"君、シズちゃんの臭いがするよ"

そう言いながら端整な顔を極端な笑みの形に歪めた彼は、表情筋こそ笑っていたものの瞳はまったく笑っていなかった。それもそう、臨也さんはシズちゃんのことを嫌っているからだ。人間を愛していると謳う彼が唯一嫌う人間、それがシズちゃんだ。いや、彼はシズちゃんを化け物と称しているから、もはや人間とは認めていないのだろう。けれどそんなことは、わたしがシズちゃんを好きだということには何ら関係もないし、わたしは彼がシズちゃんをどう称しようと正直どうだっていいのだ。ただ、どうでもいい彼から発せられたその言葉は、どうでもよくはなかった。

「ねえ、シズちゃん」

「なんだ?」

広い胸に背中を預けて名前を呼べば、その名前を呼んだわたしの声と同じくらいやわらかい声音が頭上から聞こえた。腰に回った片腕は端から見ればただ軽く抱きしめているだけに見えるけれど、きっと彼はこの単純な体制にも細心の注意をはらっているのだろう。人並み以上のシズちゃんの力はただ抱きしめるだけでもわたしに痛みを与えてしまうから、彼はいつも痛みを伴わないようにと硝子細工に触れるようにわたしを包む。その優しさが心地よくて、同時に酷く億劫だった。シズちゃんになら、痛くされたって構わないのに。まあ、さすがに骨が折れたりするのは遠慮したいけれど。

「わたしね、シズちゃんの匂いがするらしいの」

「俺の匂い?」

きょとんと、絵に描いたように呆ける様は普段喧嘩人形と恐れられている人とはとても思えない。けれど、臨也さんに言われた、なんて言ったらその名にぴったりの形相で怒りを露わにするのだろう。臨也さんが彼を嫌うのと同じくらい、シズちゃんも臨也さんを嫌っているから。でもそれを言わないのは決してそんなシズちゃんが怖いからじゃない。臨也さんであろうと誰であろうと、わたしとシズちゃんの二人の時間に入ってくることを許したくないからだ。わたしと一緒に居る時はわたしのことだけを考えていてほしい。なんて、過ぎたわがままだろうか。

「えっと、正確にはシズちゃんの煙草の匂い、なんだけどね」

俺、煙草は嫌いってわけじゃないけどその臭いは嫌いだなあ。そう言って、大袈裟にコートを翻した臨也さんの眉間に皺が刻まれたことを思い出す。微笑みをそのままによせられたその眉はさながら天気雨のような違和感だったけれど、それでもわたしはそんな彼の表情よりも発せられた言葉にしか興味をもってはいなかった。そう、現に今もシズちゃんはわたしを抱きしめていないもう片方の手で煙草を吸っていて、苦味を帯びた煙がわたしの鼻腔をくすぐっている。鼻腔だけじゃない、きっと体中をくすぐっている。

「なんだかそれって、マーキングみたいだよね」

「マーキングって……俺は犬か何かかよ」

もたれていた背中を体ごと預けるようにさらに寄せれば、シズちゃんは呆れたように笑って、咥えていた煙草を唇から離し紫煙を吐いた。空気中に溶けたそれは、体外から染み付き体内に侵食して、そしてわたしの中の一部となっていくのだろう。たとえそれがわたしの命をじわじわと削っていたとしても、わたしにはそれすら幸せだと思えた。なんて、馬鹿な話だけれど。

「つまりね、わたしはシズちゃんのものなんだよってこと」

「っは、なんだそりゃ」