気が付くと、臨也さんがわたしの足先に口付けていた。爪先へのキスは忠誠の証、なんて言うけれどそんなものとは全く違う、その目は捕食者そのもののような目だ。開いた唇からは真っ赤な舌が垣間見えて、わたしは目を奪われてしまう。瞬間、足先は吸い込まれるようにその口に食べられていた。比喩なんかではなく、直に。

ひっ、ぁ。

骨が砕かれる痛々しい音が、耳に響く。それなのにわたしの身体は痛みなんて微塵も感じていなくて、唇からは溢れるように甘い声が漏れた。脳髄が痺れる感覚に背筋がぞくぞくと震える。まるで、身体を交じわらせているようだ。足先から、手先から、じわじわと侵食するように臨也さんはわたしの身体を丁寧に口にしていく。薄い唇にわたしの血がべっとりとこびりついているのが妙に扇情的で、不意に思った。

キス、したいな。

けれど、その時にはもうわたしの脚は綺麗さっぱりと食べられていたものだから、身動きをとることは叶わなかった。しばらくして、ふと目が合った臨也さんの顔がわたしの顔に近付く。あ、キスできる。そう思ったのはつかの間で、開かれたわたしの唇はキスをすることもなく、その口に食べられてしまった。ああでもこれって、唇と唇が触れたから一応キスなんじゃないのかな。どうなんですかね。そう臨也さんに聞きたかったけれど、食べられてしまった口はその言葉を発することすらできずに、彼の中へと堕ちていく。

口が食べられてからは、わたしの甘い喘ぎにも似た声はその場に響かず、聞こえるのはゴリゴリと骨を噛み砕く耳障りな音と、肉が千切れ血が吹き出す微かな音だけになった。そのうち、耳も食べられてしまいそれすら聞こえなくなる。そして、最後に残ったのは黒と白のコントラストに赤い線が散り散りと連なる眼球だけ。それを人差し指と親指で摘まんだ臨也さんは、もはや形などないわたしをじっと見つめた。

愛してるよ

その端整な顔と同じく整った形をした唇が、愛しげに何かを囁く。けれど、耳のないわたしには届かない。そしてそのままわたしは丸呑みにされて、視界はブラックアウト────。




「……そんな夢を見たんです」

珍しく口を挟まず静かにわたしの話を聞いていた彼は、そう言い終えたと同時にわかりやすく顔を顰め、そして笑った。楽しげに、馬鹿にするように、胡散臭く。

「つまりあれかな。君は俺に、カニバリズムの気でもあるんじゃないかと、そう言いたいわけ?」

「そういうわけじゃないんですけど……ああ、でも臨也さんみたいな頭のおかしい人ならあながち有り得なくもないですね」

「っはは!心外だなあ。俺はさ、美食家ってわけではないけど不味いものは食べない主義なんだよね」

人の肉なんて、どれだけ愛しい相手だろうと食えたものじゃないと思うよ。と、開かれた唇から覗く舌は夢で見た時同様に、真っ赤だ。
もし、もしもだ。もし仮に、本当に食べられてしまったところでわたしの血はこの人の真っ赤な舌に色をつけることすらできないんじゃないだろうか。口内に広がったわたしの血肉は、この目眩さえ覚えるほどの赤に融解されて、同化してしまいそうだ。

「それにさ、完全に理解し合えることがないのなら君を食べてひとつになってしまえばいい。そうしたらお互いをより深く理解でき、愛し合えるんじゃないか。なーんて……そんな夢想的で非現実的な考えも、俺には到底理解できたものじゃないしね」

事前から用意されていたかのように、饒舌に繰り出されるその言葉には、全くといっていいほど真意が見えない。そんな彼の一挙一動に、心を乱すなんて酷く滑稽だ。けれどわたしは冷徹だとか冷静なんてお世辞にも言えた柄ではない。臨也さんが指先ひとつ動かすだけでも、操られるように気持ちは波立ってしまう。

「そんなことをしたところで完全な理解なんてできっこないんだからさ、俺はそんな白痴染みた真似はしないよ。……しなくたって、君はちゃんと俺の愛をわかってくれるだろう?」

「それ、言ってることが矛盾してませんか」

「ははっ。ほら、愛は理屈じゃないって言うじゃない」

「……嘘くさ」

ああ、きっと。食べられることなどなくとも、わたしは既にこの人に囚われてしまっているのだろう。ソファに座るわたしに近付いた彼が不意に手のひらで視界を覆う。それはそれは、寒気がするほどに優しい手付きで。

「愛してるよ、なまえちゃん」

耳に寄せられた言葉は、どこか聞いたことのある響きだ。暗く陰るその視界は、夢で見た彼の中によく似ていた。