「なあそこのねーちゃん、」


ハスキーな声に呼ばれ私は振り返った。でもそこには誰もいなくて、私の空耳かしら?と首を傾げる。でもおかしいわね、だってここには私しかいないのだもの。ファーザーもシスターもいない。ここには私だけなのに一体誰が私を呼んだというのかしら。

前へ向き直ると視界が真っ暗だった。気が付くと私は何かにぶつかっていた。「あ、」と声が漏れる。私誰かにぶつかってしまった!咄嗟に頭を下げてごめんなさいと言うと、頭上から乾いたような笑いが聞こえて顔を上げた。(真っ黒な髪、)彼に対する第一印象はこれだった。


「あ、の。すみません…大丈夫でしたか?」
「…あァ、大丈夫だ。気にすんな」


ハスキーな声、この人さっき私を呼んだ人だわ。そう思った。


「…私に、何かご用でも?」
「いんや、そういうわけでもねェが…」


そう呟くと彼はほんと少し屈んで私に目を合わせた。


「うまそうな匂いがして、さ」


ギラリと光った目にぞわりと体が震え上がった。この人、怖い。危ない!脳がそう警報を鳴らしている。ただ怖いとか危ないとかそういうのじゃなくって、もっとこう、根本的な何かが違うっていうか。たらりと汗が伝う感覚に私は我に返る。相も変わらず彼はにたりと笑っている。警報が鳴って、我に返ったというのに私の足はぴくりとも動いてくれない。ああ早く動いて動いて動いて動いて!私の様子のおかしさに気付いているのか彼はその大きな手で私の頬をなぞる。びくりと身が跳ねたのと同時に彼は歯を見せて笑った。


「どの女もこうやって震えちまうんだよな、何でだと思う?」
「…ッ、」
「怖くて声も出ねェの? 見た目通りウブなヤツだな」


頬から手を離せば彼は額に手を当てて笑う。どうしてだろう、どうして私はこんなにもこの人のことを怖いと認識してしまうのだろうか。そう、落ち着け、落ち着きなさい私。彼はただの一般人、そう、一般、人…。
…果たして彼は本当に一般人なのだろうか?一般人にこんなに恐怖を抱く私はおかしいのではないのだろうか?いや、でも彼は一般人ではない、根本的な何かが違うのだ。ああ、何だろう。何だろうモヤモヤしてしまう。おかしい、おかしい!
怖い怖い怖い。声が出ない。いや、ここで声が出たとしても誰も助けに来てくれない。だってここには、私と彼しかいない。ガタガタと歯の奥が震える。


「そんな震えちまって、どうした?」


いじらしく笑う彼にせめてもの抵抗と思い睨みつける。怯む様子もなく彼はクツクツと笑う。


「吸血鬼、って聞いたことある?」


そう言われたのと同時にぐい、と腰に手を回され距離を縮められる。「まずい」そう思ったときには時すでに遅しというやつで。私は彼の腕の中に閉じ込められていた。


「や、ちょ!離してく…ッ」
「特別腹減ってるってわけでもねェけど、いつもと違う感じの女見つけちまったら手出したくなるんだよな」


ギラリと光る彼の目に捉えられる。もしかして私これ殺されてしまうのではないのだろうか。身をよじってみるものの、ビクとも動いてくれない。これは、まずい。

吸血鬼って、所謂血を吸う生き物で標的を見つけたら吸い切れなくなるまでとことん吸い尽くすって。標的にされたが最後、2度と陽の光を浴びることができないって、誰かがやけに興奮していたように話をしていた気がする。仮に彼が吸血鬼であれば、私はもう、死んでしまうのだろうか。
ああいやだ、私まだ死にたくない!今日祈りを捧げにきただけだというのにどうしてこんな!これも何かの運命(さだめ)だと言うのかしら。ああそれなら私は受け入れるしかないわ。ぎゅ、と目をつむった。お父様お母様、お兄様、さようなら。私はとても幸せでしたわ。


「へェ、覚悟出来てンのか」

そう呟いた彼の言葉に声を荒らげたくなった。覚悟も何も、これが私の運命だというのなら受け入れるしかないじゃない。誰も貴方に殺されたいだなんて思わないわ!そう悪態を付くとぐい、と顎を捕まれ顔を上げられた。

え、と声が漏れる。予想だにもしていなかった行為だったから尚のこと。顔をあげられなければ実際わからなかったけれど、頭1個と半分くらい背の差がある。目を開けてしまった私はまた近い距離で彼の顔を見ることになった。整った顔をしているのね、ああ、そばかすもある。
呑気なことを考えていたら、それが顔に出ていたのか彼は気に食わなそうに舌打ちをした。ハッ、と我に返るとすぐ近くに彼の顔があってああもう死ぬのだと感じる。せめて最後くらい神に祈りを捧げたかったわ。そう思いゆっくりと目を閉じると彼はハスキーな声で「いただきます」と言った。

首を噛まれるって、そういうことをされたことがないものだから(普通はない)実際どんな感じなのか想像も出来なかった。痛かったら嫌だな嫌だな、と思っていたけれどいつまで経っても首に痛みなんてやってこなくて。でも、何故だか首ではなく唇に柔らかい感覚がして。思っていたのと違う事態に大きく目を開けた。それと同時にまた彼の鋭い目に捉えられる。

私、見ず知らずの人にキスされてる!

慌てて離れようと口をほんの少し開けると待ってましたと言わんばかりにぬるりと舌が入ってきた。慣れない感覚にぎゅ、と眉をしかめる。彼は乱暴をするでもなく、啄むように、味わうかのように角度を変えながら私のことなんて気にも留めずただただ口の中を舐め回された。自力で立っていられなくなったのはキスをされてから数秒と立たずで、彼が支えてくれていなかったら今頃崩れ落ちていただろう。

ぼんやりとしてきたとの同時にやっとねちっこいキスが終わって口元から柔らかい感触が消えた。(あ、ちょっと名残惜しい)と思ってしまった私はふしだらだわ、いけない子。自力で立っていられないから彼に身をあずけてしまう。いけないわ、だってこの人、危ないもの。離れなくちゃ。
そうは思っても身体が言うことを聞いてくれない。ビクとも動いてくれない。もう何で!じろりと彼を睨みつけると彼はぺろりと舌なめずりをした。うえ、やだ。


「お前、すっげェうめェのな。初めて食った」


子供みたいに無邪気に笑う彼にくらりと目が眩む。何でそんな無邪気な顔をして笑うの!だって貴方、おかしいわよ、さっきまで悪い顔していたのに、そんなのずるいし、おかしいじゃない!私がそう思っているのをつゆ知らず彼はにんまりと笑っている。


「おれ、ちょっとお前のこと気に入ったかも」
「え、」

やっとの思いで出た私の声は思ったよりか細くて、自分ではないみたいだった。いやそれよりも彼は今なんと?気に入った?何というはた迷惑な!私はてっきり殺されるのかと思って死を覚悟したというのに。


「…なァ、もしかしてお前本当に血を吸われると思ったのか?」
「当たり、前…じゃない。吸血鬼、って言われて…!」
「…っぶは、本当に信じるヤツいるんだな。よっぽど宗教にのめり込んでるみてェじゃねえかお前」
「何、それ…冒涜?」
「まさか!おれは無宗教なんだ。冒涜何てそんなことするつもりは一切ねェよ」
「…じゃ、あ!貴方本当に、何なの」
「おれ、なんつーか吸血鬼の末裔?みたいな」「…はァ?」
「一応吸血鬼の血は入ってんだケド、血を吸ったりなんかはしねェしむしろ人と同じように飯を食ったりする。ぶっちゃけおれは飯を食う方が好きだな」
「…え、え?」
「…ただ、ちょーっと人より性欲強め、みたいな?」


さっきまで浮かべていた無邪気な笑顔はどこへいった!と叫びたいくらい彼はまたにやりと悪い顔をして笑った。ああ、クラクラする。この人苦手だわ!吸血鬼の末裔?何それ、聞いたことないわ。ああ神よ、一体私をどうするつもりなのですか。私が一体何をしたというのですか!


「今まで色んな女食ってきたけど、なんか、お前が一番だわ」
「そ、んなの知らな…!」
「気に入ったもんは全部手に入れてェ主義なんだ、おれ」
「え、?」
「お前、これからおれのモンな!」


歯を見せて笑った彼にぎゅうと胸が締め付けられる。あ、やだ。なにこれ!気が付くと私の体は浮いていて、彼に担がれていた。思わずきゃあ!と声が出るとその声が届いたのか教会の奥からブラザーが出てきた。「! おい、またお前かエース!」金髪の彼がそう叫ぶと彼はげ、と苦虫を潰したような表情を浮かべた。


「ゲ、ここサボがいるところじゃねェか! おいお前、もうここには来んじゃねェぞ、いいな?」
「わっ、あ!あの、離して…!」
「ダメだ、そういうのは一切きかねェ」


この人、何が何でも私を連れ去る気なんだ!ああどうしよう、助けて神様!しっかり体をホールドされてるとは言えどこっちも捕まっていないと今にも振り下ろされそうでたまらない。祈ることも出来ない私はもう何をしたらいいのだろうか!


「おい、お前名前は!」
「えっ、あ、私は…!」


やだ、私ったら自分を連れ去ろうとしている人に何で名前を名乗ろうとしているのかしら!名乗らなくてもいいと言われたのか、そう思うとガチ!と思い切り舌を噛んでしまい声が引っ込んだ。私が舌を噛んだのに気付いたのか彼はクツクツと笑った。


「まァいいや、あとで教えてくれ! 先に名乗っとくぜ、おれはエース。今日からお前はおれのモンだ」


声高々にいうエースと名乗る彼に私は酷く悩まされることになるであろう未来を感じ取る。


「逃げるだなんて思わせねェくらいおれのこと忘れさせねェようにしてやるから」



吸血鬼の彼はそう言った

そう言った彼はきっとまたさっきみたいな悪い顔をしているのだろうと考えただけで私は頭が痛くなった。ああ神よ、こんなの酷だわ!


2016.02.24

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