みょうじなまえ。来神学園三年生。学力運動共に並。対人関係は良好だが特に親しいクラスメイトは居らず、八方美人気味。良く言えば分け隔てのない、悪く言えば他人に深入りしない性格。平和島静雄の幼馴染み。

俺が知っている彼女の情報はこんなものだ。至って普通のよく居る、言ってしまえばあまり面白味がないタイプの人間。それが俺のみょうじなまえに抱くイメージだった。気になるのは、平和島静雄の幼馴染みといったことくらいだろうか。しかし、あんな化け物の幼馴染みというわりには実に平凡すぎる。だから、利用する価値と機会があれば利用してやろうと、俺は彼女をそんな事足りた存在くらいにしか思っていなかった。
それがどうだろう。今の状況は。俺の思っていた彼女に対する認識、"平凡"はとんだ思い違いだった。彼女は至って普通の女、といったわけではなかったようだ。しかもそれは、なかなか面白い方向に。

「いぃいいいざぁああぁあやぁああァアア!」

俺の挑発に乗り平和島静雄は自我をなくした獣のように呻く。それを果然と見据えていると、だ。今にも俺を殺そうとせんばかりのそいつに走りよったのは、他の誰でもないみょうじなまえだった。
わなわなと怒りに震える身体に、涙目を浮かべながら彼女は必死でしがみつく。シズちゃん、シズちゃん、と。俺と全く同じ名を口にしているはずなのに、その言葉は俺が発するものよりも酷く想いに満ちていた。ああ、彼女は平和島静雄を愛しているのだろう。一瞬で、そう悟った。それが、俺が人間に向ける愛と全く異なるものだというのは、さすがの俺にもわかる。

先程彼女は普通ではないと言ったけれど、それには語弊があった。やっぱりこの子は普通の、平凡な女だ。……平和島静雄へ向ける好意を除いて、は。
今にも殺意に支配されかかっているこの化け物は、こんな普通の女の子に、普通ではない愛を以って、愛されているのだ。ああ、なんて不相応極まりない!
やめて、ねえシズちゃん、やめて。そう何度も繰り返される声は、彼女の中の精一杯を振り絞るように金切りをあげて軋んでいる。けれどその言葉はどうやら届いてはいないようだ。縋るように腕にしがみつく彼女を、化け物は目もくれずに振り払った。

「っみょうじさん!」

多分、俺はこの時初めて彼女の名前を口にしただろう。奴の無意識下の力は加減なんて知らないようで、彼女が砂埃をあげ地面に叩き付けられる様はまるで人形のようだった。だからつい柄にもなく、自分でも意外なくらいの大声をあげてしまった。その声に反応するように、彼女を振り払った張本人が自分の腕と彼女を交互に見やる。なまえ、と。ぽつり彼女の名前を呟く声には笑えるほど覇気というものがない。さて、どうするものか。正気に戻って彼女を起こしにいくか。もしくはやり場のない苛立ちを俺にぶつけてくるか。出方を伺おうとしたけれど、奴がその場から動く気配は全くといって見えなかった。おいおい、後悔の念で立ち竦むなんて期待外れもいいところだ。立ち尽くした姿はまるで今しがた自分が犯してしまったことを認めたくないかのようで、もう一度彼女の名前を紡ごうと開かれた唇はそれを言葉にすることなく息を詰むように閉じられた。

こんな馬鹿力の化け物に制限ない力で振り飛ばされたのだ。このまま放っておけば彼女は最悪、取り返しのつかない事になりかねないだろう。みょうじなまえは間違いなく平和島静雄にとって特別な存在だ。彼女を自分の力によって失うことで、この男は俺が与える何よりも抱えようもない絶望に陥るだろう。それは、俺にとっても好都合じゃないか。けれど、それ以上に。こんな化け物のせいで、俺の愛する人間という存在が失われるのは許せなかった。きっと、俺は既にみょうじなまえに興味を持ち始めているのだろう。この子にはまだ、俺を楽しませる価値がある。

倒れた彼女へと駆け寄ると、朦朧としつつもまだ意識はあるようだった。身体に軽く触れれば、痛みに顔を歪ませながら、堪えるような声が漏れた。

「大丈夫?立てる?今、救急車呼ぶから──」

「っ、だめ!」

ポケットから携帯を取り出すと、強い声でそれを静止された。どうして、と聞けば「だって、シズちゃんが」と弱々しい声が溢される。きっと救急車という公共の機関を呼ぶことで、もし警察に連絡がいったらとでも考えているのだろう。俺の腕を掴む手には酷く力がない。この子は今そんなことに構っていられる状態ではないはずだ。それなのに傷付けられてもなお、彼女は平和島静雄を想っている。助けようと駆け寄った、俺よりも。

「わかった。じゃあ、新羅に連絡をいれる。それならいいだろう?あいつの所なら警察沙汰になることもない」

「……ありがとう、折原くん」

なぜか、名前を呼ばれたことに少し驚いた。俺の名はこの学校でもわりと知れ渡っているほうだし、平和島静雄との関係を考えれば彼女が知っていることにも何の疑問もない。けれど、その口から俺の名前が呼ばれることがどこか不似合いに思えたのだ。
電話帳から新羅の番号を開き連絡をいれる。彼女の視線は、未だ立ち尽くしたままの男を懸命に見つめていた。

────大丈夫。こわくないよ、シズちゃん。

コール音の隙間から、不意に聞こえた声。酷く苛立った自分に、俺はまだ気付かない。