「名前、出かけるぞ」
「へ?」


夏休み、終盤。早すぎるモーニングコールはいとしの彼氏様から。

今日は貴重な貴重な部活休みの日である。大事なことなので二回言いましたってやつだけど、ホントに夏休みの部活休みは片手で数えても余るぐらいしかない。

名門校だし、みんな頑張ってるから文句は言えないし言わないけど、夏休みは部活で終わると思った。貴重な休みは遊ぶためじゃなくて部活のための休息日として消化されると。

だから、まさか、あの堅物の恋人からデートの誘いがあるとは思わなかった。
朝からテンション上がりすぎてベッドから転げ落ちた。いたい。
おしゃれとか久しぶりだ。洋服選びもメイクも迷ったけど、その時間さえ楽しかった。

浮かれすぎて早く家を出てしまった。快晴の青空に浮かぶ入道雲を見上げながらのんびり歩いて待ち合わせ場所に向かうとつもりが、彼を思い浮かべると駆け出したくなる。

昨日も部活で会ったのに、早く会いたいなんて。そんな自分を小さく笑って、やっぱり少しだけ走った。いつも待つ彼のもとへ。




私服、久しぶりに見たかも。なんか普段とちがう服装だからどきっとする。


「真ちゃん!」

呼びかけて手を振ると、気づいた彼と目が合う。


「朝からびっくりしたよ。1日たりとも私と離れたくないみたいな?デレ期?」
「暑さでおかしくなったか、いや元からだな」
「ひど! でも、うれしすぎておかしくなったかも」
「そのだらしのない顔をやめるのだよ」
「ごめん無理。あれ、今日はラッキーアイテムないの?」

いつも片手に何かしら持っているけど、今日は何もない。今日は小さいものだったのかな。よかった。デートにたぬきの信楽焼とか持って来られても困る。まあ、そこも含めて好きだけど。


「…手を出せ」
「なに?」

言われたまま手を出すと大きな手に包まれた。「えっ」と小さくもれた声を無視して真ちゃんは歩き出す。ちょっ、歩幅考えて。
普段は私からつなぐか、私がねだるからつないでくれるのに。それだけでも真ちゃんの優しさは十分感じていた。だから急に、そんな、いきなりコイビトっぽいことされると心臓がびっくりしちゃうんだけど。

真ちゃんをちらりと見上げて、ゆるんでしまうあつい頬。ね、頬があついのは暑い太陽のせいだけじゃないよね、真ちゃん。



映画を観たあと、ショッピングモールを見て回っていたら昨日も会った顔が笑顔で近づいてきた。


「緑間!名前ちゃん!」
「わっ高尾くん!」
「高尾…」

友達と遊びに来ていたらしい高尾くんと会った。真ちゃんは渋い顔をしている。


「なになにデート?」
「うん、真ちゃんから朝イチに名前に会いたいっていうラブコールがあってね」

「誇張するな」と真ちゃんが言うけど高尾くんはけらけら笑うだけ。

「なるほどねえ。今日は真ちゃん、名前ちゃんを手離せないからなー」
「え?どういうこと?」
「…高尾」
「あっ、ごめん真ちゃん!毎日の間違いだったな」
「きゃっ、もう高尾くんったらよくわかってる!」
「…お前らは本当によく舌が回るのだよ」


高尾くんとのいつもようなやりとりに真ちゃんはあきれたように息をついた。


「偶然だよグーゼン。まさかデートに出くわすとは思わなかったけど」

高尾くんはニッと意味深に笑って「デートの邪魔してごめんねー」とあっさり去ったものの真ちゃんはどことなく機嫌が下降気味な気がする。


「高尾くんとなにかあるの?」
「べつに何もないのだよ」
「ふーん?」


機嫌損ねてデートをパアにしたくはないから追求はしなかったけど、ちょっと気になる。


ケータイに振動があってメールを開くとわかれたばかりの高尾くんからだ。
件名には今日の真ちゃんのラッキーパーソン。今日はアイテムじゃないんだ、というかなんで今?と思いつつ、メールを開くと石鹸の香りのする人という文字とあの意味深な笑みが浮かぶ絵文字。


「え!」
「どうしたのだよ?」
「あっ、いや、なんでもない!」


サッとケータイを閉じるも、字面は頭に焼きついている。
今日、朝から一緒にいるのは私だ。私、だけ。つまりは、そういうこと。

どうしよ、ちょっとうれしいとかヘンタイみたい。にやけそうになる口元をおさえる。でも私、石鹸の香りとかするのかな。手首とかを嗅いでみたけど、わからない。まあ変なにおいじゃなくて、石鹸の香りならいいけど、真ちゃんの中で私ってそうなんだ。なんか恥ずかしいようなうれしいような。変に熱を持った頬を両手で包んだ。

「にやにやしたり、赤面したり…あやしいのだよ」と真ちゃんに冷めた目で見下されたけど、ふふん、私は知ってるんだからね。


「ねえ真ちゃん、今日のラッキーアイテムってなに?」

にこーっと笑って聞くと真ちゃんは、視線をわずかに外した。


「…言う必要はない」


いつもは必要がなくても教えてくれるのに。


「私って、石鹸のにおいするかなー?あんまりわからないけど」

私のわざとらしい口調から「高尾だな」と苛立たし気な真ちゃんに、にまっと笑う。


「ま、いいじゃない。今日は真ちゃんの中で私がラッキーパーソンだからデートできたわけだし」

デートの続きしよ、と笑顔で手を差し出す。私に知られたから、きっと真ちゃんからはつないでくれないだろうし。真ちゃんは私の手を一度見たけど、私に視線をもどした。


「…ラッキーパーソンだから誘ったわけじゃないのだよ」
「え?」
「思い出を作ろうと言ったのは名前だろう」




真ちゃん!夏休みだよ!!どこ行こっか!?

部活があるのだよ

部活もいいけど、思い出いっぱい作ろうね!





忘れてたわけじゃない。


だけど、部活を頑張ってる彼に今以上を望もうとは思わなかった。本当は海も花火大会も行きたかったけど、汗を光らせる彼の前ではそんな願望も霞んだ。

それなのに、目の前にいる彼は覚えていた。それだけで十分だ。うれしい。その気持ちで胸がいっぱいになって、笑顔になる。


「部活だって思い出だよ!こんなにびっちりあるの初めてだし、毎日真ちゃんといられたし」
「…それは他の奴らも同じだろう」


今日もうるさい高尾に会うとは、と真ちゃんは眼鏡のブリッジを上げるふりで視線を遮ったってことはわかった。

こんなにうれしい日があっていいのかな。朝イチに真ちゃんの声が聞けて、真ちゃんから手をつないでくれて、デートできて、本音を垣間見て、


「思い出がほしかったのは、名前だけじゃないのだよ」


すっと手が重さなって、指が絡まる。ドキッと胸の奥がときめく。


あー、もう、真ちゃんをさらに好きになって、いいのかな


止めようもなく、頬がゆるむ。先を歩く真ちゃんの耳が赤さが見えて、鼓動を打つ胸が熱を持って速まる。


真ちゃんは同じだって言ったけど、私にとっては全然ちがってた。部活でもなんでも、この夏、真ちゃんに何回ドキドキさせられたか数えきれない。毎日をトクベツな思い出に変えてくれた。


でも、ふたりだけの思い出も、少しでも、ほしいって思ってくれるなら。


「…ねえ真ちゃん、日が暮れたら花火しようよ」

一歩踏み出して、隣に並んだ。

「ああ。……来年は見に行こう」
「うん!」


未来の約束を手のなかに握りしめて私達は笑いあった。




きみとぼくだけの夏