結束の使いどころ | ナノ

結束の使いどころ


 ついこの頃まで忙殺されていた元就に不意の、そして長い平穏が訪れ、暫く身体を休めた元就は書斎に引き蘢るようになった。
「せっかく時間が空いたんだ。著作に専念するよ」
 息子にそう言い残したのはおよそ三日前。一応、食事の度に顔を見せていたので元気であることは知っていたのだが、息子兄弟――特に気の弱い隆元は流石に心配するになっていた。閉め切った部屋に閉じ篭りっぱなしなのだ。
 だがそれほど父親が熱心にしていることを妨害していいものか。隆元は悩みながら書斎の前をうろついていた。声をかけようかそのまま立ち去ろうか考えながら――。
と、そのとき、部屋の中から物の落ちる音が立て続けに聞こえた。そして、元就の「うわあっ」という簡潔な悲鳴も。
 隆元は慌てた。何かあったことは明白である。まごついている間にも廊下の先から足音が近付いてくる。恐らくは同じく悲鳴を聞きつけた誰かが駆けつけようとしているのだろう。隆元は頭を左右に振ると、何とか襖を開いた。
「ち、父上、どうなされたのですか……!」
 状況を確認しようと一歩踏み入れた、その足は横に崩れた書物に引っかかり――つまりは躓き、隆元もまた「はわっ」と小さく悲鳴を上げて畳に顔を打ち付けた。直後、大きくなってきた足音の主が部屋に入る。
「父上、ご無事ですか」
 隆景は急いできた足の勢いで、隆元の上へ。
「むぎゅっ!」
 踏まれた隆元が猫のような声を出し、隆景は初めて足下の隆元を見下ろした。そして悪びれた様子もなく言う。
「ああ、兄上もいらっしゃったのですね。すみません、気付きませんでした」
「た、隆景――」
「父上!」
「ふにゃあっ!」
 さらに重く痛い衝撃が隆元の背中に走る。駆けつけるどころか飛び込んできた元春に、またもや踏みつけられたのだった。
「兄貴、何でこんなとこで寝てんだ?」
 元春がそう首を傾げたものだから、隆元も叱ることが出来ずにゆっくりと起き上がった。自分の痛みなど今はいいのだ。それよりも重大な事件がこの部屋で起きている。
 三人は改めて部屋の中を見渡した。とはいえ狭いので、崩れた本の山とその中から伸びる父親の手を容易に見つけることが出来た。
「ち、父上!?」
「なるほど、高く積んでいた本が崩れて下敷きになってしまった、と」
「言ってる場合かよ。まずは全部どけねえとな……」
 狼狽する隆元、冷静に現場検証をする隆景を横目に、元春が本を除け始める。僅かに身体の見える元就は腕を動かして何とか脱出しようと試みているようだが、まだ身動きは取れないらしい。
 兄弟で協力し、取り敢えず山になった本を部屋の端に追いやることで元就も漸く自由を取り戻し、頭を抱えながらゆっくりと起き上がった。
「うう、本の角が頭に……」
「氷をお持ちしましょうか」
「いや、それには及ばないよ隆景。ああ、それにしても酷い目に遭った」
「ほ、他にお怪我はありませんか」
「大丈夫だよ隆元。元春もありがとう。世話を焼かせたね」
「子として家臣として当然のことです、父上」
 元就は一通り親孝行を労った後に、改めて部屋の惨状を嘆いた。
「いやあ、流石に積みすぎたかな」
「増やすだけ増やし、適当に置いて片付けることをしなかった末ではありませんか? 父上でなくても容易に予想が出来た事態です」
「やれやれ、隆景は厳しいなあ。執筆に夢中になるとどうしてもね……」
「し、しかし、それでは本末転倒ではありませんでしょ、しょうか……?」
「そうですよ。いい機会ですし片付けましょう」
「うーん、お前たちが私を心配してくれているのは分かるんだけどね。手に届きやすい位置にしていたらこうなって」
「いけません」
 隆景が常に手をしている棒を持ち、もう片手の掌にパシンと叩き付けた。表情は笑っている。反射的に隆元は背筋を伸ばし、元就も思わず苦笑いした。――これは、不味い。
「父上のご健康を損ねる原因とあらば、それは排除する対象となります。このまま打開策を示しになられないのであれば、父上の叱責を全て受ける覚悟で捨てましょう」
「いや、それは駄目だよ!」
「では、せめて棚を作らせ、積むのではなく横に並べるべきです。許可して頂けますか?」
 目を細め微笑んだまま隆景が元就に詰め寄る。元就は「うっ……」と声を詰まらせ、または目を逸らして長男と次男に助けを求めようとしたが今回は隆景が正しく、それ以上にこの状態になった隆景にはとても反論出来ない二人が顔を背けたので、諦めて小さく頷いた。
「うーん……私は、このままの方が便利なんだけどね……そこまで言われちゃ仕方ないかな」
「ありがとうございます。では、早速。兄上も協力してくれますか」
「勿論だ。じゃあ、俺はこの部屋に合う棚を作るか」
「わ、私はひとまず、本を一カ所にまとめて場所を作り、ます」
「そういうことですから、父上はこちらへ」
 両兄の協力を得た隆景は満足げに頷き、元就の背を押して縁側へ追い出した。すぐに女中を呼び、茶と何か菓子を用意するように指示する。こうして始まった唐突な大掃除に、元就は差し出された茶を啜りながら子がしっかりしすぎるのも困り者だ、とぼんやり思うのだった。庭では元春が作業している。
 一方室内では、書物を移動させて現れた壁や畳を叩いたり拭き取ったりしながら、隆景が辟易した表情を浮かべていた。
「予想通り、埃が凄いですね。開け切っていてもここまでとは……うっ、」
 こほ、と咳き込む隆景に隆元が慌てて駆け寄る。
「だ、大丈夫……?」
「少し吸い込んでしまっただけですよ、兄上。ご心配には及びません」
 勿論こうした会話は元就にも聞こえているので、元就は申し訳ない気持ちに苛まれながら団子を口にした。
 やがて簡易な棚を作り終えた元春が部屋に戻ってくる。壁際にそれを設置すると、隆景は元就を呼んだ。
「さて、せめて父上の著作とそれ以外を分けたいと思うのですが、ご指示いただけますか?」
「ああ、いいよ。とはいえ、殆どが私のものなんだけどね」
「んー……」
 話を聞いていた元春がすぐ傍の一冊を拾い上げ、表紙をしげしげと眺める。毛利家の武を自負してはいるが、教養も中々深い。
「やはり、私などには中を見てみなければ分かりませんね」
「……そんなに違うかな?」
「ええ、父上の書は……あ、いいえ、私にはさっぱり分かりませんでした」
「気を遣わなくてもいいよ、元春……」
 困ったように首を振る元春の気遣いに逆に傷付いた元就はしょんぼりを眉を下げた。何を言わんとしているかは、大体分かる。目に見えて落ち込んだ元就を励まそうと元春はその本を開いた。
「それで、父上、この本は?」
「ああ、それはね……」
 途端に目を輝かせて話し始める元就。本当に歴史が好きなんだと元春が再認識する傍ら、隆元と隆景は中を開いて確認しながらせっせと棚に収めていく。二人の会話は思いの外弾んでいるようで、元就と元春が作業に参加する気配はない。隆景は今手にしていた本を棚に置くと振り返り、低い声を上げた。
「父上、兄上」
 真っ先にびくりと肩を上げたのは何ら落ち度のない隆元で、二人が話を止めたのはその後だった。
「あー、悪い悪い。手伝うって」
「つい話し込んでしまったね……」
 こうして漸く全員が片付けに参加し、日が傾く頃には二、三人が寝転べるくらいの空間が確保出来るようになった。すっかり綺麗になった書斎に腰を下ろし、元就は苦笑する。
「……なんだか、落ち着かないなあ」
「せめてひと月は維持をして貰いたいのですが?」
「出来ると思うかい?」
「正直に申し上げてもいいのですか?」
 このやり取りを見ていた隆元がはわわと慌て出す。冗談であれど、父親兼当主の元就に向けて失礼な発言はあまり認められたものではない。
「た、隆景……」
「……五日くらいが限度だな」
「元春まで……! ……わ、私もそう思う、けど……」
 だが、結局はこうして同調してしまう。何度片付けてもこの父親はすぐに散らかしてしまうのだ。息子だからこそ、それは痛いくらい知っている。
 内向的な隆元にまで言われてしまったことで、元就は困ったように頭を掻いた。
「そこまで言われると、努力したくはなるんだけどね……」
――まあ、無理だろうね。
 きっぱりと言い切った元就に、三本の矢は揃って小さな溜め息を洩らす。

 五日どころか、三日もして再び元の惨状を取り戻してしまった部屋を隆景が踏み入れ、しっかり説教されることになるのだが――そのうちに際限のないことだと諦められるのも、そう遠くはなかった。




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