不幸なのは誰? | ナノ

不幸なのは誰?


 隆元の長男、輝元がまだ幼かった日のことだ。
 無邪気な輝元は父親が制止するのも聞かず、池の周りを走り回っている。落ちては危ないからと隆元も追いかけるのだが、むしろ隆元の方が危なっかしい。縁側に腰掛けて眺めていた元就は苦笑しながら立ち上がり、池の傍に近寄った。
「あんまり走ると転んでしまうよ、輝元」
 戦を忘れた――家族としての光景に、先程まで元就と並んで座っていた元春は口元を緩ませながらお茶を啜った。武人ではあるが、やはり平和な方がいい。
 そこへ、隆景が通りかかったので、元春は肩越しに振り向いて隆景に笑いかけた。
「お前もどうだ?」
「どうって……何をですか?」
「ひなたぼっこ」
 にっと歯を見せて笑う元春とは対照的に、隆景は困ったように眉を顰めた。
「私は結構です」
「まあ、いいじゃねえか。たまにはお天道様の光でも浴びねえと腐っちまうぜ?」
 元春はそう言うと身を捻り、隆景の腕を引っ張った。渋い反応を見せていた隆景だったがこうなると元春も聞かないので、大人しくそのすぐ傍に身を落ち着ける。
「……本当に暖かいですね、今日は」
 目を細めた隆景の視線の先は、父親の方向にある。元就の足にぶつかる輝元、慌てて頭を下げる隆元、楽しそうに笑う元就。どれを見ているのだろうかと元春は思ったが、考える意味もないことだとすぐに悟った。
「そうだな」
 元春は、一瞬だけ隆景の視線が自分にも向いたことには気付かない。そして目を伏せてしまったものだから、その先の惨事もまた見えていなかった。
 輝元がぶつかった反動でよろめいた元就がそのまま、池に落ちてしまったその瞬間を――。
 ばしゃん、という派手な音で元春は反射的に飛び出していた。父上、と叫び、同じように池の傍で動揺していた隆元と共に元就を引き上げる。ずぶ濡れになってしまった元就を見て輝元も泣き出さんばかりに謝ったが、それは罪悪感より何より、背後から伝わる威圧感を感じ取っていたからだ。
 隆元は肩を震わせながら、元春は頭を掻きながら振り向いた。
「ご無事ですか、父上」
 素早い手配で用意させた手拭いを元就に差し出した後、隆景がゆっくりと三人に笑いかける。
「……皆様。少々よろしいでしょうか?」
 ひっと短く悲鳴を上げた父子の近くで、厄介なことに巻き込まれたものだと元春は溜め息を吐くのだった。

 正座した三人に対する隆景の説教は元就が着替え終えて戻った頃にもまだ続いていた。本気で怖がっている輝元、隆元とは対照的に何の落ち度もない元春は疲れた顔で俯いている。
「――そもそも兄上にも輝元様にも未だ当主たる自覚が足りないのです。家を出たとて私らも本来ならば貴方の家来、ということをまずご理解いただきたく……」
 何処から遡って説教しているのだろうか。まだ濡れたままの頭に手拭いを乗せた元就はぼんやりと考えたが、隆景が己の智を受け継いでいることを思い出し、複雑な心境で納得した。話が冗長になってしまうのもまた血筋なのかもしれない。
 痺れを切らした、というよりは足を痺れさせた元春が漸く口を挟んだ。
「隆景、俺は何も関係ないだろー……」
 その瞬間きっと鋭い眼光で睨まれ、元春はまた溜め息を吐いた。隣で隆元が条件反射的に竦んでしまっている。輝元などは青い顔をしている。
 流石に可哀想だと思った元就は隆景の肩を叩いた。
「まあまあ、その辺に。何も悪気があったわけじゃあないんだし、私も怪我をしたわけじゃないんだし……」
「いえ父上、そういうわけにもいきません」
 隆景がきっぱりと言い切り、元就はへにょっと眉を下げる。
「はあ……何でうちの子供はこう、揃いも揃って妙なところで強情なんだろうね」
 一通り嘆いたところで元就はすぐに笑顔を作った。
「そろそろ解放してあげなさい、隆景」
「しかし……」
「命令だ」
 優しい笑顔で元就は言う。しかし父親の、そして主君の命令に逆らうことは出来ず、隆景は「分かりました」と小さく答えた。直後に輝元が跳ねんばかりに立ち上がり、元就のところへ駆け寄る。
「おじいさま、叔父上怖いのですー!」
「て、輝元、そういうのは本人の前で言っちゃ……」
 また叱られるのではと怯える隆元はすぐに輝元を窘めたが、恐る恐る見上げた隆景はつんとそっぽを向いてしまっている。――拗ねた、のかな。出来は良くともやはり末っ子、何処か我が儘なところがある隆景を思って隆元はふっと笑った。だが、その音を感じ取った隆景が横目に睨むと冷や汗を浮かべてこちらから顔を背けてしまう。しかしその威圧感もまた、すぐに消えてしまった。
「……隆景?」
 隆景は障子を静かに開けて退出するところだった。どんな想いでいるのだろうか。表情を見ようにも、隆景はもう居ない。
「お、落ち込んでいる……のか、な……?」
「父上に叱られたと思ったんだろうなあ」
 隆景が居なくなってから即座に胡座をかいた元春が頭を掻きながらにやりと笑う。そんなつもりはないんだけどね、と元就は輝元の頭を撫でながら眉を下げる。
「隆元、元春、悪いけれど様子を見てきてくれるかい?」
「え、ええ、私は逆効果だと……思うのですが……」
「俺が何とかするよ、兄貴。あいつとは多分、兄貴より長い付き合いだからな」
 にっと笑って元春は部屋を出て行った。相変わらず仲がいいんだな――そう思った隆元は微笑ましい気持ちでもあり、羨ましくも思っている。自分は些か、歳が離れ過ぎた。そんな気さえする。
「た、隆景は何処へ行ったのでしょうか」
「さあね。ちょっと悔しいけれど、私よりも元春の方が詳しいだろうね」
 言葉とは違って元就は嬉しそうにそう言い、声を上げて笑うのだった。

 隆景は腕を組み、既に散った桜の木に寄りかかっていた。端から見れば何か考え込んでいるようにもとれるだろう。誰も近寄ろうとはしない。それを好都合とし、元春は堂々と歩み寄って隆景の肩に手を乗せた。若干俯いたまま隆景は上目遣いに元春を見上げる。
「何か御用ですか、兄上」
「ん? いや、ご機嫌斜めな隆景様は今頃ここに居るんだろうと思ってな」
 むっと眉を顰めた隆景だったが、手を撥ね除けようとはしない。
「ちっさい頃から、喧嘩とかするとここで泣いてたよなぁ」
「泣いてなどいません」
「そういうことにしておいてやるよ」
「ですから……」
 尚も反論しようとした隆景は、しかしすぐに口を噤んだ。これでは兄が増々面白がるだけだと判断したのだ。
 すっと柔らかい風が吹き、二人の髪を揺らす。
「……最も反省しなければいけないのは私ですね。父上のこととなるとどうしても頭が鈍ってしまい、兄上にもご迷惑をおかけしました」
「いいや、そこは寧ろ誉められるべきところだ。まあ、巻き込まれたときは堪ったもんじゃないと思ったけどな」
 元春は笑いながら隆景の頬を軽く抓った。童子のような馴れ合いを良しとしない隆景は首を動かして逃げようとするが、元春からすると普段すましている弟が嫌がる姿は中々楽しいものなので、もう少し見ていたい気持ちもある。しかし、また隆景の逆鱗に触れてしまってはかなわない。
「父上がお身体を壊さなければいいんだがなぁ」
 隆景は目を細め、そうですねと言って空を見上げた。




▲ページトップへ
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -