ガタン、と教室の一角から椅子の揺れる音が響いた。教室にいた全員が一斉にその音のした方向に顔を向ける。顔を向けた瞬間には、その人物はもう立ち上がっていた。周囲の空気に気をとられる素振りも見せずに、教卓のところで今さっき配っていたプリントの整理をしている先生の元に向かっていく。黒子くんだ。黒子くんの影の薄さは今となっては周知の事実だったけれど、今回もそのことが原因で何かあったようだ。黒子くんの自発的な行動はこんなことが起こらない限り、なかなかない。先程、顔を向けたクラスメイトたちは立ち上がった人物が黒子くんだということを知ると、すぐに興味を失ったのかまた近隣に座っているクラスメイトと会話を再開したり、配られたプリントに目を通したりとそれぞれの行動に戻っていく。こんな光景は、もはや反応を示すまでのことでもない、日常茶飯事なのだ


「先生。今のプリント、人数分なかったみたいで回ってきませんでした」


本人が最も理解しているのか、黒子くんはいつも通りのお決まりの言葉を口にしている。もう慣れてしまったのだろう。黒子くんと同じクラスになって、最初の頃は新手のいじめなのではないかとハラハラしてしまうことが何度かあったけれど、あれは本当に影が薄いからこそ起こっていることなのだ。それに、黒子くんには友達がいる。決して一人ではない。だからこそ、あの影の薄さは黒子くんのアイデンティティなのだと認識することに落ち着いた。でも、あそこまで影が薄いと気になってしまう。学校生活において支障が生まれていることはほぼ間違いない。今だってそうだ。いちいち先生の元に趣いてこんな面倒なことをしなければいけなくて、さぞ嫌だろうにも関わらず黒子くんは一度たりとも不愉快を露にしたことがない。そんな黒子くんをいつからか目で追いかけていて、しかしいつも最終的に見失ってしまう。ほとんど興味本位だけれど、あの影の薄さには何か気を引くものがあった





**





「あ」


小さく声を上げ、見つめる視線の先には黒子くんの姿があった。どうやら一人らしい。のろのろと歩いているけれど、一体どこへ行くつもりなのだろう。昼休みの廊下で黒子くんを見かけたのはこれが初めてのことではない。恥ずかしい話だが、何度かあえて追いかけたこともある。でも、黒子くんの最終目的地まで突き止められた試しがない。悪趣味なことをしていると自覚はあったけれど、どうしようもなく気になってしまったのだ。前方にいる黒子くんから目を離さないまま、隣にいた友達に「先に教室に行ってて」と言い残して、すぐさま黒子くんを追いかけた。ちょうど廊下の角を曲がるところで、まさか私がここで角を曲がったらもういない、なんていうありがちなオチじゃないだろうかと一抹の不安を覚える。

角を曲がったとき、不安とは裏腹に、黒子くんはちゃんとそこにいた。しかし、向かう先は人気の少ない方でこれ以上こんなことをしていたら確実に気付かれてしまう。せっかくのチャンスなのにまた無駄にしてしまうのだろうか。そう思って目を伏せた瞬間、はっと顔を上げた。一瞬でも目を離したら黒子くんを見失ってしまう気がしたからだ。いない。一方通行の道なのに、見失うわけがない。どこかの教室に入ってしまったのだろうか。探すように辺りを見回す。


「あ、あれ?さっきまでいたのに…」

「名字さん」

「えっ!?」


息つく間もなく真横から飛んできた落ち着いた声に飛び跳ねてしまいそうになった。心臓は間違いなく飛び上がった。いつの間にか前方にいたはずの黒子くんがすぐ傍にいる。瞬間移動?そんなありえないことを考えていると、黒子くんが困ったように眉を寄せて口を開いた。


「僕に何か用でしょうか」

「え…あの、どうして?」

「さっきから僕についてきてましたよね」

「…気付いてたの?」

「…気付いてないと思ってたんですか?」


黒子くんに微妙な表情を返されてしまった。今までに何度か前科があるだけに心苦しい。おまけに黒子くんは誰を相手にしても敬語で話すものだから、怒っているのではないかと勘ぐってしまう。かといって、フランクな対応をされたらそれはそれで怖い。直接こんなことを言われてしまい、誤魔化す気にもなれなくて静かに呟いた。


「…ごめん。ついてきただけなの」

「名字さんが?」

「うん」

「…名字さんについてこられる理由が分からないんですが…」

「黒子くん、どこに行くのかなって」

「え?」

「いつも見かけたと思ったらすぐにいなくなってるから、気になってたんだ」


正直に話すと、目を丸くされた。それはそうだろう。黒子くんと話したことがないわけではなかったけれど、そこまで親しい間柄でもない。そんなクラスメイトにこんなことをされたら、そういう反応をするのは当然だ。黒子くんは少しだけ考える素振りを見せてから、小さく呟く。


「名字さんって好奇心旺盛なんですね。少し意外でした」

「…そうかな?」

「大方、僕の影の薄さが気になっていたというところでしょうか」

「えっ!」

「図星でしたか」


おかしそうに口元を緩められる。言い返す言葉もなくて返事ができなかった。


「前にもたまに、ついてきてましたよね」

「本当にいつから気付いてたの…!?」

「やっぱりそうだったんですか」


やられた。これは一種の誘導尋問だったのか。そんなものに引っかかってしまうなんて情けなさすぎる。しかし、黒子くんは私が思っていたほど嫌そうな、迷惑そうな顔をしていない。むしろ、物珍しいものを目にしたかのような目でこちらを見つめている。明らかに引かれた。ささやかなストーカーだと思われてしまった。やりきれず、言葉に詰まる。あー…だの、うーん…だの唸っていると、そんな私の姿を見かねたのか黒子くんがフォローするように話を続けてくれた。


「でも、少し面白かったですよ」

「面白い!?」

「はい」

「…そっか…面白かったんだ…」

「次はうまくいくといいですね」

「え…」

「じゃあ、失礼します」


意味深な一言を投げかけられたと思ったのもの束の間、黒子くんは背を向けてどこかへ歩いていってしまった。静かな空間に取り残され、次第に冷静さを取り戻す。それと同時に、目を逸らせない焦燥感に襲われた。まさか、もしかして今まで黒子くんをつけていたことはおろか、教室なんかで密かに目で追いかけていたことまで気付かれていたのではないだろうか。それを分かっていながらあんなことを言ったのか。だとしたら、とんでもない誤解をされていることになる。恥ずかしい。本人の口から確かめない限り、この胸のもやが晴れないような気がした。ぐっと息を呑む。こんなことを教室で黒子くんに直接話すのも、非常に気まずい。ましてや、そんな話をしているところを友達に見られたら何を言われるか分かったものではない。明日こそは、明日こそは気付かれないように黒子くんの追跡を完遂させて、確認しなければ。一人静かに闘志を燃やした。





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