アイレンU
ーーーーーーーーーーーーーーー
人の腹より生まれし異形。
闇の王でありながら、己より劣る、脆弱なはずの人間の血を飲まなければ生きていけない化け物。
一族の大多数の人間と同じく、彼女もまた吸血鬼という存在を憎み、疎み、見下す立場にあった。
しかし、どんなところにでも、癌が存在するように、それは倉橋家にとっても例外でなかった。

「二度と戻ってくるな!!」

「言われなくてもそうさせてもらうわよ」

学校から帰って早々、本宅の居間から響いてきた父の怒号。
依織は思わず肩をびくりと震わせた。
父とは対照的に、若い女の声は間延びしている。
息を潜め、依織は慎重に渡り廊下を進み声のする方角へと進んで行く。
そっとしゃがみこみ、居間の襖の隙間から中を覗き見る。
顔を怒りに歪める当主の眼前にいる少女は、座布団の上であぐらをかき、面倒そうに頭をかきながら、上段に座る國広と対峙している。
黒のタンクトップにスキニージーズンを纏う気だるげな少女は、唐突に立ち上がると腰に片腕を当てながら舌打ちをした。

「私の方こそ、こんな家願い下げよ」

「……お前は倉橋の恥だ」

威圧的に、國広は蓮花を睨み付けた。
腕を組み座り込んだままだというのに、男には圧倒的な強者としての存在感があった。
自身に向けられた訳ではないにも関わらず、依織は思わず息を呑んだ。

國広と対峙する少女は気丈だ。
全く臆することなく、むしろ笑みすら浮かべている女に、依織は尊敬の念すら覚えた。

「私からすれば、義兄さんの方がおかしいと思うわよ」

「義兄さん」という単語に、依織は眉を顰めた。
父をそう呼べる人間は限られている。

「あれがかの有名な「はみ出し者の蓮花」かぁ」

「っ……!?」

突如耳元から聞こえた男の声に、依織は声にならない声を上げ、その場で飛び上がった。
心臓はばくばくと激しい流動を続け、依織を急かす。
反射的に座り込んだまま背後を振り向けば、膝を抱えしたり顔の宗介の瞳とぶつかった。

「し、心臓に悪いでしょ!」

小声で宗介を罵るも、宗介は全く堪えたそぶりをみせない。
上機嫌に笑うだけだ。

「まぁまぁ、俺も混ぜてくれよ」

「……好きにすれば?」

「ああ、好きにさせてもらうよ」

棒読みで答えた依織にも、宗介は笑みを崩さない。
更ににこにこと気持ちの悪い笑みを浮かべ、急に立ち上がったかと思えば、依織の肩に両手を置き、襖の間を依織に倣って覗き始めた。

倉橋蓮花(くらはしれんか)。
亡くなった依織と國依の実母の、一番下の妹。
依織と弟にとっては叔母にあたる人物である。
はみ出し者について、依織も噂には聞いた事があった。
だが、倉橋の家を毛嫌いしている彼女は、なかなか本家に寄り付こうとはしなかった為、依織が彼女の顔を見るのは初めての事だった。

部屋の中の二人は、相も変わらず不毛な言い争いを繰り広げている。
言い争い、というよりは、國広が一方的に怒声を浴びせているだけだったが。

「……蓮花叔母さん、なんで本家に来たのかしら」

「あの人、結婚の話を蹴ったらしい」

え、と小さく声を上げ、依織は背後に立つ宗介を、口を開け見上げていた

「倉橋の女としてのつとめすら放棄する気なのかーって、御当主殿は当然のようにご立腹。それで、呼び出し食らって、お説教。一族破門の危機って訳」

宗介は、詩でも読み上げるように流暢に依織に語ってみせた。
変わった人もいるものだ。
依織には彼女の心境がよく分からなかった。
一族の繁栄を願い、一族の為に尽くすのが、倉橋の女の務めと信じ込んでいた幼い彼女には。

そう、と興味なさげに告げ、依織は視線を居間へと戻した。

「でも」

突如、声音を下げた宗介に、依織は再び宗介へと視線を向けた。

「あの人にとっては、その方が幸せかもしれない」

ここではないどこか遠くを見つめながら告げられた言葉は、ずしんと依織の中に影を落とした。

「あんた達がしている事は、人殺しと同じじゃない」

静かながらも凛とした声が、依織を現実に引き戻した。
襖の間から覗き見たまだあどけなさの残る少女の横顔は、到底子供とは形容できない、深淵に足を踏み入れた者の顔をしていた。

人殺し。
違う。吸血鬼は人じゃない。
あれは化け物だ。人間じゃない。
違う。何を言っているんだこの女は。

動揺する依織を無視して、蓮花は依織と宗介がいる襖の方へとやってくる。
宗介が依織の腕を掴み、呆然とした彼女を立ち上がらせると、急いで二人して襖から離れようとした。
が、時既に遅く、ふてぶてしく襖を引き、蓮花が居間から出てきた。
蓮花は音を立てて襖を閉じ、くるりと体の向きを変えたところで、数歩先にいる、逃げようとして失敗し、その場に立ち尽くしてしまった子供二人を視界に捉えた。

「あー。……もしかして、聞いてた?」

ぶんぶんと、子供達は廊下の真ん中で固まったまま首を左右に振り、必死に蓮花の言葉を否定していた。
あー、これは聞かれちゃった感じか。と、蓮花はぼりぼりと頭を掻きながら、めんどくさそうに二人に近付いていった。

「……あれ、あんたら、もしかして」

そこまで言って、蓮花は少し考えるようなそぶりを見せた。

「よし、お前たち」

どん、と一歩踏み出した蓮花に、二人は面白い程に震え上がる。
内心笑いそうになるのを必死に押し隠し、蓮花は意地の悪い笑みを浮かべた。

「聞かれてしまったからには仕方ない」

わざとらしく出した低い声音にも、子供達は過剰に反応する。

「口止料だ!お姉さんがパフェを奢ってやろう!」

今まで作っていた表情を改め、にぃと口角を吊り上げ豪快に笑って見せた。
なんなんだこの人は、と依織と宗介は互いに顔を見合わせた。

「……付いて行って大丈夫だと思う?」

「さぁ?」

「なにごちゃごちゃ言ってんのよ。ほら、しのごの言わずに行くわよ!」

「うぁぁあ!?」

宣言と同時に、依織を担ぎ上げ、蓮花はずかずかと大股に玄関に向かって歩き出す。
助けろ、と目で訴えるも、宗介は白々しい顔で笑うだけだった。
むしろ、じたばたと暴れる依織をたしなめ、蓮花と一緒に楽しんでいる節さえある。
そのまま玄関を出て行ってしまった三人を見つめる影が二つ。

「よろしいのですか?圀依様」

圀依の元へと茶を持ってきた、割烹着を着た壮年の女性、鷹子(たかこ)の問いに、圀依はふん、と鼻を鳴らした。

「別に」

先ほどの喧騒を自室から盗み見ていた少年は、机の上に頬杖を付きながら、鷹子の声に耳を傾けていた。
鷹子はあらあら、と頬に片腕を当て微笑んでいた。

「坊ちゃんもパフェ、食べられたかもしれませんのに」

「鷹子!!」

叫び声を上げた少年に、女は慈母の顔で笑むだけだ。
ふふふ、と微笑ましげに笑う鷹子は、そっと学習机の上に茶を置くと、一礼し部屋を去っていった。

「……姉様に触れやがって」

チッと舌打ちを落とし、圀依はやけくそのように茶を喉に流し込んでいく。

圀依にとって、姉は尊敬してやまない理想の存在だった。
従順で謙虚な、模範的な倉橋の女の理想像。
どこか虚ろな表情に、馬鹿ではない筈なのに、明瞭な自分の意思というものを持ってはいない心。
母を早くに亡くした圀依にとって、依織は姉であり、母であり、世界の全てと言っても過言ではなかった。
圀依がねだれば妥協し、どんな我儘にも仕方がないと付き合ってくれる。
依織は倉橋の、圀依の、可愛い可愛い完璧なお人形さんだったのだ。

それを変えたのは宗介だ。
あの男と会ってから、依織は変わった。
依織は変わらず倉橋の人形だったが、完璧な人形ではなくなった。
それを、圀依は良しとしなかった。
姉は、依織は、この自分のものだったのに、あいつは後から来たくせにかっさらっていった。

宗介が自分の未来の兄に成る事など、圀依には耐え難く、それ以上に姉があの男の妻となる事など許しがたい事態だった。

姉と二人でパフェが食べられるとなれば、一も二もなく頷いただろうが、今回は宗介が一緒だ。
それだけならまだしも、蓮花も一緒ときている。

「……一族の恥め」

つぶやき、勢い良く圀依は机を殴りつけた。
姉を尊敬し、愛してもいたが、それ以上に圀依は、紛れもない根っからの倉橋の男であった。



≪back | next≫
- 64 -


目次へ


よろしければ、クリックして投票にご協力ください。
 



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -