裾に取り付き泣く子らよ | ナノ

裾に取り付き泣く子らよ


 木々の隙間から光が溢れる中を、二人は手を繋いで駆けていた。
「あ、あにうえ」
 足をもたつかせながら、徳寿は困ったような声を出して次郎を見上げる。
「こんなことをして、父上に叱られないでしょうか……」
「大丈夫だって。そのときは俺が無理矢理連れ出したことにするからさ」
 父親の家臣に連れられて訪れた山、そこで鷹狩りをするはずが、見ているだけで退屈に思えた次郎が徳寿の手を引いて逃げ出したのだった。
 当然、それに気付いた家臣団は慌てて捜索を始める。しかし身体の小さな二人は獣道を走り抜け、その声も聴こえないところまで入ってしまっていた。
「ところで、何処へ向かっているのですか?」
 半ば戻ることを諦めた徳寿が尋ねると、次郎はにっと子供らしく笑った。
「山の中に、誰も住んでない庵があんだ。その近くに燕子花が生えてたんだが、そろそろ見頃だろ?」
「では、それを見るために?」
 一体いつそれを見つけたのだろう、と徳寿は走りながら考える。きっと、以前もこうして勝手に抜け出したに違いない。全く元気な兄だ、と徳寿までつられて笑う。
 青々と茂った草木に時折目を奪われながら、二人は走る。
「あ、」
 不意に徳寿が声を上げた。物陰を見つめる徳寿を不思議に思い、次郎も足を止める。
「どうした?」
「今、そこに何か」
 居た――と言う前に――徳寿の視界は影に覆われた。
「うわ、あ!?」
 血走った瞳と目が合う。鋭い牙を剥き出しにし、また泥まみれの体毛を現したそれは、狼と見間違える程大きな野犬だった。
「徳!」
 咄嗟に徳寿を突き飛ばした次郎はその場に転がっていた石を拾い、野犬に投げつけた。それを身体に受けた野犬は低く唸り、仰け反る。その隙に次郎は折れた太めの枝を手に取った。体勢を立て直した野犬が唸りながら次郎を睨んでいる。
「あ、兄上……」
 へたり込んだまま、徳寿は不安そうな声を上げた。
 野犬が、飛び出した。自らに襲いかかろうとする野犬に向かって次郎は枝を振った。野犬が枝に食らいつく。そうなると、次郎の方が重さに耐えられなくなる。振り払おうとした次郎に伸びた爪が突き刺さった。
「このっ……」
 頬から血が流れ落ちる。兄の痛々しい姿に徳寿はカタカタと震えた。その様子を一瞬だけ顧みて、次郎はじゃれつくようにのしかかる野犬を蹴飛ばした。
「徳寿、逃げろ!」
 そう叫ぶのだが、徳寿は首を振る。腰を抜かしてしまって、暫く歩けそうにない。次郎は軽く舌打ちし、しかし徳寿に笑いかけた。
「心配すんな」
 こちらを伺うように間合いを取る野犬を見つめ、次郎は息を整えて棒を握り直した。すっと目を細める。思い出しているのは、日頃の稽古だ。
 ――相手は、敵だ。
 もう少し長ければよかったんだがな――木の棒を見てそう笑う。血が沸騰していたが、頭は冷えきっていた。
 じゃり、と足を出すような振りをする。野犬は唸り、次郎に襲いかかった。棒を突き出す。野犬が身を翻し、飛びかかる。次郎の両肩に爪が刺さり、食い込む。
(兄上!)
 叫びたいのだが、徳寿は泣き出してしまって声すら出せない。
 しかし次郎は計算通りとでもいうように、にやりとほくそ笑んだ。短く持ち直した棒で野犬の腹を殴り、続けて今度は蹴り上げる。流石に堪らなくなった野犬は悲鳴を上げながら牙を抜き、次郎を睨みながら叢へ姿を消した。
「あ……」
 徳寿はやっと声を出した。その瞳から涙がぼろぼろと溢れる。木の棒を放り投げた次郎の肌には多くの傷がつき、血を流している。
「あ……に、うえ、ぇ……」
「大丈夫だから泣くな、ほら」
 堰を切ったように泣く徳寿に次郎は辟易して頭を掻き、んー、と考えた後に徳寿の頭へ泥だらけの掌を置いた。
「お前は、怪我ないか?」
「ひっく……は、い……」
「よし。じゃあ、泣くな。男がそう簡単に泣くもんじゃない」
「で、も、兄上が……」
 次郎の傷を見て、徳寿はさらに泣きじゃくる。大丈夫だ。次郎はもう一度くり返し、徳寿の髪を掻き乱した。
「あー、分かった分かった。もうこんな怪我はしねぇ。お前の笑顔まで護れるように強くなってやる。もう、お前が泣かなくてもいいように」
「兄上……」
「泣くな、徳寿」
 潤んだ瞳が真っ直ぐに次郎を見上げる。じっと、暫く見つめ合う。徳寿は汚れた袖で顔を乱暴に拭った。それから無理矢理笑顔を作った。
「は、い、兄上」
「よし」
 次郎もにこりと笑う。遠くから、次郎と徳寿を探す声が響いてきた。
「おっと、見つかるのも時間の問題だな……仕方ない、今日は諦めるか」
「きっと叱られる、でしょうね……」
「この様だしなぁ」
 溜め息を吐き、背伸びをする次郎に徳寿が抱きついた。よろめいて支えるところを見つけた、という方が正しいかもしれないが、小さな手は次郎の袖をぎゅっと握っていた。
「帰りましょう、兄上」
 次郎は目を細め、――口元を緩めた。
「ああ、そうだな」
 散々叱られ、心配され、冗長な説教をされ。それでも二人はこの日のことを後悔してはいない。
「お前は、俺が護るから」
 手を繋いだ帰り道、次郎がぽつりと零した言葉は今も、二人の、胸の内に残る。




▲ページトップへ
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -