覚悟を決めて
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結論から言うと、可奈の怒りは静まらなかった。
もう少し詳細に言うと説得に全く応じなかった。

由香は仲裁に向かおうと階段に足を掛けた。
それを、既のところで嘉隆は止めに入ったのだ。

ここは俺に任せとけ。

その言葉を信じて由香は大人しくリビングで待っていたのだが、どうやら自体はそう簡単には収まらなかったらしい。
数十分後、上から嘉隆と和真が疲れきった顔で降りてきた。
和真は眉間に皺を寄せ無言。
嘉隆は複雑そうに笑みを浮かべていた。

「あの……可奈ちゃんは……」

「あー、上手いことまずい事は伏せて説き伏せようとしたんだが……」

「納得いかないーの一点張りで、こっちの意見なんて聞きやしねぇ」

溜息を吐く和真は心底疲弊していた。

「……可奈ちゃんに……その……なんて、言ったんですか?」

「体育の時間に高飛びしたら、着地に失敗して首の筋がぐきっといった」

二人の声が重なった。
流石親子。変なところで息が合うものだ。
聞いたところ中々に上手い具合に誤魔化せていると思う。
由香の運動神経はそれ程高くはないし、現に一度階段で足を踏み外している。
特に疑うところはないと思うのだが。

「なんでも保健室の荒れ方が尋常じゃなかったのが納得いかなかったらしい」

和真の言葉にああ、と思い当たる。
保健室で、キースはロザリアを蹴り飛ばした時、吹き飛んだロザリアが当たった壁が多少凹んでいた。

(あれじゃ、誤魔化しきれないか……)

それより、高飛びで首を吊ったのだとすれば、絆創膏ではなく包帯の方が都合がいいのではないか。

「あー、多分無駄だな。可奈ちゃんはもう嘘に気付いてる」

由香の問いに、嘉隆は首を横に振った。
その後深く溜息を吐き、由香の隣にどっしりと沈み込むように腰掛けてきた。
腕を組み意味深に思案する横顔はどことなく不穏なものを感じさせた。

「絶対に巻き込むなよ」

立ったまま嘉隆と由香を見下ろしていた和真を、嘉隆は戒めるように睨み付けた。

そんな事、今更言われるまでもない。

男の険しい横顔が物語っていた。

吸血鬼ハンターが具体的にどういった事をしているのかは知らない。
だが、吸血鬼と戦う以上不慮の死を遂げる事も少なくはないのだろう。
妻子のあるこの男がハンターなどというものを続けて、一体なんのメリットがあるのか。
そもそもこの人は

「……どうして、ハンターになろうと思ったんですか」

思った事が気付いたら口から出ていた。
まずい事を言ってしまったと慌てて口を両手で抑えても、言ってしまったものは納まらない。

嘉隆は由香の言葉に呆気に取られた顔をした後、今まで見た事もない程穏やかな顔で

「内緒」

と笑った。
何も不穏な事を言われた訳でもない。
内緒なのかと、明かせないのか、そうかと、納得すればいいだけの話だ。
なのにどうして、死と隣り合わせの不穏な職に着いていながら、嘉隆は心底幸福そうに子供のように純粋に笑むのか。

「あら、珍しい」

声の持ち主は茜だった。
あっけらかんとした清々しい明るい声が、重くなった由香の心を軽くさせた。

「おかえり、茜」

「はい、ただ今帰りました。待っててね、今から晩御飯作るから」

夫に声を返し、買物袋片手に浮き足立って鼻歌交じりにキッチンへ向かう彼女は見ていて癒される。
和真はキッチンで作業をする茜を無言で眺めると、もう用はないとばかりに自室に引っ込んでしまった。
由香も、夫婦二人の時間を邪魔するのも悪いと、そっとリビングから退室した。

それから一時間後、階下から夕食の完成を告げる明朗快活とした茜の声が響いてきた。
丁度出されていた数学の課題が終わったところだったので、由香はすぐに部屋の扉を開けた。

「……あ」

扉の外に、丁度隣の部屋から出てきたらしい叶夜がいた。
先程の事があっただけに顔を合わせ辛く、由香は声を上げてじりじりと後ずさっていた。
対する叶夜は先程までの怒りを微塵も感じさせない。

「どうしたの?そんなお化けでも見たような顔して」

声はどこまでも優しく由香を気遣うものだ。
何を誤解していたのかと、由香は目を閉じ深く息を吸い込んだ。
この人は青桐叶夜だ。優しくて強くて頼りになる自慢の兄。

(お兄ちゃんはお兄ちゃんだ)

そんな事考えるまでもない事だ。
さっきの怒り方が怖くなかった訳じゃない。
だが、それ以上に兄の事を大事に思っている。

「ううん。なんでもない」

「そう?」

「うん。……平気」

自ら叶夜に近付き、見上げれば、普段となんら変わらない笑顔がある。

「行こうか」

「……うん」

頷き兄の横に並び一緒に階段を下りる。
リビングの戸を開ければ、おいしそうな匂いがする。
今日のメインは肉じゃがらしい。

机には既に港家の面子が腰かけており、二人が最後らしかった。
食卓の雰囲気は微妙なものだった。
可奈は茜の隣に腰掛け向かいの席の和真と嘉隆を見ようとせず、和真も可奈を見ようとはしなかった。嘉隆は終始困り顔で、茜はそんな三人を、訳が分からないといった顔で眺めていた。
おそらく可奈の内心はこうだ。

何にも言わない兄さんなんて知らない。そんな兄さんの肩を持つ父さんも敵よ。

分からなくはないが、可奈の身を案ずれば何も知らず関わらない方がいい。
隣に立つ叶夜を盗み見ると、困ったように下げられた眉が目についた。

いつもは叶夜の横に腰掛けているが、今テーブルで空いている席は可奈の隣と、和真の隣だけだった。
昨日までなら喜んで可奈の横に腰掛けただろうが、今は状況が状況だ。
本音を言えば嘉隆、和真のいる側に座りたい。
だが、由香が行動に移す前に、叶夜が阻むようにそちらに腰をおろしてしまった。
仕方なしに可奈の横に腰掛ける。

「はい、いただきます」

「いただきます」

茜の声に先導され、皆で挨拶をする。
大人しくして下手な事はしないでおこう。
由香は静かに大皿にのっている肉じゃがに箸を伸ばした。
細々とそれを口に運ぶと、横にいる可奈にそっと身を寄せられた。

「……由香姉、何があったか深い事はもう聞かないけど……無茶だけはしないでね」

ぼそっと囁かれた不機嫌な声は由香にだけかろうじて聞こえるもので、嘉隆と茜の声に阻まれそれ以上に広がることはなかった。

(……ありがとう、可奈ちゃん)

不満げながらも疑問をすべて心に押し込んでくれた可奈に頭が上がらない。
これは由香の問題だ。
だからこれ以上他人を巻き込むわけにはいかない。
脳裏に浮かんだ机の上に置いてある銀のネックレスに、ぐっと決意を固める。
自分で方を付けなければ、どうする事も出来ない。
必ず誰かを傷付けるという。
選ばなければいけないというが、今の自分には選べない。
だから必死で考えよう。

どうすれば最小限の犠牲で一番いい末路に至るのかを。
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