蛇の毒白T



「蛇」と聞いて、人は真っ先にどんなイメージを思い浮かべるだろうか。
残忍、狡猾、執拗。きっとそんな言葉が湯水のように溢れ出ることだろう。
実際、彼はそれを否定しようとは思わないし、的確な言葉だろうと肯定すらするかもしれない。

野に生息する獣の中で一番賢い。
計算高く、ずるがしこい仲間外れの蛇。

そんな肩書を背負わされた男は、いつしかどこか物事を達観して見る癖がついていた。
他の野の生き物が神を、人を崇め奉るのを見る度、すっと体の芯が冷えていく感覚を覚えてさえもいた。
そんな彼の心中を知ってか知らずか、蛇を創造し、最初に種族としての名のみを与えた男は、彼を楽園のはずれにある、林檎の木の番人とした。
蛇はそれを甘受し、林檎の木の番人として、一人ひっそりと暮らすようになった。
夜になれば目を覚まし、朝になれば眠る。
単調だった彼の生活に色を差し込んだのは、皮肉なことに、彼が疎ましいとすら思っていた「人間」の小娘だった。

嫌気がするほどに麗らかな小春日和。
蛇は、木の幹に背を預け、枝に足をかけ、腕を組み、眉をしかめながら仏頂面で昼寝をしていた。
木の葉の間からわずかに日が差し込み、それが顔を照らす度、浅い眠りを繰り返していた男はますます不機嫌になる。

「あの……!」

ようやく深い眠りに落ちようか、という所で下からの耳障りな声が蛇の鼓膜を貫いた。
他のものが聞けば、かわいらしく凛とした声、と形容されるような愛らしい少女の声は、男にとってはただの睡眠を妨害した雑音に過ぎなかった。

「そんな所で何をしているの……?」

「……見て分からない?」

眼だけをうっすらと開き、男は忌々しげに、上を必死に見上げている少女の姿をとらえた。
最初に少女を見て、違和感を覚える。こんな子供、いたか?という率直な疑問。
青いワンピースに、彼女の細い腕を包む真っ白なパフスリーブ。
ひざ丈にされた裾はふんわりと広がっており、ほんの少しだけウェーブのかかった茶色の髪に、深い海色の瞳。
苛立たし気な蛇の様子に、少女はほんの少し怖気づいたようにも見えた。
青い目がわずかに見開かれ、次いで自分が何をしたのか気付いてか、申し訳なさそうにそっと少女は目を伏せた。

「お、起こしてしまったならその……ごめんなさい」

「分かったのなら、とっとと帰ってくれないかな」

苛立ちを前面に押し出し、見下してやれば、少女の喉がかすかに上下する。
もう相手をするのも面倒だと、少女から目を逸らし男は瞳を閉じる。
だが、しばらくしても一向に彼女の帰る気配が感じられない。
呆れながら目を開けば、子犬のような顔をして、胸の前で両腕を握りこぶしにし、どうやって話しかけようか、と迷い、勝手に奮闘しているらしい少女が目に入る。

「まだ何か?」

地を這う声で問えば、少女の肩がびくりと揺れた。
何か言おうともごもごと口を何度か動かしている少女に、鬱陶しいと思いながらも、まぁ、少しくらいなら待ってやってもいいか。どうせもう会うことはないだろうし、と男は仕方なしに少女のせいですっかり冴えてしまった目を開き、耳を傾けてやることにした。

「起こしてしまってごめんなさい」

そう思うなら帰れよ。
舌打ちをしながら小声で呟いた言葉は少女の耳には入っていなかったらしい。

「あ、貴方がその……」

どもりながらも、少女ははにかみ言葉を紡ぐ。

「あまりに綺麗だったから」

男の双眸が見開かれる。
木の幹に手を掛け、枝からぶらりと片足を下ろす。
上からではあるが少女をまっすぐに見据え、蛇は彼女の瞳の中に映る自分を目にした。
長い年月が過ぎ、背の中心あたりまで伸びてしまった金色の髪。
鬱陶しいが切るのも面倒だと、それを一束にまとめ、乱雑に結ってあるだけの体たらく。
興奮すると髪と揃いの、爬虫類らしい金色に染まる、普段は紫色の双眸は、今は怒りか、呆れか、わずかに黄の混じった複雑な色に変貌を遂げている。
綺麗といえば確かにそうなのかもしれない。
しかし、どちらかといえば、人形のようで気味が悪い、と言った方が似つかわしいと、彼自身は思っている顔を、少女は美しいと言う。

「き、気分を損ねたのなら本当にごめんなさい!じゃ、じゃあ!さようなら!!」

そう捨て台詞のように叫び、少女は蛇に背を向け去って行ってしまった。

その日の晩、男は一匹の白蛇を野に放った。
人間と同じ姿かたちをしていようとも、所詮男は蛇だった。
次の日の明朝戻ってきた「仲間」からの情報によれば、少女は「二人目の人間」だったらしい。
如何にも大切にされている、といった雰囲気をまとっていた少女に、蛇の脳裏に納得するのと同時に一人の赤毛の男の姿が過る。
情報によれば、彼女はあの仏頂面男の妹という事になる。更に言ってしまえば、アダムは妹を溺愛しているという話だ。

「本当なのか、それ」

あの仏頂面が?嘘じゃないのかと、誰に向けるでもなく思わず一人呟けば、男の腕に巻き付いていた情報提供源である白蛇はシャー、と舌を激しく震わせた。

「イヴ……ねぇ」

白蛇を開放し、顎を腕に乗せ、木の上で一人物思いにふける男の姿は確かに絵になっていた。
だが本人はそれを認めない。馬鹿馬鹿しいの一言で一括するだけだ。

考えたところで仕方ない。
どうせ、もう二度と会うことはないのだろうし。
そう決め込んで、頭の後ろに両腕を当て、木の幹に背を預け眠りに着こうとした瞬間。

「あの……!」

少女の声が再び男の鼓膜を揺らした。

「こんなところに何の用なんですか。イヴ様」

苛立ち半分呆れ半分。
馬鹿にするような口調で言ってやれば、少女は驚いたように目を見開いた。
それがあまりにも間抜けな面だったものだから、男は少しだけ気分が高揚した。

「なんで……私の名前」

「そりゃ、楽園に一人しかいなかった人間が二人になれば、有名にもなるでしょうよ」

足をふてぶてしく組み、明後日の方向を向いて口を開く。
下にいるイヴが「それもそうよね、うん」と一人呟いていた。

「あ、貴方の名前は!?」

「は?」

「わ、私だけ名前を知られてるなんて不公平じゃない!そ、それに、貴方の事をなんて呼べばいいのか、分からないと話辛いっていうか……!」

「別に知る必要なんてないと思いますが」

「その気持ち悪い敬語、出来ればやめて欲しいんだけど」

「出来ればという事は、出来なければやめなくてもいい、という解釈として受け取ってもよろしいですね、イヴ様」

「くっ……」

鬱陶しいのは鬱陶しいが、なかなか、からかいがいがあって面白いかもしれない。
この野郎、降りてきたらぶっ飛ばしてやるのに。
そんな言葉がイヴの顔にはっきりと書いてあった。

目を細め、幹に腕を掛け、枝に足を掛け、蛇は挑発に乗ってやることにした。

「殴りたければどうぞ?」

蛇が地に足を付くのと同時に、地面の草がふぁさっという音を立てる。
突然目の前に立ちふさがった、細身とはいえ自分の二倍はあろう長身の男に、イヴは数歩後ずさっていた。
生憎しゃがみこんで視線を合わせてやるような優しさを、蛇は持ち合わせてはいなかった。
持っていたのはこの奇特な存在への興味だけだ。

「え、遠慮しておきます……」

「おや、なかなかに遠慮深いんですね、イヴ様」

「ちょっと!?貴方なんか昨日とキャラ違うんじゃない!?」

昨日の不機嫌さとは打って変わって、ニタニタの下卑た笑顔を浮かべながら煽ってくる男に、イヴはふしゃーと子猫のように毛を逆立てていた。

「貴方がどんな妄想を俺に抱いていたかは、本当に、心底、一ミクロンも興味がありませんが、残念ながら貴方が勝手に見惚れて起こした綺麗な男は残念ながらこんな糞野郎なんですよ。残念でしたね」

こいつ、相当根に持ってやがる。
というか、口が悪すぎやしないか、この男。

イヴは初めて口の端が引き攣る、という感覚を経験した。
出来ればそんな経験一生したくなかった、そう思ったところで、そもそも起こしてしまったのはイヴの側であり、元をただせばイヴが悪いという事になる。
そうなるのだが、目の前の飄々とした笑顔で人を見下してくるこの男が、心底鬱陶しい。
悪いな、と。
少なくともそう思っていた自分が馬鹿馬鹿しくなる程には、苛立ちを掻き立てられた。

「とにかくここまで来たからには名前くらい教えてもらわなきゃ割に合わないわよ!教えなさいよほら!」

きょとんと、間抜けな顔をしたかと思えば男は

「ない」

そう、真顔できっぱりと言ってのけた。

「ないよ。そんなもの。呼びたければ「ヘビさん」とでも呼べば?」

イヴは言葉を失っていた。
木の葉を揺らす風の音が、やけにうるさく感じられた

「満足したなら帰ってくださいね、イヴ様」

見下した顔で笑い、「ヘビさん」は再び木の上に登って行ってしまった。
足を組み、腕を組み、背を幹に預け眠る。
中身が最悪だと分かってはいても、その姿はやはり、イヴからしてみればどこまでも美しかった。




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