悪趣味な男
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鼻を突く異臭に、点々と夜道に散る血の跡に。
ロザリアはその美貌を痛ましく歪ませた。
死体が残っていないところを見ると、この惨劇が誰の仕業であるかは明らかだった。
何も知らない人間たちには、悪趣味な連続失踪事件とでも騒がれるのだろうかと、しゃがみこみ、血痕を指でなぞれば微かに血が付着する。
あからさまに少女を誘い込むような血の指標の数々に吐き気がした。
口を押さえ、襲い来る壮絶な目眩を必死にやり過ごす。
肩を大きく震わせ、目に涙を浮かべながら、少女は必死に歯を食いしばった。

大丈夫、まだ耐えられる。

ロザリアは黒のワンピースを風に揺らしながら立ち上がると、すぅと深呼吸する。
足に軽く力を込め跳躍し、軽々と民家の屋根に登ると血の跡と匂いを追い、全速力で駆け出す。
速く、もっと速く。
その足取りは風の如く。面持ちは戦に望む武者の如く。
辺りに満ちる血の匂いに意識を持っていかれそうになるのを必死に堪え、ただ前に進む。

後少しの辛抱とばかりに足を動かし続け、やがて彼女はひとつの建物の前で足を止めた。
ロザリアが、数週間前まで通っていた木造建ての神聖な学び舎は、今や血塗られた町の中でも尚一層の負の臭気を漂わせる魔境と化している。

「……いい趣味してるじゃない」

舌打ちと共に学校の敷地内へと一歩踏み出せば、ぞわっとあまりの気味の悪さに悪寒が走る。
ざわざわと木々が慄く音が、バチバチという微かな街灯の音に紛れて静寂を乱す。
ロザリアとて人の事をとやかく言える立場ではないが、はっきりとこれだけは言える。
あの男とだけは絶対に分かり合えない。
残念ながら、そこまで悪趣味な性癖は持ち合わせていない。

本能的な不快感に顔をしかめながら、ずかずかと無遠慮に校庭を横切り、校舎の中へと足を踏み入れた。
襲い来るのは不気味なまでの静寂。
ここは敵の本陣。いつ何時仕掛けられてもおかしくない。それでも真正面から侵入したのは単なる意地だった。
歩く度にみしみしと床板が軋むが、そんな事はあまり気にならなかった。
意識を研ぎ澄ませ、隠し持っている銀のナイフに手を充てがうが、一向に何かが襲ってくる気配はない。
ふと足元を見れば、わざとらしくロザリアを誘っているかのように血痕が残されている。
相手がその気なら乗ってやろうではないかと、ロザリアは不気味なうすら笑いを浮かべながら、大股に歩き出した。
やがて、廊下、階段と不自然に残されていた血の跡は、ひとつの教室の前で途切れた。

見上げれば2年A組の文字が目に入った。

(本当、いい趣味してる……)

自身の妹の教室で待ち構えているとは、ある意味予想通りと言えばそうだった。
込み上げてくる静かな怒りを無理矢理押さえ付け、ロザリア・ルフランは教室の引き戸を一気に開いていた。
微かな月の明かりに照らされ、青桐叶夜はひとつの机にもたれ掛かるようにして窓の外を無表情に見詰めていた。
妹の机に血にまみれた指を這わせ、愛しげに撫でる様は狂気の沙汰。
雲の切れ間から一際強い光が差し込んだ瞬間、暴かれたのはその瞳の色同様、彼の全身に付着した、鮮血を通り越し、ドス黒く濁った大量の返り血だった。
叶夜の足元の床には派手に血痕が付着しており、まだ赤いところを見るとつい今しがた何をしていたのか、想像に難くなかった。

「随分派手にやったじゃない」

ロザリアが声を上げた事でようやく彼女の存在に気が付いたのか。
だが、叶夜は特に驚いた素振りは見せず、不自然なまでの穏やかな微笑を湛え、赤い目を細めてロザリアの方へと向き直った。

「自暴自棄にでもなった訳?……そんなに由香に選ばれなかった事が不満?」

「……選ばれなかった?」

ロザリアの嘲笑に、叶夜は彼女の言葉を反芻し下卑た笑顔を浮かべる。
次いで心底愉快だといった具合に声を上げて笑う男に、ロザリアは不快感を顕にした。

「由香は、必ず僕を選ぶよ」

言いながら、叶夜は口の端を恍惚に吊り上げていく。
その瞳に宿るのはどこまでも気味の悪い執着と確信だった。

「……根拠のない自信なら結構よ」

「……根拠ならあるよ」

狼狽えるロザリアをあざ笑うかのように、叶夜は余裕だった。

「由香は、絶対に僕の所に帰ってくる」

うっとりと、そうとしか形容できない表情で、青桐叶夜は笑った。

「あんたの頭が、どうしようもないぐらいに逝っちゃってるって事はよく分かったわ」

この男は、もうどうしようもないぐらいの馬鹿だ。阿呆だ。
こんな男が由香の兄だなんて信じたくない。
だが、これが紛れもない現実なのだから仕方ない。
七年前、実の妹を強姦しかけた男。
己の欲望のためだけに、身勝手に数多の命を奪い続けた男。
そして何より、由香を精神的にも肉体的にも、縛り、苦しめてきた男。

「……それだけで十分よ」

静かに言葉を発し、そのままロザリアは銀のナイフを握る腕に力を込めた。
月明かりを反射した銀の閃光が青桐叶夜の心臓目掛けて真っ直ぐに伸びる。
もう御託は聞き飽きた。
それに、今のこの状況ではロザリアが圧倒的に不利だ。
吸血鬼の能力は純粋な生まれ持っての才覚も勿論だが、それ以上に摂取した血の量が大きく関わってくる。
それこそ全身に浴びる程に血を摂取したのであろう青桐叶夜と、純粋な生きた年月と持ち得た才能で勝っていたとしても、圧倒的に血の量が足りていないロザリアとでは、どちらが有利なのか言うまでもない。

由香を庇った時に付けられた傷の治療に、思っていたよりも力を使いすぎた。

消耗戦になれば確実に持たない。
出来れば一撃、最悪でも三回穿つまでに止めを刺さなければまずい。

だが、渾身の力を込めて放った一撃を、叶夜は軽々と交わしてみせた。
それどころか、真っ直ぐに心臓へと伸ばされたロザリアの腕を掴み、心底面白いといった具合にうすら笑いを浮かべて見せる。

「君とは、個人的に一度じっくり話してみたいと思っていたんだ」

「生憎、私にはあんたみたいにとち狂った小僧と話す趣味なんかないわ……よっ!!」

言い切ると同時に足を振り上げ叶夜の顔を狙えば、流石に予測出来なかったのか、一瞬意識が右腕から逸れた。
今が好機とばかりに力を込め腕を振り払い、ロザリアは体制を立て直す為に一旦引き下がろうとする。
だが、叶夜の方が早かった。
再度ロザリアの右腕を掴み、その細腕のどこにそんな力があるんだという馬鹿力でロザリアの腕を潰しにかかった。
メリメリと指が肌に食い込み、ロザリアの白い手首が痛々しく、ありえない方向に折れ曲がる。

「ヵーーーーァ……っ……あぁ!!!!」

声にならない叫びを上げ腕に気を取られた一瞬の隙に、叶夜は無表情にロザリアの腹に蹴りを入れた。

瞬間、ボギィッ!という有り得ない音を立て何かが折れる。
肋骨を何本か持っていかれた。
ゴボォッ!と血を吐きながら、このままではまずいと生存本能のままに治癒が追いつかず使い物になっていない右腕から左手へと咄嗟にナイフを持ち替え、片腕を拘束し続ける叶夜の右腕を鬼の形相で切り付けた。

叶夜の眉が苦痛に歪み、手の拘束が緩んだ一瞬の隙をついて、ロザリアは叶夜の腹にお返しとばかりに力一杯蹴りを入れ、その反動で叶夜から距離を取った。
腹を抑えながら、だらんとだらしなく垂れた右腕の状態を確認し、声を出さずに荒い息を何度も繰り返す。
手首を折られたか、と簡潔な感想を抱き、再び叶夜と対峙する。
きっとひどい顔色をしているだろう、俗に言う土気色と言う奴か。
そんな風に考えはするも、笑って誤魔化す余裕は最早なかった。
やがて、徐々にではあるが傷が再生をはじめる。後五分もすればこの程度の欠損は元通りになるだろう。
だが、圧倒的に血が足りない。
急激な治癒を複数箇所同時に行ったせいか、飢えの感覚が抑えきれないほどに増幅しているのをロザリアは感じ取っていた。
前言撤回。後一撃で仕留めなければこっちが持たない。
瞼の裏にチラチラと赤い閃光が走る。
ぽたぽたと叶夜の腕の刺し傷から滴り落ちる血液でさえ、餓えた少女にとっては目の毒にしかならない。

一方の叶夜は、内蔵の欠損はすぐに治ったようだが、一向に治る兆しのない腕の刺し傷に、不気味な笑みを一層深めた。
そうして、疲弊したロザリアに視線を戻し馬鹿にするように口を開く。

「そんな状態で、頑張った努力は認めるよ。でも、つくづく君は愚かで可哀相だと思うよ。……人間の血が、飲めないだなんて」

最後の一言でロザリアの心臓が一際大きく跳ねる。

今、この男は何を言った。
そもそも、何故、この男がそれを知っている。
ただでさえぐらつく視界に止めを刺すかのように、毒を吐く嫌味ったらしい笑顔が突き刺さる。

「ああ、由香の血は飲めるんだっけ?」

うるさい。
黙れ。

「同情するよ。過去に何があったか知らないけど、君も大変だったんだね」

同情心の欠片も見られない、それどころか新しい玩具に狂喜乱舞する子供のように。
愉悦に口の端を上げ、息も絶えだえのロザリアに一歩、二歩と優雅な足取りで近付いていく。

「本当に、可哀相に」

その言葉で、何かがぷツンと切れた。

「……よ」

ニタニタとした笑みを浮かべたままの叶夜を気丈に睨み付け、ロザリアは

「ケツの青い小僧の分際で舐めてんじゃないわよ」

微笑みながら静かに、地を這うような声で罵倒の言葉を贈った。
一か八か、賭けるしかなかった。
瞬間、ロザリアの瞳が輝きを増し、何処からともなく強風が吹き荒れる。
金の髪が風に激しく揺らぎ、教室の机と椅子がガタガタと悲鳴を上げる。木製の窓枠は歪な音を立て軋み、硝子は水面のように小刻みに震え出す。

「『散れ』」

それは小さな囁き声。
少女のか細いながら、確かな決意を感じさせるそれを合図に、硝子の揺らぎが一層増し、そして、音を立てて砕けた。

目を大きく見開き、驚きを顕にした叶夜を置き去りにし、廊下側と校庭側、それぞれに面した窓の硝子は少女の意のままに形を変え、次の瞬間、一斉に叶夜目掛けて牙を向いた。

磁石に引き寄せられる金属のように、真っ直ぐに叶夜目掛けて硝子の雨が降り注ぐ。
咄嗟に叶夜は己の目を庇っていた。
少女に操られた硝子の破片が、男の肌を切り裂いていく。
ぶすりと肉を切り裂かれる度、男の口元が痛ましげに歪められるも、ロザリアは攻撃の手を緩めなかった。

ロザリアは、正直な所肉弾戦を不得手としている。
吸血鬼にも色々な性質を持った者がいる。
単純な力勝負、肉弾戦で勝るもの、精神干渉が得意なもの、そして、普通の人では有り得ない、所謂超能力といった類のものを手繰る術に長けたもの。
彼女の得意とするものは正にそれだった。

吸血鬼全般に言える事だが、力の行使には、それに釣り合うだけの実力と血液を必要とする。

現にロザリアは、気を緩めてしまえばすぐにでも血を貪る悪鬼と化すだろう程には消耗していた。
正直なところ、かなりこの技は燃費が悪い。
派手な見た目だが、硝子一欠片毎に精神を集中させている分、使用後の疲労感は計り知れない。

しかし、そんなに悠長な事を言っている場合ではなくなった。

叶夜を仕留めた後ならば、もう二度と由香に会えなくなったとしても構わない。

叶夜の意識が一瞬、自身の身を庇うことに専念される。
その隙を突き、ロザリアは叶夜を床に引き倒し、馬乗りになり銀のナイフを突き立てた。

勢い良く腕を振りかぶり、ナイフが心臓へと到達する寸前。
笑みを浮かべた叶夜の目が、先程のロザリア同様不気味に輝きを増した。

(まず……っ!!)

まずいと思った時には、既に手遅れだった。
先程まで叶夜がいた筈の場所に、場違いなまでに呑気な顔をした少女が横たわっている。

本当に、悪趣味すぎて笑えてくる。

どうして、よりにもよって。
由香の幻影を見せられなければならない。
絶句。まさにその単語しか出てこなかった。

「ロザリアちゃんになら、殺されてもいいよ」

違う。
あの子は、由香はそんな事言わない。
そもそも、そんな状況になる訳が無い。
今目の前にいるのは青桐叶夜だ。
これは、叶夜の見せた幻想に過ぎない。
由香と同じ声と顔で、目に涙を浮かべながら、それでも気丈に微笑んでロザリアを見据える。
刃を握る腕が、小刻みに震えていた。
これは本物じゃない。偽物だ。
刃を突き刺してしまえばそれで終わる悪夢。
でもこれは、あまりにも。

「でも……痛いのは嫌だなぁ」

最後の方は震えていた。
情けなく泣きながら、笑う。
ナイフを握るロザリアの腕に優しく手を這わせ、由香と同じ声で止めを促す。

「私、ロザリアちゃんと友達になれて、本当によかった」

決意を固めて再度腕を振るい上げるも、その言葉に刃を取り落とした。

「ぁ……ぁ……ぁぁ……」

出来ない。無理だ。
次の瞬間

「ーー本当に、馬鹿だなぁ」

眼下の由香が、嘲笑を浮かべた。
ドンっと後頭部に鈍痛が走り、ロザリアはその場で気を失った。
自身の上に倒れ込んだロザリアをゴミのように押し退けて立ち上がり、叶夜は余裕綽々とした笑みを浮かべる。

「君には、まだ利用価値がある」

男の背後には、ロザリアの後頭部を金属バットで殴り気絶させた、虚ろな目をした少女が控えている。

「それに、こんなに面白そうな玩具を、簡単に潰す訳ないだろう?……君も、そう思わない?」

言いながら、叶夜は少女には目もくれず、ロザリアから視線を逸らし、教室の隅に鎮座する掃除用具を入れる為のロッカーに視線を這わせた。

「ねぇ?倉橋依織さん?」
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