逃げ出したくなる程に
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ずっと、落ち着かなかった。
少女漫画的には素晴らしくロマンチックな光景だろう 心地よい春の日差しの下で、綺麗な男性を膝枕している。
だが、渦中にいる由香からしてみればロマンス等とは程遠い。
「キースさん」
そろそろ5時間目が始まってしまう。
キースだって授業があるだろうし、何時までもこうされていては由香としても失礼ながら迷惑だ。
「キースさん」
もう一度名を呼んでも、起きる気配は微塵もない。
よく見れば、綺麗な顔にほんの少し隈が出来ている。
(疲れてる……のかな)
隈が出来る程に一体何をしていたというのだろうか。
それとも、教職というのは、由香の想像している以上に大変なものなのだろうか。
(キースさんは更に大変そう)
授業が終わればいつも女生徒に集られ、放課後も質問攻め。
しかも全て拒まずに、表面上は笑顔で受け入れているから凄い。
もう少し寝かせてあげたいのが本音だが、寝るならきちんとベッドで眠った方がいい。
こんな不安定な体制で寝て、中途半端に疲れを取って、元気になったと勘違いして体調を崩しては元も子もない。
「キースさん、起きてください」
軽く頬を叩いてみると、うっすらとキースの赤い目が覗いた。
その艶やかさに充てられてしまいそうになるのを、息を飲みなんとか堪えた。
「……もう少し、眠っていたい」
「だ……駄目……です……。キースさんだって、次の授業が……!」
「私は、次の時間に授業はないよ」
「でも……私は……」
「サボってしまえばいい」
あまりにも悲しそうな顔をしながら、甘やかな駄々を捏ねるものだから、由香は思わず頷いてしまいそうになった。
なにもかも放り出して、このまま時が止まればいいのにとすら思えた。
だが、それではいけないのだ。
「……キースさん、私なんかの膝を枕に寝る程疲れているのなら、きちんとベッドで休んでください」
「私は由香がいい」
「キースさん!」
にやにやと、キースは目を細め微笑んでいた。
イタズラの成功した子供のように。
「週末、我が家に来てくれるならば、ここから退いてあげよう」
その発言は、教師としては如何なものなのか。
堂々と生徒を家に連れ込むというのは、流石にアウトなのではないだろうか。
「キースさん……でもそれは……」
「君は妹の友達だ。友達の家に遊びに行くのは何ら不自然じゃない。それがたまたま教師の家であろうと、それはあくまでたまたま。……だろう?」
物凄い屁理屈を並べる人だと思った。
言ってる事が滅茶苦茶だ。
「……一緒にお茶を飲んで、話をするだけだ。何も怖い事はしないよ。保証する」
「……本当に……ですか?」
正直疑わしい。
というか、この人は手の甲に口付けてきたり、資料室の件だったりと、前科がある。
今更何もしないと言われてもすぐには信頼できない。
「……ロザリアちゃんも同席するなら」
流石に妹の前で変な事はしてこないだろう。
彼が由香に手出ししてくるのは二人きりの時だけだ。
「決まりだね」
キースは、由香の返事を聞くと一層喜々として由香を見つめてきた。
キースは不意に起き上がると、由香を開放した。
この呆気なさからして、もしかしたら最初からキースは由香を家に招待する事だけが目的だったのかもしれない。
膝枕はあくまでおまけ。
つくづく、扱い辛い人だ。
由香は小さく溜息を吐きながら立ち上がり、一礼し、キースの前から去ろうとした。
「由香」
キースに名を呼ばれたのは丁度その時だった。
顔を上げた瞬間、腕を引かれ開いていた距離感を一気にゼロにされる。
気が付けば、いつの間にかキースの腕の中だ。
「き、き、き……!?キース……さ……!?」
「待っているから」
耳元で甘やかに囁かれた言葉に、由香は咄嗟に危機を覚え、キースから離れようとした。
だが、見かけによらず意外にも力強いキースの腕は、それを許さなかった。
「キースさん!あ……あの!」
由香の言葉を遮るようにして、キースは由香の額に軽く口付けを施した。
外国では一般的なスキンシップ。
挨拶、もしくは親愛の表現でよく使われるものだ。
分かっている。
それは、由香にも理解出来ているが、感情が追い付かない。
顔が真っ赤になるなんて生温いものじゃない。
キースの腕から解放されても、あまりの衝撃に動けなかった。
固まる由香とは対照的に、キースは楽しそうだった。
相変わらず目に灯っている恋人へ向ける甘やかな眼差しが、恥ずかしくて恥ずかしくて、死にそうだった。
気が付いたら、由香は顔を真っ赤にしながらキースから逃げるように走り出していた。
どうして、そこまで愛されているのか。
ここまで、執着されているのか。
逃げる由香を、キースは後ろからずっと見守っていた。
その眼差しは、紛れもなく少女への純粋な愛情で満たされていた。
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