「あっシズちゃん!ジュースジュース!」

「えっ」

勢いよく握られた紙パックから噴水のようにジュースが宙を舞う。ぐしゃりと握られたそれはもう原状を留めていない形に潰されていて、間違いなく中身は全て飛び散ってしまっただろう。わたしの声に反応したシズちゃんは、避ける間もなくそれをばしゃりと被ってしまった。濡れた制服から甘い林檎の匂いが広がるのを感じて、今日は珍しく牛乳でなく林檎ジュースを選択していてよかったなんて見当違いのことを考える。あーあ、と苦笑を溢せばそんなわたしの反応にか、それとも濡れてべたつく制服への不快感にか、シズちゃんの眉間に皺が刻まれた。

「あー……くっそ」

「もう、ただでさえ力あり余ってるんだから気を付けなよ」

彼がわたしの隣に、わたしが彼の隣に居ることは、高校生になっても変わることはなかった。いや、変わらなかったというより、わたしが一方的に彼を繋ぎとめているのだろう。
中学生になったあたりだったか、一般的に言う年頃といった年齢になった頃、シズちゃんはだんだんわたしと関わろうとすることを避け始めた。それは喧嘩を売られることが多くなっていたから女のわたしに危害が及ばないようになのか、ただ単に思春期ということもあって異性と話すことが気恥ずかしかったのか。避けはしても拒絶されることはなかったので、嫌われたというわけではなかったのだろう。けれど、彼との関係が希薄になることが嫌だったわたしは拒絶されないのをいいことにそれから必要以上に彼に付きまといだしたのだ。クラスの違うシズちゃんの教室に放課後迎えに行くなんてこともざらで、付き合っているのかと噂されることもあった。その度に「ただの幼馴染みだよ」と事もなさげに返していたけれど、わたしは内心その言葉をどこかで聞いたシズちゃんが照れたりしてくれることを少し期待していたんだと思う。まあ、誰もが恐れる平和島静雄をそんな風に公にからかえる人なんて居るわけもなく、彼がその噂を知っていたのかはわからないけれど。
そうして、高校生になった今もわたしは彼の隣に居続けている。

「というか、いきなりどうしたの?」

鞄からハンドタオルを取り出して拭くようにと手渡す。それを受け取り濡れた制服を拭ったシズちゃんは、わたしの問いに眉間の皺をさらに深くした。

「いや、今朝もよくわかんねー奴らに喧嘩売られてよ……思いだしたら腹立っちまって」

「毎度毎度お疲れ様だね。でもこれ以上遅刻したらやばいんじゃない?」

「そうなんだよな。喧嘩売られて遅刻するこっちの身にもなれってもんだ。あーまた腹立ってきた」

「あ、じゃあわたしが朝迎えにいこうか?時と場所を選ぶ相手なら一人じゃなきゃ喧嘩売るのもやめるかもしれないし」

「バカ、時と場所を選ばない奴らだからこうも毎日突っかかってくんだよ。つーか、んな事したらお前が危ねえだろ」

「あーそっかあ。そうだよね……」

うーん、名案だと思ったんだけど。一緒に通学できないことを残念に思いながら彼を見やると、まだ拭ききれずに濡れている箇所が目にとまった。シズちゃん、ここまだ濡れてるよ。そう言って、その箇所に手を伸ばす。触れた途端、シズちゃんの身体がびくりと揺れたのがタオル越しにわかった。戸惑うような瞳と視線が合って、わたしはそっと手を離す。

「あ、えっと、ごめん」

「……なんでお前が謝んだよ。タオルもっかい貸せ。自分で拭くから」

「う、うん」

シズちゃんは、あの時から一度もわたしに触れようとしなくなった。そして時折、こんな風にわたしから触れられることにも敏感になっていた。彼の瞳に揺らぐ不安は、陰こそ潜めたものの未だ消えることはない。きっとわたしに触れられることすら、あの時のことを想起させてしまうのだろう。また傷付けてしまうのではないか、と。それほどまでに彼の心は臆病になってしまった。
シズちゃんに傷付けられることが怖くないかと言えば嘘になる。わたしだって痛いのは怖い。けれど、もし傷付けられたからと言ってわたしはシズちゃんを嫌いになることも、離れていくこともないのに。もしわたしがその力で傷付いたなら、彼は更に自分を責めるのだろうか。それは、自意識過剰だろうか。

「ごめんね、シズちゃん」

「だからなんでなまえが謝るんだよ」

それでもわたしは、あなたにあなたの意志でもう一度わたしに触れてほしい。だってそのために、何年もこうして隣で待っているのだから。