おたがいさま | ナノ

おたがいさま


 本来書物のためだけに作られたような部屋に、埃や墨以外の臭いが漂っている。荒い息遣いと雄の臭い。薄い布団に背中を預けながら、元就は自分の身体が軋む音を聞いていた。
「っは、あ、……」
 唇を噛み締め、熱い声を呑み込む。元より身体が柔らかい方ではなく足を目一杯開かされているだけでも苦しいのだが、さらに平均よりは大きい肉の塊を体内に捩じ込まれている。うぶな生娘どころか昔に教育された身であれど、年を取った今となっては行為そのものが厳しい。
「……大丈夫ですか」
 元就は、耳朶に息がかかるような距離で囁く相手を恨みがましく睨み上げた。今更何を言うか、という思いを込めて。それを見て宗茂はくすりと笑うのだった。
「ああ、そんな顔が出来るなら大丈夫そうですね」
 宗茂が長く堅い黒髪を指で撫でると、身を捩った元就の太腿に半透明の液体が伝った。


「では、また近いうちに」
 そう言って馬の腹を蹴った宗茂を、元就は門の柱に身体を預けたまま見送った。昨夜遅くまで何度も身体を求められ、まともに歩けたものではない。だが数日宗茂が滞在していた中で閨を共にしたのはそれきりだった。その割には軽かった方かな、と一人になった元就はぼんやりと思う。屋敷へ通じる唯一の道端には桜が咲いていて、もう散り始めていた。
 ――正直に言うと、些か物足りない。
 屋敷の中へ戻る途中で浮かんだ欲望には、元就自身が驚いた。身体はもう悲鳴を上げている。これ以上何を求めるのか、自分を虐めて楽しいのかと自問自答する。答えは一つしかなかったが、元就は頭を振ってそれを掻き消した。
 欲に溺れるとろくなことがない。人に執着しても同じことだ。長く生きた元就はそれを、よく知っている。 同時に、だが、という思いもある。文字通り二度目の人生なのだから、意志に従って自由に生きても許されるのではないか。
「……参ったな」
 書斎兼寝室に戻った元就は苦笑と溜め息を洩らした。普段以上に散乱した書物が昨夜の行為を物語っていたが、相変わらず片付ける気にはならない。そこそこに端へ寄せ、出来た空間に寝転がる。節々が痛い。
「はあ……」
 微睡み、元就はそのまま、深い眠りに入った。
 目覚めたのは、女中に起こされた日暮れのことだった。


 爽やかな風が吹いている。
 元就は縁側に腰掛け、月を眺めていた。宗茂から別れて一日が経つ。今頃どの辺りだろうか、無事に帰れているだろうか。私情だけではなく同盟国としての心配もあり、ぐだぐだと色々な懸念が浮かぶ。杞憂であることは自分が何より分かっている。賊や刺客に襲われたとて、西国最強とも謳われる宗茂がそう易々と討ち負けるはずがない。だからこそ元就も信頼しているのだ。
 『毛利家の当主』はそれを理解しているが、『元就』は違う。
「……女々しいな、私も」
 暖かくなってきたとはいえ、夜風はやはり冷たい。この歳だし身体を冷やしては不味いと、元就は部屋に戻った。
 障子を閉め切る。布団を敷こうと考えるが、どう見ても本が邪魔をしている。寝転ぶだけの場所すらない。元就は頭を掻き、閉口した。取り敢えずその場に腰を下ろす。
 そっと畳に触れた。
 ――前は、ここで。
 筋肉も衰え肉が弛んだ自分の身体を、それでも繰り返し愛した相手とその夜が脳裏をよぎる。同時に、燃え始める身体の血流。
「これは、ちょっと……不味いな」
 一度死んで蘇ってまで。こんな老人になってまで。若者に操を立てるなんてことが許されるのだろうか。
 元就の理性は流石に強い。だがそれよりも、二日前の夜を色濃く過ごしておいた割にあっさり別れてしまった宗茂に対する恨みと情欲がふつふつと膨らんでしまう。
 ――嗚呼、これでは、恋ではなく依存だ。
 まだ別れて一日、相手は自分の国に帰れてすらいないだろうに、それでも逢いたいと思ってしまうことを恋や愛と呼ぶような感覚では生憎、ない。
 一度思い出してしまうと、情景は止めどなく溢れてくる。いつもは壊れ物を扱うように優しく、時に乱暴なまでに交合を求めてくる。その手が、声が、元就の脳裏にこびりついている。
 元就は本の柱に凭れかけ、そっと自らの着物を暴いた。ゆっくり、戸惑いながら、少し堅くなった自分の熱に手を沿わせる。高く積まれた本に空いた片手を預け、深く息を吐く。そして恋人が自分にしたように、緩く握った手を上下させた。ぴくりと肩を震わせる元就だが、手は休めない。
「んっ……」
 決して声は洩らさぬよう強く歯を食いしばり、それとは真逆に右手で扱く速度は早めていく。閉じた瞼の裏には愛しい男の姿を思い描きながら、元就は指に力を込めた。昂る自身の熱。鈴口を指の腹で撫でると粘着質の体液がくちゅり、と音を立てて流れた。
『ご自分でなさる気分はどうですか?』
 あの意地の悪い青年ならば、この状況を見てきっと口角を上げることだろう。想像して、元就は背中に走る寒気を感じた。嫌なものではない。むしろ、――。
 凭れていた本の壁が崩れ、数冊が畳の上に落ちた。だがそれを顧みるのも億劫で、元就は普段大切に扱っていたものに目もくれなかった。目を閉じ、指にまた力を込める。ふっ、と息が溢れた。元就は自らの手で残った本も倒し、また肩を震わせた。ぽたり、飛び散った液体が畳に染みを作る。
「はぁ……」
 熱い溜め息を落とした元就はその場に寝転がった。書物が下敷きになるのも気に留めない。静まり冷えた頭で、元就は激しく後悔していた。どんな人間と身体を重ねたとて、自発的に交合を欲したことなどはなく、またその手で慰めたこともない。それが今になって、何故。もう出ている答えから思考を逸らし、元就は諸々を片付けてから眠りに落ちた。
 書物や紙は殆ど散乱したままだった。

 悔やんだり自己嫌悪することは多々あれど、元就は一度知った背徳的な快楽を忘れられずにいた。
 これが異性に向けた情欲を原因としていたならばどれだけよかったか。ほの暗い後ろめたさのおかげでより興奮出来ているということを、元就は認めようとはしていない。だが理解してはいる。
 眠れず、著作にも気が向かない夜は何度か自分の手で慰めた。いつもは違う手で触れられる奥の部分にも指を伸ばすことがあった。横に臥せ、身体を丸めて、唾液で濡らした指を体内に埋める。息を顰めようと努力はしたものの、何度か掠れた声が出てしまった。
「う、ぅ……ん……っ」
 柔らかく緩くなってきた奥をさらに指で広げ、全身を震わせる。小さな電流が走るように、時々神経が痺れた。
 そんなことを数日置きに繰り返す。気が付けば桜の花も散り、葉が青々と茂っていた。
 晴天の日に宗茂はやって来た。門番から報告を受け、元就は態々門先まで出迎えた。
「お久し振りです、元就公。お元気そうで何よりです」
 取り敢えずの社交辞令だったが、宗茂の皮肉的な笑顔を見られただけで元就は安心出来た。ああ、今日も無事でいる。自分のことを想ってくれている。そう考えていたのは何も元就だけではない。
夜になると当たり前のように書斎へ入り、軽い口付けを交わし合った。障子から淡い銀色の光が差し込んでいる。それは畳に映り込み、二人の影を作った。
「長旅で疲れてるんじゃないのかい?」
 可愛がられるように抱き締められているのが居たたまれなくなり、元就は照れ気味に笑った。だが宗茂は至極真面目な顔をして、
「やっと逢いに来れたのです。すぐに触れたいと思うのは、迷惑でしたか?」
 と言った。これが軽口なら笑い飛ばせるものを、真顔で言われたものだから、元就はつい黙ってしまう。相手にとっては軽口だと分かっていても、だ。
「迷惑じゃあ……ないよ」
 顔を斜めに逸らしながら元就は小さな声で答えた。宗茂は満足げに頷き、元就の耳元に唇を寄せる。くすぐったい、と元就が嫌がるのを見るのが好きだという。困った性癖だと元就は呆れる一方で、またそうして笑われるのが好きだった。結局は利害が一致しているのだ。
「ところで、元就公の方こそ大丈夫なのですか?」
「……ん? ああ、特に困ったこともないから、暫くは休めそうだよ」
「そうですか。では遠慮なく」
 元就の視界に、宗茂の微笑が入った。
 互いに邪魔な布を取り払い、纏うもののなくなった状態で抱き合う。衣類は畳の上に広げ、元就の背中を支えた。先程まで結っていた髪も下ろし、無造作に広がっている。
 角度を変えながらまた何度か口付けし合い、時々耳や首筋にも唇を寄せられ、元就は無意識のうちに両腕を自分に覆い被さっている宗茂の首に回していた。当然宗茂はそれに気付いているが、自覚がないと見て知らない振りをしている。夜の間以外では元就は『毛利家当主』に戻ってしまい、甘えることを一切しない。
 大きくゴツゴツとした手が元就の右太腿をそっと掴み、押し上げた。前からでは見え辛かった秘部まで晒され、元就は遅れて慌てたのだが、暴れ出す前に宗茂が雄をぎゅっと握り込んだので抗議も悲鳴に変わってしまった。
「は、恥ずかしいよ、」
「おや。そうですか?」
「あのねぇ、私にだって人並みの羞恥心は……ぁ、あぁ」
 亀頭を強めに掴み、軽く回され、元就は顔を顰めながら宗茂を睨み上げた。当の本人は何処吹く風でにやにやと笑いながら元就を見下ろしている。
「痛かったですか?」
 全部分かっているくせに。せめてもの抵抗として、元就はそっぽを向いた。その行動がより相手を煽ることなどには、気付けない。時折見せるそんな間抜けさも宗茂が愛するところではある。
 こちらを向かないのなら、と宗茂は悪戯を思いついた餓鬼のように笑って、元就の頬を舐めた。下方では元就の自身を弄り、何度も激しく扱いてやっている。歳のせいもあるのか、元就はあまり強い方ではない。数回鳴くように息を吐いたかと思えば、掌に向かって吐精した。
「っ、うー……」
 痙攣が終わったのを見届け、宗茂は体液に濡れた自分の手を顔の前に上げた。若干だが色の薄いそれを舌で少し掬い取る。
「随分と少ないようですが、まさか他の男に搾られたわけではないですよね」
 何故か不機嫌そうに睨み下ろす宗茂とはやはり目を合わせられず、かといって明後日の方向を見れば怪しまれるだろうと、元就は諦めて天井を見上げた。
「それはないよ……断じて」
「俺も本気で疑ってはいませんが、いつもよりは」
「あー、だからそれはその、だね」
 元就は顔を紅くし、目を泳がせた。態度を不審に思った宗茂だったが聡い彼だ、すぐに元就が言わんとしていることに気付き、ふっと笑った。その下で元就が慌てて頭を振る。
「い、いつもそうってわけじゃないよ?」
「そうですか……ですが羨ましいですね。淡白な貴方に操を立てられる相手が」
「分かってて言ってるだろう、君は……」
「ええ」
 すみません、と宗茂が笑いながら口付けるのを元就は黙って受け入れた。下手なことを喋って揚げ足を取られては不味い。
「ですが、」
 しかし手遅れだったことを元就は知る。
「そうなると、あまり何度も出すと健康に関わりそうですね」
「……何をするつも――」
 り、と最後の音は息と共に呑まれた。視線が自分から離れた宗茂の手に走る。どちらかの帯を取り、その先を元就の性器に巻き付ける。きつく締められ、元就は呻いた。
「紐があれば便利だったんですけどね。やはり帯は少し邪魔だ」
「いや、そうじゃなく、君何を……」
「聞いていませんでしたか?」
「そういう意味でもなくてだね! ああ、もう……」
 諦めたように肩を落とす元就に向かって微笑み、宗茂は元就の身体を抱えて反転させた。半ば自棄になった元就は文句すら言わない。
 刀剣を握って出来た肉刺で硬くなった指が体内に滑り込む。
「や、ぁ、あ……」
 肘を畳につけ、腰を相手に突き出した状態で元就は喘いだ。無遠慮に侵入してくる指が恨めしい。中を掻き乱され、頭が真っ白になっていく。穴を広げられる一方で、侵入した指の一本がある箇所を撫でると元就の声が一層高くなった。抑えようとはしているものの、どうしても其処だけは弱い。幾度も指の腹を擦り付けられ元就は震えた。縛める帯のせいで快楽は寧ろ苦痛にすらなっている。しかし、元就の心底ではその感覚すらも嫌でもないと思っている。どうしようもない性癖だと自嘲する面がなくもないが、治しようがない。
「元就公、」
 耳殻に直接吹き込まれる声、後ろから覆い被さる重みとが、途切れた言葉の先を告げる。元就は小さく頷いた。日頃からいちいち許可を取らなくてもいいと言ってあるのだが、この青年は妙なところで律儀だ。
「……うっ」
 秘めた部分に熱が宛てがわれ、それだけで元就は身体を震わせた。体勢のために宗茂の顔は見えない。
 熱が、肉を割って入り出した。
「ひぃ、い、んんっ」
 思わず悲鳴を上げてしまいそうになり、元就は自分の右手親指の付け根を噛んだ。歯が肌に食い込む。痛いと思うような余裕すらもなく、雄の根元までを呑み込んだ。
「んー……」
「元就公、傷が残ります」
 止めて下さいと優しく訴える宗茂に元就は頭を左右に振って答えた。こうなれば強情で、どう説得しても聞き入れない。宗茂は苦笑したがそれ以上は窘めなかった。
 宗茂は元就の腰どころか少し肉のある腹を掴み、肉の中を貪るように攻め込んだ。骨盤がぶつかる度に元就の歯がさらに手へ刺さる。痛々しい光景だったが、そうしなければいけない程元就が感じているのだとよく分かり、宗茂は場違いにも微笑んだ。どうせ被虐癖のある元就のことだ、少しの傷や痛みくらいならば何の問題にもならない。そう判断し、些か激しく腰を動かした。時折は殆ど抜けるくらいに引き、先端だけを挿入するというのを繰り返し、元就が物足りなさげに振り向こうとした瞬間にまた奥まで捩じ込んだ。
「んんんーっ」
 音に出来ない悲鳴を元就は噛み殺した。切っ先が何度も体内のいい場所に触れ、もう性器は腫れ上がっているというのに巻き付けられた帯のせいで解放することが出来ない。元就は手から口を離し、肩越しに振り向いた。
「宗茂……」
 潤んだ瞳に映ったのは悪童のような笑顔だ。
「駄目です」
 宗茂は掌で元就の熱を握って上下に扱きながら、一度は止めていた腰の律動を再開した。性急なことだったので元就も手を噛み損ない、声を上げてしまう。
「や、やだぁ、ああっ」
 畳に涙が落ちた。夜でなければ決して壊れない理性の壁も壊れてしまっている。宗茂は普段の元就よりも、どちらかといえば柵を全て忘れてしまった今のような元就の方をより愛している。元就の身体を求めるのはそうした柵や過去から逃がしてやりたい、という勝手な自己満足も含まれていた。
「……好きです。元就公」
「あぅっ……」
 体内で液体が弾けたのを感じ、元就は身動いだ。中出しの方が健康には悪いのでないか。沸騰しそうな頭で元就はぼんやりと考える。ずるりと宗茂が抜け落ち、埋めるものを失った穴からは白い体液が漏れた。肩を伏せ動かない元就の身体を宗茂が後ろから抱え上げる。
「ん……もう終わりかい……?」
「申し訳ありませんが、俺も長旅でそこそこ疲れているんですよ」
 この男にしては珍しく眉を下げて笑ったので、元就はその言葉が冗談ではないと悟った。まだ到着した初日なのだが、それをすっかり頭の隅に追いやってしまっていた。
「それもそうか……ん、じゃあ、もうこれ外してもいいかな……」
 元就の視線が下半身に纏わりついた帯へと向く。いいですよと宗茂は微笑み、「ただし」と付け加えた。
「元就公がご自身でなさってくれたなら、ですが」
「……ええっ?」
 不味いことになってきた。再開した当初より、否、自分で処理していた時から想像していた事態が迫っている。元就は焦った。
「そ、それは、えっと」
「出来ないのでしたら、それはそのままで」
「う、うう……」
 元就は心から泣きそうになりながらも、頷かざるを得なかった。このまま生殺しを食らうよりはましだとの判断である。
「分かったから、早く……」
「はい」
 満面の笑みで帯に手をかける宗茂に、一度くらい殴っても怒られないのではないかと考えながら――元就はまず圧迫から逃れられたことに安堵の溜め息を零した。
 宗茂の膝に座らされ、覗き込まれるような形で元就は自慰に耽った。肩には宗茂の顎が乗っている。間近で表情や息遣い、自分の先走りに自分の手を濡らす様子を見られている。案の定、元就はその情景に興奮してしまった。
「は、ぁあ、もう出、ああっ」
 散々我慢させられたこともあり、早々に達してしまいながら、元就は宗茂に背中を預けた。胸の辺りまで精液が飛び散っている。
「……ああ」
 ぐったりと力の抜けた元就を宗茂はさらに抱き締め、その肩に顔を埋める。
「やはり、貴方は愛おしい」
 元就は目を細めて聞いていた。
 ――そうだ、依存しているのは私だけではない。そして欲しいのは身体だけではない。
 熱を持って告げられる愛の言葉こそが自分の最も欲するものだと再認識し、元就はゆっくりと目を閉じた。




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