い物に付き合うだけの予定だったんだし」
「元春君が一緒だと、元就も安心出来るだろうな。こんな可愛らしいお嬢さんが街中に一人では何があったものか……」
「アンタは本当に誰にでも過保護だねぇ……」
 カランカラン、と喫茶店のドアが鈴を鳴らして開いた。反射的にそちらの方向へ視線を動かし、――隆包は額に汗を浮かべた。
「も、元就?」
「やあ」
 噂をすれば、とでも言うように、父親の元就は片手を挙げて真っ直ぐにこのテーブルへ向かってきた。
 元就は親友だが、少々、いき過ぎた愛情を隆包に抱いている。だから隆包もつい身構えてしまう。
「今さっき連絡を受けてね」
 隆包は恨みがましく二人の子供を見たが、目を逸らされてしまう。諦めたように溜め息を吐いた。
「元就……少々むさ苦しいが、暇なら本でも探しに行くか?」
 自分たちも、盗聴器まで仕掛けて視察に来ていたくせに――父親まで呼び出して晴賢らから離そうとする元春と隆景にいくらか倒錯した兄妹愛を感じながら、隆包は、ちらりとガラスの外へ視線を向けるのだった。
 人ごみの中に見知った顔はない。

 夏らしい強い日差しに照らされ、隆元は少し、ふらついた。雲一つない青空は日陰すら作ってはくれない。晴賢はむっとした顔を崩さずに隆元の背中を軽く支えた。
「まだ六月だというのに、随分と暑いな」
「きょ、今日は特に……そうです、ね……」
 ぶつぶつと天候への文句を呟く晴賢の影に隠れながら、隆元はくすりと微笑む。不器用な気遣い方に気付かない程隆元は鈍感ではない。鈍い部分も多いが、人の想いや考えなどには弟妹よりも詳しいくらいだ。それを自分の、唯一の長所と思っている。
「帽子も借りてくればよかった、かな……」
 自分の頭に手を翳し、隆元は呟いた。「借りて?」と、晴賢が聞き返す。
「あ、う、うん。今日の服、本当は隆景が全部選んだんだ……」
 言っているうちに恥ずかしくなり、隆元は俯いた。いい歳をして妹に服を決められるなどと、あまり誉められたことではない――だが晴賢は然程気にし様子もなく、手を顎につけ、ふむと呟いた。
「道理で普段と少し違う格好をしているわけだな。いつもならそこまで肌の出る服や靴は着るまい」
「わ、わかる……かな」
「ふん、見くびるな。……とはいえ、私も今日は隆包に無理矢理着せられたのだが」
「ひ、弘中さんに?」
 口元を両手で覆った隆元は、しかしすぐにその情景を思い浮かべ、くすくすと笑った。晴賢がその気でなくとも、隆包があの手この手で身嗜みを整えさせたのだろう。
「全く、もう子供ではないと言っても聞かん」
「弘中さんは、陶さん……ええ、っと、は、晴賢さんが、大切なんだね」
「あれは親みたいなものだ。歳は同じだったはずだがな」
 すっと前の壁が黒くなった。ふと隆元が斜め後ろを見上げると、いつの間にかビニールの屋根が張り出すショップ街にきていた。もう直接日差しが当たることはない。
「の、飲み物、買おうと思うんだけど……何がいい、かな」
「アイスティー……と言いたいところだが、その前に」
 ゆったりと歩いていた晴賢が突然足を止めたので、隆元も慌ててその数歩後ろで止まった。ぴょこんと小さく跳ねた髪が揺れる。
 振り向いた晴賢の目線は別の何処かにあった。言いにくいことでもあるのかな――隆元が首を傾げる。晴賢の唇が動く。
「手を、繋がせろ」
 隆元はきょとんと目を丸くした。
「……え」
「嫌なら強要はしないが……」
 仏頂面の眉を下げ、何処となく不安げにそっぽを向いた晴賢が妙に可愛らしく、隆元は眉をへにょりと下げて微笑んだ。
「や、だな。最初に握ってくれたのはは、晴賢さんの方だ、よ」
 今度は隆元の方から手を差し伸べる。じっと睨んだ晴賢は、ふいと視線を避けたままその手を乱暴に掴んだ。

 同じアイスティーを持つ二人を、曲がり角からそっと見守る影が二つ。
「この様子だと、暫く警戒する必要もなさそうだな……」
「お姉様に手を出されるのであれば、まずは私どもに話を通して貰わなければ。そうでしたね、お兄様」
「幸いにもお互い奥手みてえだし、心配はいらねえか」
 買ったばかりのミニスカートを翻し、ハイソックスから逃げる太腿を見せつけんとばかりに、隆景は元春の前へ躍り出た。
「さあ行きますよ、お兄様。まだ買い物は済んでいませんので」
「……おいおい、何件目だよ……」
 いくつかの紙袋を手に提げた元春は、溜め息を吐きながらもくっと笑い、我が儘な妹の後を追った。
 その直前に誰かへのメールを打って。

 着信音に漸く気付いた元就は自分の服をがさごそと探り出し、やっと携帯電話を探し当てた。
「もう少し覚えやすい場所に入れていたらどうだ……」
 隣を歩く隆包が呆れて小言を言う。しかしもう慣れているので構わず、送られてきたメールの文面を見て、元就はにこりと微笑む。
「うん、まだまだ陶とは良好な関係を保てそうだね」
 陶、と聞いて隆包も興味を引かれ、元就の後ろから画面を覗き込んだ。
 本文はない。画像が添付されているだけのメールだった。
 画像の中では、互いの宝物が不器用に指を結んでいた。
「……野暮な真似はしないのではなかったのか?」
 首を傾げる隆包に、元就は、「うちの子をそのまま信用しちゃいけないよ」と言って上機嫌に笑うのだった。




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