平行世界の春 | ナノ

平行世界の春


 誰かの亡骸を抱き、私はその胸に顔を伏していた。
 頬が熱い。泣いていたのかもしれない。周りには誰も居ない。屍以外には。
「……歴史上、こういうことは……よくある。だけど、だけど……っ」
 冷血なんて。謀神なんて。誰が嘯いたものか。たかが一人の死に私は崩れ泣いていた。
 泣いて――いた?
 何かおかしい。これは、誰の記憶だ。
「ごめん、――。私はそれでも、進むしか……ないんだ……」
 土煙の中、または磯の臭いがする中。私は動かなくなった誰かを抱き締め、涙を乾かしていた。


「……――り」
 声が聞こえる。
「――なり」
 耳に優しい音だ、と思う。だがもう少し微睡んでいたい。まだ瞼を上げたくはない。
「元就!」
「うわぁっ!?」
 鈍い音がした。頭が痛む。どうやら畳に頭を打ち付けたらしい。ぶつけた箇所を手で擦りながら犯人を見上げる。疲れているような呆れているような顔で隆包が私を見下ろしていた。手には先程まで私が使用していた枕がある。
「起こすならもう少し優しい方法で……」
「充分、声をかけるなり揺するなりしたんだがな」
 ふう、と隆包が溜め息を吐く。私は疲労していた彼の姿しか見た覚えがない。
 ゆっくりと身体を起こし、自分の状況を思い出した。確か、部屋で書物に熱中していると眠くなって、そのまま枕に頭を置いたのだった。わざわざ起こされにきたところを見ると、寝過ぎたらしい。
「戦が近いのに、暢気なことだ」
「手は随分前から打ってあるよ。じきに向こうで、内乱の芽が出るはずさ。こちらに構っている暇なんてなくなる。それに、私一人昼寝したくらいで何も変わらないよ」
「全く……手荒なことをしたのは謝るから、そう拗ねるな」
 いつも撥ねてばかりいる髪を、隆包の手が撫でる。優しく、聡明で、義に厚い男だ。私などとは違う。
「子供みたいに扱わないでくれ。大体、拗ねてないよ」
 私の方が年長だ――そう言外に含ませたかったのだが、隆包は笑い飛ばした。
「そういう物言いを拗ねてると言うんだ」
「そうかな。だとしたら、君が悪いよ」
「だから、」
 何かを言いかけ、くつくつと笑い出した隆包。その口が別の言葉を紡ぎ出す前に、彼が言いかけたであろう台詞を使う。
「こんなことを言うから子供扱いされるんだ、とでも言いたいんだろう? 言われなくても分かってるよ」
「そうでなくても、人ひとりの考えを読むことくらい、お前には雑作もないことなんだろう。こうした態度で人の油断を誘い、そこを狙う。敵に回したくない男だ」
「……私も、君を倒したくは」
 ない、と言い切ろうとして――私はぼんやりとした違和感を覚えた。何かが頭に引っかかる。暫し腕を組んで考え、私は漸く思い出した。
 そうか。夢だ。
 脳裏にこびりついた嫌な記憶が蘇るが、それは夢の中の出来事だったのだ。血の臭いも。涙の熱も。全ては思い込みにすぎない。
 だが、それでもまだ違和感が残る。本当にただの夢、妄想だったのか――まるで自分が体験したかのような現実感のある、あの光景が。
 ――私は、誰を殺した?
「元就?」
 突然黙り込んでしまった私を心配してか、隆包が顔を覗き込む。何でもない。そう言い切るには、舌が乾きすぎていた。
 私はあのとき、誰の名前を呼んで謝ったのだろうか。
「いや」
 やっとの思いで声を絞り出す。
「嫌な、夢を……見ていてね」
「昼間から本気で寝入ってた罰だろう。それにしても、夢に悩まされるとは元就らしくない」
「私だって普通の人間だよ。まあいい、隆包、本題は――」
 どくん、と音が聞こえた気がした。心臓が高鳴る。今。私の口から滑り出た名前。それこそが、『答え』のように思えた。夢の中でも声に出した名前――即ち、私が死に追いやった人物の名前。
「何、だった、ん……だ……?」
 その問いかけは自問自答にも近かった。
 ただの夢とは思えない。だが現実でもない。親友は目の前に居るのだから。だとしたらあれは何時、何処の記憶だ?
「……元就、熱でもあるのか?」
 微動だにしない私を訝しげに見下ろす瞳には、目を見開いた青白い顔が映っている。
「いや……大丈夫、なはず……なんだけどね……」
 目を逸らし、髪を乱暴に掻きあげる。同時に、私はもう、あの光景について考えることを止めた。気にならないと言えば嘘になる。だが、些細なことで心配を招き、あるいは余計な隙を作ってしまうわけにはいかない。
 深く息をした。隆包の手を取る。
「隆包。錯乱した人間の戯言だと思うかもしれないが、私は……歴史に、君を裏切ったという汚点だけは残したくないんだ。……この、歴史には」
「全く、昼寝中に何があったか知らんが、えらく奇特な日だな。お前が私欲だけで誰かを斬れるような人間じゃないことは私がよく知ってるよ。あるとするなら、私の支える人がお前と道を違えたときだ」
「それでも、だよ。君だけは……いや、本当は、君が私を支えてくれたらいいんだがね」
 私は漸く笑うことが出来た。冗談だと受け取ったのか、隆包も笑ってくれた。この関係を乱世が終わるまで続けられたなら――どれだけ幸せか。
「ああ、そうだ、軍議についての連絡だ」
 隆包は今頃思い出したかのように、本題を告げた。




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