仮面の下の素顔
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それから、約束の日曜日がやってくるまでの4日間。
ロザリアは相変わらず、昼休みになると忽然と姿を消していた。
流石に三度目からは後を着けてみようと試みはしたのだが、彼女はまるで風のように一瞬で姿を消してしまう。
購買に先回りしてみても、いつのまにか由香より先に教室に帰ってきている。

ロザリアは由香に購買に行ったと言い張り、実際購買の袋も持っている。
変に責めるのもお門違いというものだろう。

そもそも、由香はロザリアの行動を規制する権利等持ち合わせていない。

懸念ではあったが、彼女と彼女の兄は、この数日の間、特にこれといった激しい接触は求めてこなかった。
不安になる由香を他所に、時間は止まってはくれない。
そして、約束の日曜日がやってきた。

当然、弱虫な由香が平生を保っていられる訳もなく、由香はリビングで港兄妹と昼食後の団欒を過ごしながら、処刑を待つ死刑囚のような気持ちで少女の来訪の予兆に震えていた。

「……由香姉なんだか動きが怪しいけど、大丈夫?」

「だ、大丈夫……」

心配して声を掛けてくれた可奈にさえもびっくりして肩をおもいっきり震わせてしまった。
取り繕うように笑みを浮かべてみたが、声が震えているのは自分でも明らかだった。

「どうせ、初めて友達が出来たけどどうしよう。お呼ばれなんて初めてだし分からないよー。嫌われないように気をつけなくちゃー。とか思って怯えてんだろ。……これだからコミュ障は」

「にーいーさぁぁぁん?」

「あー、はいはい。わーった、わーった」

和真の図星の一言がぐさっと胸に刺さった。
最後のコミュ障という単語が更に追い打ちを掛けて由香をじわじわと攻撃していた。

(実際お邪魔するのは二回目だけど、一回目が一回目だし……)

自分はあの兄妹とどう向き合えばいいのか、全く判断が出来ない。
それに、あの屋敷には彼女がいる。
深い赤毛に包帯で覆われた左の顔。
何処まで不気味な底の見えない無表情。
キャロラインと呼ばれていたメイドの女性、彼女の事も不安材料だった。
考えれば考えるだけ不安が募っていく。
こんなに悩むならそもそも遊びに行く約束等しなければよかったのだろうが、あの時は状況が状況だった。

可奈に睨まれ、和真はそれきりだんまりしてしまった。
どうも彼は、叶夜と同じで妹には弱い。

(変な所で似てるというか、やっぱり従兄弟なんだなっていうか……)

緊張のあまり、どうでもいい事まで考えてしまった。
由香は頭を振り、雑念を振り払おうとした丁度その時、高らかに玄関からチャイムの音が響いてきた。

「は、はい!!」

「大丈夫、由香姉落ち着いて!」

声が裏返ってしまった由香を元気付けるように、可奈が声援を送ってくれた。

「由香姉、楽しんできてね」

リビングを出る寸前、手を握られながら言われた言葉に、胸が熱くなる。
彼女の優しさが嬉しかった。
茜と可奈はこういう所で似ているなと、由香は実感した。
和真はと云えば、相変わらず無言を貫いていた。
「ありがとう、可奈ちゃん。……行ってきます」

「うん、行ってらっしゃい」

由香はゆっくりと階段を降り、玄関へ向かった。
玄関の方からは、茜とロザリアの声が響いていた。
一瞬ロザリアが何かしでかしていないかと不安にさせられたが、二人の声音は至って普通な、それどころか楽しそうだったことに安堵する。

「ロザリアちゃん」

茜の後ろから声を掛ける。
ロザリアは由香を見るや否や、喜色を前面に押し出して、子供のように笑った。
あまりにも無防備な笑い顔に、由香は懸念していたことが杞憂でよかったと安堵する。

ロザリアは初めて会った時と同じ、黒い、いかにも上等なゴスロリを纏っていた。
顔立ちがくっきりとしているので、非常に栄える。
きっと制服を着ていても愛らしいが、今の格好の方がロザリアには相応しいと思えた。

「由香!もう、私待ったんだからね」

「ごめんね。ちょっと、準備に時間がかかちゃって」

「全然気にしてないわ。それより早く行きましょう!」

ロザリアに無邪気に」手をひっぱられながら、家を出る。
振り返って茜を見ると、彼女は心底嬉しそうに穏やかな微笑を浮かべていた。

「い、行って来ます」

妙にくすぐったくて、由香は、はにかんだ。

「行ってらっしゃい、暗くなる前に帰るのよ」

茜に手を振り港家を後にする。
森の中の道なき道を、人形のように愛くるしい少女と二人歩き続けると、やがて、少し開けた場所が姿を現した。
鬱蒼とした森の中、その屋敷は場違いなまでの威厳と存在感を放っていた。
ここに来るのは二度目だが、由香の二倍はあろう大きな玄関の扉は、由香を気おくれさせるには十分すぎた。

ロザリアは手慣れた様子で扉を開くと、中に向かって浮足立って大きな声で呼びかけた。

「お兄様!由香が来たわよ!」

「お帰りなさいませ、ロザリア様」

戸の内側で彼女の声に答えたのは、キースではなくキャロラインだった。
彼女は燭台を持っており、おそらくキースから二人を案内するように頼まれているのであろう事が伺えた。
ロザリアは、深々と礼をする彼女に、あからさまに機嫌を損ね、小さく舌打ちした。

「……あんたはお呼びじゃないのよ。むかついたから、由香が帰るまで私に話しかけないで」

キャロラインはロザリアの命令の通り、無言で一礼した。
いくらなんでもやりすぎだろうと思ったが、ロザリアは由香に対峙する時は、ずっと上機嫌のままだった。
キャロラインは納得しているようだし、由香から言えることは何もなかった。

キャロラインとロザリアに由香が連れてこられた場所は、初めてこの屋敷に足を踏み入れたあの時訪れた部屋、シャンデリアのある食堂だった。テーブルの上には既に菓子の類が用意されており、キャロラインは二人を案内し終えると、無言で頭を垂れ下がっていった。
中に入ると、既にキースがテーブルの中央、所謂パーティ席に座っており、ロザリアは兄を見るや否や、彼の元へ駆け寄って行った。
妹の頭を二、三度撫でると、キースは由香へと甘美な視線を向けた。
学校でのシンプルなスーツ姿も似合うが、今のような少し崩したラフなワイレッドのワイシャツ姿の方が、彼の妖艶な空気には合っている気がした。
テーブルに両手で頬杖を付きながら、キースは極上の笑みを浮かべた。

「いらっしゃい、由香。待っていたよ」
「お……お邪魔します」

鼓膜を震わす穏やかな声に、背筋にぞくり、と本能的な震えが走った。
例えるならば、肉食獣に捕えられた草食獣。
彼は蜘蛛のような人だと由香は思う。
自らの領域に獲物を招き入れ、安心した隙を狙い、骨の髄まで食らいつくす。
このままでは、きっととんでもないことになると、由香はどこかで恐怖を感じていた。
だが、逃げるにしては、自分はこの兄妹と些か関わりすぎた。
絆され過ぎているのだ。

動けずにその場に突っ立っていると、いつのまにかキースがすぐ目の前に迫っていた。
キースは由香に手を差し出すと、微笑を浮かべ囁いた。

「さぁ、早くこちらに」

その誘いを、由香は断れなかった。
断れる筈がなかった。
誘われるままにキースの手に己の手を重ねると、彼の笑みが一層深まった。

キースの横に腰掛ける形となり、その隣にロザリアが静かに佇んでいた。

「正直、今日君は来ないかもしれないと思っていた」

由香に紅茶を注ぎながら、キースはポットから流れ出る紅茶に視線を向けたまま、ぼそりと自身なさげに呟いた。
いつも余裕ぶっている彼にしては、珍しい発言だった。

「や、約束は守ります……」

「そうだね。由香は優しいから」

微笑まれ、ティーカップを差し出される。
手に取るとほんのりと薔薇の匂いがした。

「少しばかり、警戒心に欠けるとは思わない?」

「それは……」

確かに、自分でも些か軽率な行動だと思う。
キースは確かに由香に好きだと言った。
その場に妹がいようとも、そこが自分に好意を寄せている男の家だということに変わりはない。
子供のような淡い恋心で彼は由香に好意を口にしてはいないだろう。
現に学校で、由香はキースに一度キスされかかっている。

答えあぐねていると、今まで黙っていたロザリアが急に口を開いた。
彼女は眉根を寄せ、少し苛立っているように見えた。

「お兄様、由香を苛め過ぎ」

「おや、怒らせてしまったかい?」

「そうね。一応言っておくけど……由香が嫌がる事は許さないわよ」

キースは肩を竦め、苦笑いだった。
この人も言い包められる事もあるのかと、由香は少々意外だった。

(ロザリアちゃんって実は強い?)

この状況を見る限りそう思えた。
ロザリアの方が遙かにキースより年下の筈なのに不思議だ。

「由香、安心してね。私の目の届く範囲ではお兄様の好き勝手にはさせないわ!」

「え……っと……ありが……とう?」

「えへへ、どう致しまして!」

ロザリアはキースに対するのとはうって変わって上機嫌だった。
ころころ表情の変わる彼女は、見た目相応に幼かった。

由香は、近くにあったショートケーキに口を付けた。
しつこくない絶妙な甘さだった。
思わず笑みがこぼれる。
いつの間にこんなに現金な人間になったのだろうと自虐的になってくるが、美味しいものは美味しい。
しかし、これでは完全に餌付けである。

「……このお菓子、全部キャロラインさんが作っているんですか?」

「ああ。なかなか美味しいだろう?」

「……はい」

あの無表情な女性がこんなに可愛らしいファンシーなものを作っているとはなかなか想像し難いものがあるが、キャロラインは正真正銘の菓子作りの名人らしい。
人は見かけによらない。
本当は、可愛らしい人なのだろうなと思うと、彼女への苦手意識も多少だが薄れた。

「彼女には、掃除洗濯炊事等々、この屋敷の管理の大体を任せてある。菓子作りも彼女の仕事の一環でね。キャロラインの腕はなかなかのものだよ。……そうだろう?ローザ」

「これぐらい、出来て当然だわ」

この広い屋敷の管理を一人で行うのは相当大変だろうに。
若い女性であるキャロラインには大変な事も多い筈だ。
世間知らずの由香でもそれは理解できた。
ロザリアはキャロラインを相当嫌っている風に思えた。

それきり、ロザリアは口を開かなくなった。
由香が話しかけても、ムスッとしており、不機嫌なのは目に見えて明らかだった。

ロザリアは、キャロラインの話は地雷だったらしく、すぐに部屋に引っ込んでしまった。
なんとなくキースと二人という状況がまずい気がして、由香はなんとかこの現状を打破しようと口実を探していた。
そして思いついたのが、月並みだがトイレに逃げるという手段だった。

「……あの、お手洗いをお借りしても?」

「それは構わないけれど、この屋敷は無駄に広いし、キャロラインを呼ぼうか?」

「だ、大丈夫です」

「そう?なら……そこの角を右に真っ直ぐ行って三番目の部屋だよ」

「あ……ありがとうございます」

流石にキースでもそこまで付きまとう気はないらしく、由香は目論見通り一人になることに成功した。
広間の扉に背を預け、由香はほっと溜息を付いた。
本当は全く尿意等催していないが、言ってしまった手前行かない訳にもいかない。
由香は深呼吸し、緊張で乱れた鼓動を整えると、キースに言われた通りに廊下を歩き続けた。
廊下は暗く、壁に点々とある蝋燭の明かりだけが頼りだった。

(真っ直ぐ行って三番目。真っ直ぐ行って三番目……)

心臓の前で両手を固く握りしめ、由香は恐る恐る前へ進み続けた。
やっと三つの目の部屋の前についた。
とあるドアの隙間から明かりが零れているのを発見したのは、丁度扉を開けようとしたその時だった。

明らかに指定された部屋とは違う、廊下の一番突き当りにある部屋。
暗い廊下で、その部屋から零れる明かりがやけにまぶしかった。

気にしない方がいい。
近寄ってはいけない。
心臓がバクバクと煩い。
絶対に関わり合いにならない方がいい。

それなのに、突き当りの部屋が気になって仕方なかった。

(もしかしてあれは……ロザリアちゃんの、部屋?)

そんな可能性が由香の脳裏を過った。
話を振って気分を損ねてしまったのは他ならぬ由香だ。
ならば、謝るのが妥当ではないか。

ドクンドクンと、張り裂けんばかりに鼓動が早くなっていく。
恐怖に駆られながらも、由香はそっと部屋に近づき、由香は部屋の中を覗き込んだ。

部屋にいたのは、ロザリアではなかった。
そこにいたのは、キャロラインだった。

彼女は鏡を無表情で見つめており、髪を結っている最中だった。
鏡越しにキャロラインの顔が見えた。
彼女は、いつも巻いている包帯を身に着けてはいなかった。

露わになった彼女に左半分の顔。
その下は、抉れているでも、傷付いているでもなく、至って普通の皮膚をしていた。
包帯を取った彼女は、正真正銘の美女だった。
人外の美しさを持つ女性。
目の焦点も定まっており、見えていないというわけでもなさそうだ。

今までは怪我をしていて、それが治ったから外したのだろうか。

「そこで、何をなさっているのですか?」

「……っ!?」

背後から聞こえた女性にしては少しばかり低めの声に目を大きく見開き、肩を震わせながら、声にならない悲鳴を上げ、由香は咄嗟に後ろを振り返った。
先ほどまでは確かに由香ののぞいていた室内にいた筈のキャロラインがそこにはいた。

「そこで、何をしていたのか、と聞いているのですが」

まじまじと彼女の顔を見詰める。
キャロラインは、やはり包帯を巻いていた。
治ったのならもう巻く必要性はない筈だ。
それに、取った方が彼女の魅力を十二分に発揮できる。

何も言えずに黙っていると、キャロラインは一瞬の沈黙の後、呆れた様に口を開いた。

「なかなかいいご趣味をしてますね」

「それ……は……」

「迷ったにしても、もっと他に行動の取りようはあった筈ですが」

突き刺すような、氷の眼差しだった。
その中に宿るのは、嫌悪と侮蔑の感情だけ。
覗き見をした人間に対する当たり前の反応だった。

キャロラインは渋々ながらも、こちらですと、由香の前をスタスタと歩いて行った。
後ろ姿からは、話しかけてくるなというオーラがあからさまに漂っていたが、それでも一つ、聞いておきたい事があった。

「あ、あの……」

「なんですか」

「……どうして、包帯を」

その刹那、怒りを露わにしたキャロラインがばっと振り返り、由香を射殺さんばかりの憎悪の目で睨み付けてきた。
彼女の血の色をした片目が思い切り見開かれ、顔は鬼のような形相に変貌した。

だが、それは一瞬の事で、キャロラインはすぐにもとの取り繕ったような無表情に戻った。
しかし、その目に宿っていたのは確かに静かながらも激しい憤怒だった。

「青桐由香」

ロザリアの前にいる時とは違う、憎しみの込められた名の呼び方が、グサリと心に突き刺さった。

「貴女に分かる訳がない」

悪意を隠しもせずに、キャロラインは笑った。
初めて見るキャロラインの笑顔は、怒りに満ち、滲み出す憎しみに食いつぶされてしまいそうだと由香は思った。

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