なまごろし。(夜) | ナノ

なまごろし。


 隆景の苛立ちは目に見えて酷かった。
 何の失態も犯していない兵までついでに叱責し、普段よりも手が出るまでにかかる時間が短い。それも遠慮なく殴ってしまう。元より慣れた、寧ろそれが目当ての者も多いので、隆景への忠義が揺らぐこともないが――空気は少し冷えていた。
 誰も声をかけられぬまま、夜が訪れる。
 部屋に戻った隆景は着替えると同時に己を呪った。本当に、ただの八つ当たりではないか。子供の我が儘だ。兵は自分の道具ではない。理解しているのだが、今は感情が尖ってしまっている。帯を締める作業にすら苛ついてしまい、隆景は帯を落としてしまった。
「本当に、不甲斐ないですね……私は」
 月が出ていた。背後の障子を閉ざす気はない。どうせ、誰も部屋にさえ近付いてはこない。銀色の光が差し込み、隆景の影を淡く象った。隆景はその場に膝をつき、そっと照らされた畳を撫でた。自然と頬が緩む。死の光は、優しかった。
 光にもう一つ、影が重なった。隆景は殆ど反射的に衿を握り、袖を通しただけの着物で身体を隠そうとした。男児として、身体を見せることに抵抗があるわけではない。もっと別の理由、原因からだ。
「よっ。何してんだ、変な格好して」
「あ、兄上……」
 どうして、と尋ねようとして隆景は昼に兄が口にした言葉を思い出した。――話の続きはまた夜に。確かにそう言われたのだが、忘れる以前にそもそも信じていなかった。
「申し訳ありません、服を着るので暫しお待ち下さい」
 隆景は何とか冷静を装ってそう言い、落ちていた帯を取ろうとした。しかし「隆景」という低い声で動きを止めてしまう。耳から入る音が身体を支配している。つくづく自分が兄に惚れていることを知り、隆景は自分のどうしようもない部分を改めて認識する。
 元春は隆景の背をじっと見つめたまま口を開いた。
「何で、俺なんだ?」
「……」
 答えようとして、隆景は唇を結んだ。答えは、何処にもない。自分の中にさえ。言葉にして納得させられるような理由などはなかった。だが、それでいいのかもしれない、とも思った。
「理由は……ありません。しかし、私は、兄上を……」
 ――あいしています。
 黙って聞いていた元春は隆景の頭に手を乗せ、乱暴に髪を掻き混ぜた。
「そっか」
 元春も膝をつき、後ろから隆景の首に腕を回す。
「じゃあ、俺も正直に言うが」
 ぴくり、と隆景の身体が強張る。膝の上に作った拳が僅かに震えた。耳を塞いでしまいたかったが、それも叶わない。
 目を伏せた隆景に更なる言葉が降り掛かる。
「結構前から、抱きたいと思ってた」
 隆景の思考は、別の意味で止まってしまった。
「……え、」
「いや、お前、割と女顔だろ? んな整った顔がずっと傍にあるとなぁ。あ、顔だけって言ってるわけじゃないからな」
「いえ私はそれでも嬉しいのです、が、その」
 隆景は今が夜でよかった、と心底安堵した。顔に熱が集まっている。月明かりのせいで正面から見られたならそれも知られてしまうことだったが、幸いにも元春の体温は背中から伝わってくる。
 ぎゅっと目を瞑り、隆景は口を開いた。
「兄上が望むのなら、私は……いえ、私も兄上に抱いて頂きたいと思っていましたので」
 これ以上に恥ずかしい言葉はないだろう、と隆景は思った。これ以上赤くなる余地がない顔を俯かせる。髪の隙間から首肌が覗く。元春は月光で微かに光るそこをじっと眺め、ふっと笑って口付けた。
「いいか、隆景」
 若干のくすぐったさを堪えながら隆景は顔を上げた。
「いちいち聞かないで下さいませ、私とて羞恥心に耐えられなくなることもあるのです」
「ああ、悪い」
 元春に促され、隆景はやっと身体を反転させた。銀鼠に照らされた頬はほんのりと菫色にも見える。嗚呼、月に見られている。隆景はいつも通り動かない頭でぼんやりと思った。

 元々半裸に近い格好だったので、隆景の纏う布はいとも簡単に取り払われた。乱暴に閉められようとした障子はまだ若干の隙間が開いていて、そこから光が差し込んでいる。誰かがここを通りかかったらどうするのだろう、という懸念も浮かんだが、脱ぎ捨てられた元春の衣類に意識が移ってしまう。
「よろしいのですか、私で」
 自分自身に言い聞かせるために隆景はそういう言葉を口にした。元春が怒ったように睨み下ろしてくる。
「聞くなって言ったのはお前だろ?」
「そう、でしたね」
 隆景はふっと口元を緩めた。もう何も気にするものか。今は、今だけはこの瞬間に集中しなければ後悔するだろう。自分の身体に覆い被さった元春の頭に手を伸ばし、隆景はその髪を結っている紐を外した。堅めの髪がぱさりと首の周りに下りる。
「兄上」
 自ら元春に口付けると、隆景は目元を赤くしたままはにかんだ。
「私は幸せ者です」
「……そういうのは、終わってから言うものじゃないのか?」
「ふふ、そうですね」
 子供のような笑顔を見せる隆景を懐かしく思った元春は、「徳寿」と幼名を呟いた。思い返せば幼い頃からずっと一緒だった。
 口付けを交わしながら、二人の肌はより近い距離で擦り合った。ずっしりと乗る元春の体重を重いと思うこともなく、隆景は睫毛を伏せた。唇を、舌を吸い合う。元春の少々乱暴な口吸いも、隆景には、兄らしいと受け取れた。
 重なり合った肉体の下半分では互いに熱を押し付け合っている。腹に擦れる、その濡れた熱を感じながら、隆景は溜め息を吐いた。昼間とは意味の違う溜め息だ。
「ああ、くそっ」
 元春が突然焦れたような声を上げたので、隆景は少しだけ驚いて目を見開いた。
「どうなさったのですか」
 身体を離し、眉を顰めて頭を掻きむしる元春は急いでいるようで、何か不都合なことがあったのだろうかと不安になった隆景だが、考えてみれば不都合なことだらけだと寧ろ開き直った。今は姓が違えども、兄弟、なのだ。父も母も同じ。
 そんな隆景の懸念と元春の答えは全く違うものとなった。
「何か、色々まどろっこくてな……さっさと入れてぇ」
「っ!」
 あまりに直情的な要求だったので、隆景は余計に頬を朱に染めてしまった。喉が渇く。困惑しながらも、隆景は、言葉を絞り出した。
「どう、ぞ。ですが、私も身体が気になりますので、せめて軟膏か何かを使って頂ければと……」
「あー……今、あるのか?」
「いつでも簡単な手当が出来るように、そのくらいならば部屋に置いてあります」
 隆景は立ち上がって自ら軟膏を取って戻り、元春に容器ごと手渡した。もう、恥ずかしさも麻痺し始めている。
 多めに軟膏を救い取った指が、再び身体の下に入った隆景の中心に近付く。手間をかけさせないために足を開くと、指は入り口に触れた。しっかり身体を清めておけばよかったと隆景は今更後悔する。
「う、」
 ぬるりと潤った指が狭い門を掻い潜る。そもそも武人でもある故に痛みは殆ど感じなかったが、やはり異物感はある。互いに言及することなく、また気遣うこともなく、元春は無遠慮に指を隆景の体内で蠢かせた。性急にと焦る欲求が先行し、まだ隆景が慣れぬうちから指を増やし中を無理矢理広げる。息が詰まる感覚に苛まれながら、それでも隆景は内心喜んでいた。
 くちゅ、と僅かな音を立てて指が三本ほど引き抜かれる。
「一応、聞くが。大丈夫だよな?」
 汗ばむ肌を合わしておいて、何を今更、と隆景は笑う。
「申し上げたはずですよ。聞かないで下さい、と」
「ああ、そうだな。じゃあお前も止めてくれるなよ、隆景」
 ぐっと隆景の腰を抱え上げ、密着するほど抱き締めたまま、元春は中心に熱を宛てがった。隆景も観念し、大人しく逞しい背中に腕を伸ばす。そして、ゆっくりと、熱は繋がった。
「っ、ああ、兄上ぇっ……」
 ぽろり、生理的な涙が隆景の瞳からこぼれ落ちる。元春の背に爪を立て、縋り、肉の壁が割り裂かれる痛みと苦しみに耐えながらも、隆景自身の熱はあまり萎えようとしなかった。
 ――今、兄上は、私を。
 それだけで充分だった。
 深いところで繋がった。二人とも呼吸を整えようとしてそれぞれに長い息をしている。兄上。熱っぽい声が呼吸と共に吐き出された。元春は眉を下げた隆景の頭を優しく撫で、しっかり抱き留め直すと、下唇を吸い腰だけで隆景を突き上げた。悲鳴が口の中で上がる。
「兄上、」
 乱暴に、それこそ槍で兵をなぎ倒すのと変わらない勢いと強さで、元春は隆景の肉体を貪る。
「兄上、あに、うえ」
 隆景はただただ元春を呼び続けている。涙を薄く流し、口を開け、顔を紅く染め。恍惚ともとれる、そして何処か幼いその表情に、元春は酔った。
「あ、ああ……っ」
 男との性交など経験したこともない身体に休むことなく肉塊が突き刺さる。ぐっと爪を立てていた指から不意に力が抜けた。背に走る痛みを失った元春はふと我に返り、閉じられた隆景の瞼を見た。


「……申し訳ありません」
 目覚めた隆景はまず、頭を下げた。行為の最中で気を失ったことに対して、謝っている。意識を取り戻したときには雑ながらも着付けられていた。
「いーって。結局、俺も寝てるお前相手に続けたわけだしな……」
 苦笑する元春から目を逸らすように、隆景は畳に出来たばかりの染みを見た。自分の中から溢れ出した、元春の体液がそこへ落ちて滲んだらしかった。
 身体のあちこち、特につい先程まで兄を受け入れていた場所がじんわりと痛む。しかし隆景は自分のことよりも元春のことを心配する。
「お背中は、大丈夫ですか」
 相当爪を食い込ませた記憶があるのだが、元春は笑い飛ばした。
「平気だこのくらい。ああ、にしても、ちょっと失敗したな……」
「失敗ですか」
「お前にそこまで負担かけるつもりじゃなかったんだが」
 ごめんな、と元春の手が優しく隆景の髪を撫でる。隆景は頭を左右に振った。
「このくらい、何ともありません。むしろ嬉しいのです、私は。兄上と思いを遂げられて」
「まあ、今度頑張ればいい話か」
「今度」
 隆景は元春の言葉を反芻した。
 ――また、次がある。
「ええ、そうです……ね」

 翌日。
 残滓のおかげでまんまと腹を下してしまった隆景のどうしようもない感情は、やはり下々の兵に向けられた。
「言われた通りに動きなさい!」
 何処か浮ついた空気で集まった兵に隆景はそう怒鳴ったのだが、兵達はびくともしない。
「一日くらい、隆景様のご命令がなくとも怠ったりしませんよ、我らは」
「ですから本日はお休み下さい。お身体に鞭打ってはなりませんよ」
 そう言うのである。
 隆景は彼らの笑顔に何かを悟り、軍配を握りしめた。
「余計なお世話です!」
 今日も小早川の兵は当主の薫陶を甘んじて受け入れる。




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