ミスター・パーフェクト | ナノ

ミスター・パーフェクト


 中国と近畿地方との間で、小規模な戦が起きた。
 国同士の争いという程のものではない。寧ろ一揆と言ってもいいものだった。
 隆元は、いい機会だから同盟相手をよく知っておくといい、という元就の言に従い、立花の現当主と轡を並べていた。
「この程度、俺たちが出るまでもないのでしょうが、元就公の命とあらば仕方ありませんね」
 宗茂は笑いながら言った。その傍で隆元が首を傾げる。
「立花は、我ら毛利と対等な関係にある……と父上は仰られていた、けど?」
「元就公がどう思われようと、こちらは一度毛利に敗れた身。同盟といえども毛利には、元就公には逆らえないし、逆らいたくもないものだ」
 答えになっていない気もしたが、隆元は言及しなかった。ただ今は、この若者が放つ空気に圧倒されかけている。自分とは明らかに違う、自信と裏付ける実力に満ちた若者を、隆元は眩しそうに眺めた。宗茂の瞳がその視線を捉える。
「それで、どうするのですか、隆元殿」
「ど、どうするって」
 隆元は自分に指揮が任されていたことを思い出した。正直、荷が重いと思っている。隆元は目を細めた。
「で、では。参りましょう。立花の働き、しかとこの目に見せて頂きます」
「ふ、ちゃんと見えていればいいのですがね」
 せっかく凛々しく命を出そうとしたものを宗茂が茶化したので、隆元は長い自分の前髪に手を乗せ、僅かに赤面した。
 戦自体はすぐに決着がついた。西国一の剛勇が出ているのだ、烏合の衆を相手にするなど赤子を抱き上げるよりも容易い。瞬く間に討たれ、あるいは恐れをなして散り散りに逃げていった。
「もう、いいよ」
 刀を下ろし、隆元は掠れた声を上げた。
「これ以上何の意味もない、と思う」
「同感ですね。こうしている間に、向こうが攻められてもいけない。まあ、寧ろそちらの方が本命ですかね」
「表向き、毛利の当主は私だから……。毛利立花の現当主が出れば、後ろを手薄と思うかもしれない……」
「警戒して何も起こらなければ、それでいい。ま、俺と隆元殿が出たところで戦力はそれほど変わりませんがね」
 宗茂が隆元の少し後ろに立ち並び、二人は兵に撤退を命じた。
「――私は、囮くらいの価値ならあるの、かな」
 帰る道中、隆元がぽつりと呟いた。手綱を操りながら宗茂は声をかける。
「どうかしましたか?」
 隆元は首を左右に振った。
「い、いいえ。私には、ご存知の通り父上や弟のような才能が、あ、ありませんから」
 その横顔は、宗茂の目には寂し気に映った。

 結局――それ以上の騒ぎはなく、七日程過ぎた。
 宗茂は毛利の屋敷を訪れていた。
「呼んでもいないのに、暇なことですね」
 門の前には隆景が立ちはだかっている。敵意を剥き出しにした隆景にも宗茂は笑顔を向けた。
「ああ、態々隆景殿の方から出迎えて下さるとは。嬉しい限りです」
「誰が貴方などを出迎えようとしますか。追い返しに来たのです」
「それは困りましたね。貴方と話せただけでも勿論良いことなのですが、俺は他に用があるのですよ」
「ならば正式な方法でお訪ねなさい。私もそれなりの対応をさせて頂きます」
「隆景殿がお相手して頂けるのなら、次はそうしてもいいのですが」
 宗茂が微笑み、隆景が眉を顰める。
「先に言った通り、今回は貴方に逢いにきたわけではないのです。申し訳ありません」
「話をねじ曲げないで下さいませんか。ああ……本当に面倒ですね貴方は」
 今にも噛み付かんとする隆景に、宗茂は寧ろ詰め寄った。
「どうしても通しては頂けませんか」
 悪寒を覚えた隆景は一歩下がる。
「それは立場上の問題でしょうか。それとも、貴方の私情ですか?」
「……このようなことに私情を挟んでどうなるのです」
 冷たい風が流れた。屋敷の方が、少し騒がしくなった。背後の気配に隆景が舌打ちする。
「よう、宗茂、来てたのか」
「兄上……」
 元春だった。宗茂とは特別仲が良いというわけでもないが、嫌ってもいない。分が悪い、と隆景は感じた。
「そんなところで話してないで入ったらどうだ?」
「そうしたいのは山々なのですが」
 いかにも悲し気な表情で宗茂は隆景を見る。――これでは悪者にされかねない。隆景は諦めて身を翻した。
「……ご案内しましょう」
 くす、と宗茂が思わず笑い声を洩らすと、隆景は肩越しにきっと睨んだ。貴方を許したわけではありません。そう目で訴えている。次いで、元春をちらりと横目にする。――兄上が仰るので。
「妬けますね」
 隆景は軍配を持って出なかったことを後悔した。

 廊下を、元就が歩いていた。何冊かの本を手にしている。宗茂を認めるとふっと微笑み、「やあ」と小首を傾げた。
「この間は悪かったね。今日はまた、何の用だい?」
「ええ、申し訳ないのですが、元就公に逢いにきたわけではないんですよ」
 眉を下げ、本当に申し訳なさそうに宗茂は言う。元就は意外そうな顔をした。
「では、誰に?」
「隆元殿と話がしたいと思いまして」
 これには元春も少し驚き、また隆景はより不快そうな表情を浮かべた。
「それはまた……あの子なら、部屋で本を読んでるんじゃないかな?」
「そうですか。通してくれますか、隆景殿?」
「何故私に聞くのです。父上にお尋ね下さい」
「まあまあ、案内してあげなさい」
「……畏まりました」
 元就に命じられては、隆景も頷くより他にない。その肩にぽん、と元春の手が乗せられた。
 仕方なく歩き出した隆景の後ろを付いて行く前に、宗茂は本を抱える元就の手を自らの手で包み込んだ。
「今度は直接、元就公をお尋ねしますので」
「ん? あ、ああ」
 困惑する元就の傍で元春が苦笑する。
「お前は相変わらず節操ねぇな……」
 宗茂はにこりと満面の笑みを向けた。
「節操がないとは心外な。俺は全て等しく愛しているだけですよ」
「その口、永遠に閉ざされたくなければもうお黙りなさい」
 舌打ち混じりに吐き捨て、隆景はつかつかと廊下を早足に歩いた。宗茂は笑顔のままその後ろを追った。
 ある部屋の前で隆景は足を止めた。苛ついた声を上げる。
「兄上、宗茂殿がお逢いしたいそうなのですが」
 障子は、すぐに開いた。量の多い髪をいつもより乱れさせた隆元は、どう見ても寝起きである。「兄上、」と隆景が声を上げると隆元は肩をびくりと跳ねさせた。
「い、今まで寝てたわけじゃないよ、その、忘れてた……だけで……」
「私は何も申してませんが」
 思わず小言を並べてしまいそうになり、隆景は咳払いをした。
「……では、私はこれで。後はどうなりと」
 さっさと駆けていく背中を半笑いで見送った宗茂は、それから隆元を見つめた。
「入っても構いませんかね?」
「え、あ、うん、散らかってる、けど……」
 わたわたと慌てながら隆元は部屋に入るよう手で促した。言葉の通り、部屋には本がいくらか散乱している。
「元就公に負けず劣らず、ですね」
「さ、流石にそこまでは……でも、私に何の用が……?」
「お話したかっただけですが、いけませんか」
「え、ええっ?」
 本を片付けようと拾い上げた隆元は、しかしその手を滑らせて落としてしまった。さっと顔を紅くする。
「そんなことはないけど……で、でも、何で?」
「先日の戦で興味が沸いたので」
 宗茂はさらりと微笑んでいる。先日の戦――と記憶を辿った隆元もまた、口元を緩めた。自虐的に。
「私には……そんな価値もない、よ」
 前髪に隠れた顔ではその表情も感情も分からない。
「私なんかより、元春や隆景の方が、ずっと……」
 宗茂は俯いた隆元の旋毛を見下ろし、それからあえて目を逸らした。
「……やれやれ、それを本気で言っているのなら確かに興ざめだ」
 いつもとは違う真剣な声に隆元は顔を上げた。宗茂はこちらを見ていない。
「貴方は、」
 宗茂の瞳が動く。隆元の姿が映る。宗茂は目をすっと細め、くすりと笑った。
「もう少し、自分の良さを理解した方がいい」
 隆元の顎を宗茂が指で押し上げる。ずっと年下である宗茂の言動に頭がついていけず、隆元はぽかんと口を開いたまま何の反応も見せない。
「そのように卑屈なところも、跳ねた髪も、俺からするととても可愛らしいものですよ」
 言葉を、噛みしめ――隆元ははわわ、と顔を真っ赤にした。とはいえ、その視線はやはり見えない。
「わ、私には宗茂殿の方が分かりません!」
 宗茂の手をどけさせるため、あるいは動転を誤摩化すため、隆元は何度も腕を動かして宗茂を叩こうとした。が、剛勇の前では子供の足掻きだ。
「まるで小動物だ」
 隆元に聞こえぬよう口の中で呟き、宗茂は爽やかに微笑んだ。

 そしてまた何度か太陽が沈んで昇り、相変わらず何の断りもなくひょろりと顔を見せた宗茂を出迎えたのは、やはり隆景だった。
「ですから、何度言わせるのですか」
 今度は軍配を手に持ち、もう片方の掌に何度も叩き付けながら、しかし笑顔で隆景は言う。引き攣っては、いたが。宗茂は勿論動じない。
「もしや、この間無下に扱ったことを怒っておられですか?」
「貴方は一度頭を割って中を確かめた方がいいのでは?」
 門前でのやり取りは、これを見ていた門番によって元就の耳に入る。家中の誰も、宗茂を前にした隆景と関わりたくはないのだ。抑えられるのは彼の家族くらいなもの。
 泣き付かれた元就が、頭を掻きながら出てきた。
「やれやれ、隆景、そろそろ諦めてはどうかな」
「父上……ですが」
「宗茂は言ったって聞きはしないよ」
「流石は元就公、よく分かっておられだ」
 自分を挟んで笑い合う二人が、隆景からすると面白くない。同じく知らせを受けた元春も駆けつけ、まあまあと隆景を宥めた。
「それより、暇ならちょっと付き合えよ。身体動かした方がすっきりするだろ」
「ああそうだ、元春殿、またの機会に俺と打ち合ってはくれませんかね。毛利家最強の武にも興――」
「参りましょう兄上」
 宗茂の台詞をわざとらしく遮り、隆景は元春の背を軽く叩いて促した。去っていく二人を見送った元就は苦笑する。
「君は、本当に見境がないね」
「まさか……今のは本当にただの興味本位ですよ」
「今のは、ね」
 元就はぐっと背伸びした。
「……さ、せっかく来たんだから、ついでに私の部屋の片付けでも手伝ってくれないかな。隆景に叱られる前にやってしまおうと思っていてね。隆元も手伝ってくれていたのだけれど……」
「ええ、俺でよければ喜んで」
 宗茂は元就と共に倉庫のような書斎へ向かった。一人で本を拾い集めていた隆元が、宗茂を見て背筋を伸ばす。
「む、宗茂殿」
「どうも」
 息子の、普段よりもっとおどおどしている様子を見た元就は、「そのうち立花に乗っ取られはしないかな……」とどうしようもない危惧を抱くのであった。




▲ページトップへ
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -