行きたかった場所
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キースは目立つ。
整った目鼻立ちに、180はあろう長身。
仕草は優美、立ち居振舞いから話し方一つとっても否を探す方が難しい。
それは由香とて重々承知していた筈だ。

「……どうかした?」

だから、甘い微笑を浮かべ由香を横から心配気に覗き込んでくるキースに、周囲にいる人間が黄色い歓声を上げる事は最初から予想出来ない事態ではなかった。

「だ、大丈夫です……」

バスに乗るからと、バス停を目指しルフラン邸を出、歩く事約十分弱。キースの口からバスという単語が出た事事態驚きだったが、そんな事直ぐにどうでも良くなった。
目先の問題は、街を歩く人々の視線なのだ。
十中八九、街を歩く人はキースを視界に入れると振り返る。
それも男女問わず、だ。

しかも近寄って話しかけてくるでもなく、数メートル距離を開け、見られている為、由香とキースの間だけ海が開けたかのように人がいないのだ。

焦る由香とは反対に、キースは堂々としている。彼ならば、こんな自体はもしかすると毎度の事なのかもしれない。
だが、由香からしてみれば大問題なのだ。

絶対釣り合っていない。

そもそも、どうしてこの人が自分に対しここまで好意を寄せ溺愛してくれているのか、全く検討が付かなかった。

「何を考えているの?」

不意にこちらを向き、真剣な顔で問い掛けるキースにどきりとした。

「な、何でもないです……」

いくら隠そうと平静を装おうとしても、繋がれた腕からは直に震えが伝わってしまって、キースにはこちらの感情等筒抜けだろう。

「……走れる?」

「えっ……は、はい……!?」

由香が言い切らぬ内に、キースは由香の手を引いたまま、逃げるように駆け出した。
見れば、流石に逃げたキースの後を追おうとは思わなかったのか、残念そうにこちらを見ている女性数人と目が合った。
その中の数人から、お前では相応しくないと言われている気がして、慌てて前を向けば、由香に合わせて速度を少し落としながら走る広い背中が見える。

後ろ姿ですら様になっているというのは反則だと思う。
しばらくすると、人もまばらになったからか、キースは走るのをやめた。
そんなに走っていない筈なのだが、加減されているとはいえやはり大の男に合わせて走ったせいで、由香は息も絶え絶えだった。

最初からこんな調子で大丈夫だろうかと、膝に手を付きぜぇはぁと無心に空気を吸い込んでいると、申し訳なさそうにキースに頭をぽん、と叩かれた。

「……急に走って、辛かっただろう」

由香とは反対にキースはピンピンしている。
吸血鬼の身体能力からか、単に男女の身体能力の差なのかは定かではないが。

「す、すみ……ません……」

「謝るのは私の方だよ」

「キースさんは……、わ、悪くないです。むしろ気遣って頂いたのは私の方で……」

「……由香」

咎めるような声音に、下げていた顔を上げれば少し怒っているらしい顔が目に入る。

「あまり謙遜し過ぎるのは良くないし、それに、今回の事で非があるのは明らかに私だ。……すまなかった」

申し訳なさそうに下げられた眉に、由香の方が困惑してしまう。
キースが目立つ事は最初から分かっていた事で、浮かれてそれを忘れていた由香も悪い。
それに、この人の横に並ぶのならそんな事はきっと些細な問題。
気にしてはいけないのだ。

「だ、大丈夫です。……私も、が、頑張りますから」

頭を上げようとしない眼前の人に、何とか機嫌を直してもらおうと、由香は笑顔を浮かべて何でもないように振る舞った。

その様が、キースの目にはどう写ったのかは知らない。
だが、何か思案するように腕を顎に当てる事数秒。

「何か対策は考えるよ」

そんな言葉を残し、キースは再び由香と手を結んだ。

「バス停まで後少し。それまでの辛抱だから」

「……はい」

頷き強く手を握り返せば、それに答えるように握り返してくれる腕がある。
愛しげに細められる目に、多少なりとも人目を集めてしまう事など些細な事に思える。

本当にバス停までは後少しだったようで、5分と経たず、バス停に着いた。
バスがやってきたのはその直後だった。

幸いにも中は空いており、二人揃って椅子に腰掛ける事に成功した。
が、問題はその後だった。
確かに先程に比べれば雲泥の差で周囲の人目は気にならなくなった。
だが、横からキースの視線が痛い程に注がれている。
そもそも、バスの二人掛けの座席は非常に密着している。普通に座っているだけで必ず体の何処かは触れてしまう距離。
窓とキースに挟まれ、心臓はうるさい程に高鳴り続ける。

(……私、もう無理かも)

色んな意味で爆発しそうだ。
羞恥やら何やら、色んな感情がない交ぜになっている。

「周りの視線は気にならないだろう?」

周りの目線は気になりませんが、横にいるキースさんの視線は物凄く気になります。

心では思うが口には出さない。
そこまでの勇気はない。
由香が黙って頷いた事に気をよくしたのか、キースは喜色を全面に押し出し、おもむろに由香の髪を弄び始めた。

何が楽しいのか、学校の時のように2つぐくりにしていた髪を解き、器用に手で梳いていく。

「やっぱり、下ろした方が可愛い」

「あ、あ、ありがとうございます……!」

咄嗟の返事に声が裏返ってしまった。
それが余程ツボだったのか、キースは由香から顔を背けると肩を震わせ笑い始めた。

「キースさん!」

真っ赤になり名を呼べば、目に涙を浮かべながら謝罪の言葉を述べる。

「あまりに可愛いから、つい……」

「あの、前から思ってたんですけど……」

「うん?」

「……キースさんは、どうしてその……す、好きとか……か、可愛い……とか……私に言うんですか」

自分でも何を言っているんだと恥ずかしくなり、言い切った瞬間耳まで赤くなりながら顔を背けていた。

「すみません今の話やっぱり」

「事実だから」

「え……」

「私は由香の事が好きだし、それにね、由香は本当にかわいい」

「キ……っ!」

「他の人がどう思うか、なんて私には分からないけれど、少なくとも私にとっては、由香は可愛いし、替えのきかない愛しい人だよ」

微笑みながら穏やかに告げられた回答に、聞かなければよかったと両手で顔を覆いながら下を向く。

無理だ。絶対にまともに顔を見れない。
何でそんなに恥ずかしい事をこの人は面と向かって言えるのか。
嬉しい。褒めてもらったのはとてつもなく嬉しいが、それ以上に恥ずかしすぎて死にそうだ。

「由香」

笑い混じりに名を呼ばれるが、とてもじゃないが顔を上げられる状態じゃない。

「由香」

再度名を呼ばれ恐る恐る顔を上げると、目と鼻の先にキースの顔があった。
驚きのあまり声も出せずに口を金魚のようにパクパクと間抜けに動かし、眼前のものを凝視する。

と、またしてもツボに嵌ったのか、声を上げて笑い出したキースに、またしても由香はキースの名を赤くなりながら叫ぶ事となった。

「……もうキースさんなんて知りません」

窓の外を睨み付け、キースに背を向ける。

「私が悪かったよ。笑ったりしてすまなかった」

笑い混じりの声に、窓に映るキースの困ったような笑い顔。
なんとなく後ろを向くのが癪で、そのまま黙って窓の外の景色と睨めっこを続けていると、不意に背後に熱を感じた。

「由香」

そして、耳元で聞こえた声と、窓に映るキースの姿を見て全てを察した。
由香の腹部に腕を回し、多いかぶさるように由香の名を呼ぶ。

「っーー!!」

こんな事ならもう少し痩せておけばよかった。
そんな事はどうでもいいのであって、いくら人も疎らなバスの中とはいえ、公衆の面前でこれは如何なものなのだろう。

咄嗟にキースを振りはらえば、残念そうに下げられた眉が目に入る。

「つれないね」

「と、時と場所を考えてください!」

「時と場所を考えれば、いいの?」

「キースさん!!」

完全に遊ばれている。
最初からこんな事で大丈夫なのだろうかと溜息を吐きながら窓の外を見ると、意外なものが目に入った。

「海……?」

「海だね」

後ろから肯定を示す言葉が返ってくる。
キースに遊ばれている間にいつの間にか結構な距離を走っていたようだ。

「……初めて見ました」

「知っているよ」

後ろを振り返れば、思わせぶりな笑みを浮かべたキースと視線がかち合う。

「昔、君が見てみたいと言っていたから」

「昔……」

懐かしむような微笑みに、一瞬何かを思い出しそうになるも、直ぐに掻き消えてしまう。
もしかして、もしかするとだ。
デート場所は海なのだろうか。
となるとこの人の前で水着姿を晒す事になるのか。そもそも、水着がない。
そんな事より一番の問題はキースの水着姿を直視出来る気がしない。

(無理無理無理無理)

絶対に無理だ。ハードルが高過ぎる。
そんな由香の心境を察してか、キースは不敵に笑った。

「残念ながら、由香の想像している展開にはならないと思うよ」

「え、いや、私は」

「目的地は、あっちだ」

キースの視線の先を追う。
そこにあったのは、イルカやペンギンのペイントが壁に施された大きな建物だった。

「キースさん、あれって……」

「水族館。今回の目的地であり、由香が昔、行きたいと言っていた場所だよ」
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