俺のクラスにとある女がいる。そいつは根暗でもなければパンピでもなくて、誰にでも愛想を振りまいてるような女だった。誤解されるといけないから先に言っておくと、愛想を振りまくと言っても決して悪い意味ではない。多分、素で…なんだと思う。多分。いつでも笑顔を絶やさずにいて、それでもって気の利くやつだ。そう、俺みたいなやつにでもにんまりと無垢な笑みを向けてくる。
nameは、そういう女だった。

誰かが困ってるときだとか、誰もが面倒臭がってやらないことだとか、誰も気付かない些細なことにだとか、そういうものに敏感なのか知らないけど全部気付いて寄り添い、卒なくこなす。一部の女子達からは「誰にでもいい顔していて不気味」「裏がありそう」と陰口を叩かれていた。俺自身別にそこまで仲良いってわけじゃないから声を大にして否定は出来ないけど、でもあいつはそういう女ではない。と、陰口叩いて盛り上がる女子達を見ながらそう思った。うん、あいつは人の悪口言って盛り上がるようなやつではない。

そう、いつだったかに俺が弟達と喧嘩して(しょうもない理由だけど)すごいしょげてたときにnameは眉をこれでもかというくらい下げてどうしたの?どうしたの?と聞いてきた。その時はうるさいしめんどくさいし関わらないでほしかったけど今思うと傷心してた俺の側にいてくれたことを感謝しなくちゃなあ、って思う。


「おそ松ーー弟が呼んでるよ!多分一松くんかなー!!」
「おーーちょっと待ってろって伝えといてー」
「はいよー!」


多分一松くんかなーってなんだよ、俺らの中じゃアイツが一番分かりやすいのに。髪ボサボサだし。廊下へ出て俺を待つ一松のところへ行くとそこにいたのは一松じゃなくて十四松だった。いやいや、この2人を間違えるってどうなの?いくら六つ子といえどこいつらじゃ似ても似つかないぞ。
十四松の用件も大したことじゃなくてすぐに済んだ。教室に戻ろうとすると隣の教室から出てきたnameが「一松くんなんだって?」と聞いてきたから「ばーかあれ十四松だよ」と小突きながら言うとなっはっはと女らしからぬ笑い声をあげてnameは笑った。俺もnameにつられて笑った。



ある夏の日の放課後だった。夏休みにはいる1週間くらい前の放課後。この日はなんてことのない1日だった。イヤミは相変わらずうるさかったし、デカパン先生の授業ではいつも通りよく分からない薬を使って実験をした。昼飯は母さんの作ってくれた弁当。今日は占いグラタンが入ってた。ちなみに大吉。あっ、そうだ!あとトト子ちゃんに体育着を貸した。洗って返すねなんて言われちゃってもうにやけがとまんねーのなんので!なんてことのない1日じゃなかった。素晴らしい日だった!

軽やかな足取りで何も入っていないほとんど役割の果たしていないカバンを取りに教室へ戻るとそこには窓側の席にぽつんと座って俯くnameがいた。普段のnameを知ってる俺は驚いて「え、」と声を漏らしてしまった。その声に反応してnameが顔を上げた。青い顔してる。


「どうしたのおそ松? もう教室にいるの私だけだよ。誰かに用でもあった?」
「い、や。カバン取りに来ただけ…」
「あーそっかそっか。はい!これだよね?ぺしゃんこだから使ってないやつなんだろうなって思っちゃってたや」
「おー、さんきゅ、な」


俺のリュックをわざわざ取って持ってきたnameに首をかしげたくなった。あれ、普通?さっきの青い顔は何だったんだろう。nameからバッグを受け取ってじい、と顔を見つめると何ジロジロ見てんだよ!と手のひらを顔面に押し付けられた。いやそんなことない、普通じゃない、やっぱり顔が青い。ぺちぺち叩いてくるnameの手首を掴むと、nameは首をかしげた。


「なに、痛かった?ごめんね」
「なあ、」
「ん?どしたの」
「なんでお前そんな顔してんの」
「え?」
「顔、顔だよ。なんでそんな青いの」


びくり、と顔が強ばった気がした。目が泳いでる、笑った口元が歪んでる。「なんで、そんなこと」って蚊でも鳴くかのような声でnameは言った。なんでそんなこと聞くのかって?「だって俺長男だから、分かるんだよね」少し笑いながら言ってみた。ここでお前はきっと「私はおそ松の妹じゃねーよ」とでも言いながら笑い飛ばしてくれるだろ?でもnameは笑い飛ばしてはくれなくて、ただただ「はは、」と乾いた笑い声を漏らしていた。これは、あまり良くない。


「私さ、おそ松みたいなお兄ちゃんが欲しかったな」
「は?」
「ずっと羨ましいなって思ってたんだ。兄弟多いし、何か、松野家ってすごい楽しそう」
「name」
「へへ!なーんちゃってね!ちょっと熱くてしんどかっただけだよ!心配ありがとうね!それじゃっ、また明日ね〜!!」


手首を掴んでた俺の手を叩き落としてnameはにんまりと笑いながら逃げるかのように階段を降りていった。ああ、もっとこう、俺は何で気の利けたことが言えなかったのだろうか。きっとnameは何かに悩んでいたに違いなかった。nameの後を追いかけても良かったのだがタイミングがいいのか悪いのかチョロ松が一向に戻ってこない俺を探しにきていた。だから俺はnameのあとを、追いかけなかった。



それは夏休み中のことだった。カラ松とチョロ松は図書館へ、一松は猫の餌やり、十四松は野球、トド松は海と各々夏休みを過ごしていた。暇を持て余していたのは俺だけだった。弟の分の棒アイスを全て食べ切ってすることもないやりたいこともない俺はただただ部屋でごろごろしていた。宿題なんて、やる気がなかった。家の中にいるっていうのにこの茹るような暑さ、やんなっちまう。
やんなっちまうけど、暇を持て余している俺は何となく外へ出た。近所の公園?やだね子供がいる。あと蚊もいる!トト子ちゃんのところ?いーや追い返されて終わる。チビ太んとこ?行ってどうする。近所のスーパー?涼しいだけ。なら家と同じ。駅前?行って何をする。行く場所行く場所を煮立った脳みそで考えても否定的な考えしか出てこなかった。気が付くと俺は家から少し離れた繁華街へと来ていた。夏休みなだけあってやっぱり人が多い。親子連れ、友達同士、カップル。それぞれ皆夏を満喫していた。あーあーいいよな、金もあって予定もある奴らは!俺も夏を謳歌したいよ。


「(ほんとにあっちぃ、)」


自分の意思で外へ出たけど、思った以上につまらなかった。超絶美女がいるわけでもないし、催し物があるってわけでもないし。外にいても暑くてイライラするだけだ、そう思って家へ帰ろうとした。たまたまホテルから出てきたジジイが視界に入っておーおー昼間っからお盛んなことで!と悪態をついた。クソ、あんなジジイが昼間っからセックスできんのになんで俺はセックスできねえんだよ!やっぱり外に出るんじゃなかった!!

そう、やっぱり外に出るんじゃなかった。

ジジイの後に出てきた女が、どうも見覚えのある女だった。髪おろしてるし、化粧してるし、学校にいるときとだいぶ雰囲気が違うから一瞬分かんなかったけど、あれは、nameだ。

nameだと思ってから俺は何故だか走り出していた。家へ、じゃなくてnameの方へ。ぐっとnameの手を引けば俺の胸へなだれ込んできた。顔を上げたnameは俺の顔を見るなりわなわなと震えていた。なんで、どうしてここに、とでも言いたそうに。一緒にいたジジイは怪訝そうな顔をしていたが、nameにまたねと一言残して人混みへと消えていった。

正直、なんでnameの手を引っ張ったのかは分からない。分からない。ホテルからジジイと一緒に出てきたってことはさ、つまりだって、それって、援交してたってことだろ?何で?あのnameが?援交?なんで。嫌な汗が止まらなかった。そのとき、いつだったかの青い顔をしたnameが頭に浮かんだ。俺、今そのときのnameと同じ顔してんだろうな。


「よ、よォ。偶然だなname。こんなところで何してたんだよ」


何してたなんて、聞くもんじゃない。何言ってんだ俺。


「な、なに?お小遣い稼ぎ的な?そんな感じ?あ、あ〜、まあ夏だもんな!そう、だよな」
「…」
「いやっまあでも、お小遣い稼ぎつったって、もっとこう、ほら、色々あるじゃん?派遣とかさ」
「…」
「援交はやべーだろ」


あ、ビクリとした。違う、こんなこと言うつもりじゃない。


「なに、nameは金積めばヤラせてくれんの?」
「…」
「俺、万とかは出せねーけどヤッてくれたりしちゃう?ほら、クラスメイト割的なやつでさ!」


違う、こんなことを言いたいんじゃない。


「name、」
「…」
「…………………何してんだよ、お前」


ドン!と勢いよく突き飛ばされた。思ってもなかった行動によろめく。肩口を荒くするnameにああやってしまった、と頭を思い切り鈍器で殴られるような痛みを感じた。違うんだ、言いたいことはそんなことじゃない。ただ俺、ちゃんと理解出来てなくて。だってnameが援交って、そんな、馬鹿じゃねえの。何かの間違いだろ。こんなの。


「…誰にも言わないで」


2度目の衝撃だった。その言葉でnameは援交をしていたんだと思い知らされた。俺の知ってるnameじゃなかった。いや、そもそも俺はnameのこと何を知らない。知った気になってただけだった。

nameと数少ない学校での思い出が嘘かのように思えてきて、吐き気がした。あんなに笑顔を振りまいてたnameが、色んなジジイに股開いてあんあん喘いでるんだと思ったらもう気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。これは俺の知ってるnameじゃない。nameじゃない!


「きたねー女」


ポツリと声が漏れた。nameでもない、他の誰でもない、俺の口から漏れた声だった。酷く冷めた、冷たい声だった。ハッと顔を上げるとぐしゃりと歪めたnameがいて、「ちが、」と弁解をしようとしている自分がいた。


「ごめんね、おそ松」


いつだったかに聞いた弱々しい声。気が付くとnameはもういなくなっていた。頭の中でnameの言った言葉と俺の放った言葉がぐちゃぐちゃに混ざり合う。違う、俺そんなこと言うつもりじゃなかった。きたねーなんて、そんな。そんな…。

ミーーンミンミンミンと鳴くセミが嫌に耳に障る日だった。



新学期になって、俺は教室の中からnameを探した。無遅刻無欠席を誇るnameが学校に来ていなかったのだ。連絡先は、生憎だが知らない。nameが休みだということに少なくともクラスの奴らは不思議がっていた。そんなことよりも俺は、あの日のことをきちんと謝りたかった。

だけど、何日過ぎても何日過ぎてもnameは学校に来なくて。nameが学校に来なくなってからもう3ヶ月が過ぎようとしていた。nameのいない教室は、それこそ最初の頃は静かだったけど人は人を忘れるものだろう。いつの間にか前みたいな賑やかな教室になっていた。nameかいなくても、この教室は回る。それが何だか恐ろしくて俺はあまり教室にいなくなった。

そんなある日のことだった。文化祭も終わり、夏もとっくに終わり、もう秋が顔を出していた時だった。陰口を叩いていた女子達がコソコソと話していたのを聞いてしまった。nameはもうこの町にはいないと。


「ねー聞いた?nameのこと」
「えっなになに知らない。聞いてない!」
「ほんとかどうかは知らないんだけどサー、夜逃げしたらしいよ!」
「え?!!?夜逃げ?!!!?」
「ちょっと!声デカい!」
「ご、ごめん…! で?詳しく教えてよ」
「いやーなんだか借金取り?に追われてたぽくて!それで夏休み中に一家で夜逃げだってさ!」
「はぁ〜?!何それ、いつの時代だよ」
「あははっ、やだ笑い事じゃないからまじ〜」


ゲラゲラと笑う女子達の声が嫌で俺はその場から離れた。そんなの、俺知らない。知らなかった。nameん家が借金取りに追われてた?夜逃げをした?何だよそれ、漫画みてーな話し。ばかじゃねえの。頭でいくら考えても、夏休み前のあの様子のおかしかったnameがチラついて仕方なかった。あのときちゃんと俺が話聞いてやってたら何か変わってた?いや、金銭面の話なんて誰かにしたところで解決するわけじゃない。どうしようもない。そう、だからnameはきっとどうしようもなかったんだ。援交してたのも、借金を返すため。ヤミ金かなんかに手を出してたんだろうな、親が。その為にnameが何で身体を売らなくちゃいけなかった?分からない。ちっぽけでお粗末な俺の頭じゃいくら考えても分からなかった。


その日の夜だった。赤塚海岸に車が沈んでいたというニュースが報道されたのは。車の中には、3~40代くらいの男性と女性、10代の少女が乗っていたと。死亡して数日ではなく、数ヶ月経っていると。そして、身元確認を急いでいるらしい。



俺のクラスにとある女がいた

数日後、身元が割れてテレビから聞こえたのは俺のクラスメイトの女だった。やっぱりあのとき、追いかければよかったのかもしれない。きちんと話を聞いてやればよかったのかもしれない。聞いたところで未来が変わるかどうかなんて分からないけど。いや、でも今は話を聞いてやればよかったよりも、あの日のことを俺はちゃんと謝りたかったよ。

なあname。お前、汚い女なんかじゃねーよ。


2016.08.02

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