水道のところで給水器にスポーツドリンクの粉末を入れて水を入れて次の給水器を用意して、その作業を繰り返す。
水の流れる音だけが部屋に静かに包み込んでいた。
この作業を始めてからどれくらい時間が経ったのか、体育準備室には時計が置かれていなくて今が何時なのか分からない。
給水器をようやく部員たちの分だけ作ることができた。
一軍から三軍までの分を用意するとなると給水器の数も多くなってしまう。
これをそれぞれの体育館に持っていかなければいけない。
途方のない作業に純奈は小さな息を吐く。
それでも、体育館のコートの方の雑務を任されるよりは幾分かましだった。
ただでさえ見学に来ている女子たちの目の敵にされているから、その中に晒されることはこの上なく辛い。
そのとき、体育準備室のドアが荒々しく開いた。
背後から大きな音がしたから油断しきっていた純奈の肩はびくりと跳ね上がる。
「もう!なんでうちらがこんなことさせられないといけないわけ!?」
「ホントホント…一年もいるのにどうして二年のあたしたちが雑用なんだろうねー……あ」
テニスラケットを脇に挟んで、悪態を吐きながら準備室に入ってきたのは女子テニス部の女子が四人だった。
その四人の中に見覚えのある人物がいた。
同じクラスで今、美里香と一緒に行動している女子だ。
純奈の背中に嫌な汗が伝う。
全員が純奈に気付くと、ひそひそと小声で会話を始めた。
そして会話が終わるとその中の一人がニヤニヤと怪しい笑みを浮かべながら純奈に近付いていく。
「ねえねえ、間宮さん!あの噂ってマジなの〜?」
「…」
「あはは!本当に聞いたよ!でもさー…あの噂って言っても、多すぎてどれのことなのか分からないんじゃない?」
「あたしは援交の噂が一番気になる!いくらくらいもらえんのー?」
「…」
キャーキャーと甲高い声で笑っていて、完全に面白がられている。
純奈は顔を向けることなく返事もしないで手を動かし続けた。
けれど、手が震えていてとても落ち着いて作業ができるような状態ではない。
なんとも言わない純奈に女子たちの表情がだんだんと曇っていく。
「ふーん…無視?」
「こっちが話しかけてやってるんだから返事くらいしろよ!」
「ッ!」
ガタン!と大きな衝撃音と小さな悲鳴が室内に響く。
女子の一人に肩をつかまれてそのまま棚の方に突き飛ばされた。
押された体は後ろに飛ばされて棚の角にぶつかる。
腕に鈍い痛みが走り、純奈は苦痛に表情を歪めた。
女子たちはそんな純奈の姿を見て、心配の声をかけることもなく可笑しそうに笑っている。
やがて、美里香とよく一緒にいる女子が口を開いた。
「間宮さん、美里香に何か変なこと言ってるんだって?」
「美里香ちゃん、めちゃくちゃ可愛いもんねー」
「嫉妬する気持ちは分からなくもないけど、もうちょっと相手考えて行動した方がいいんじゃないの?」
声が出てこない。
まさか手を出されることになるなんて。
純奈は腕の痛みと恐怖で声も出せなくなっていた。
いつまでも口を開こうとしない純奈に女子たちはだんだんイラついてきたのか声を荒げた。
「うざいんだよ!あんたみたいな気持ち悪い奴にバスケ部のマネージャーとかやられると嫌なの!」
「評判が悪くなっちゃうっていうかー…バスケ部はうちらにとっての憧れみたいなものなわけ」
「そういう人たちの近くにいてほしくないの。ていうか、はっきり言ってバスケ部の人たちが可哀想」
「とにかく…さっさと辞めろよ!」
純奈を取り囲んでいた女子たちの一人が床に置かれていた給水器を蹴り飛ばす。
重かった給水器が横に倒れて、中に入っていた大量のスポーツドリンクが床に広がっていった。
蹴り飛ばした張本人である女子も中身が入っていることは想像していなかったらしく目を丸くしている。
一瞬だけ静まり返ったけれど、途端に全員が笑い出した。
何が可笑しいのか分からない。
その甲高い笑い声は純奈の恐怖心を煽るだけのものでしかなかった。
「やだー!これってベトベトになっちゃうのじゃん…マジ最悪!」
「うけるんだけど!あんた、足癖どうにかなんないの!?」
「あははは、ごめんねー。これでも使って片付けておいて!」
女子たちの一人が壁に立てかけてあったモップを純奈に向かって投げつけた。
そうこうしているうちに気が済んだのか、女子たちは本来の目的であるテーピングやタイムウォッチを棚の中から取っていく。
純奈は床に広がるスポーツドリンクを片付けることも忘れて、その場で固まっていた。
今の状況がありながら、何事もなかったかのように会話を続けている目の前の女子たちが怖くて堪らない。
ぶつけた腕がずきずきと痛む感覚しかなかった。
嫌な汗が出ていて、頭がぼんやりしている。
何が起こったのか分からない。
他人にこんな風に手をあげられたことなんて今まで一度もなかったから状況が理解できなかった。
必要なものを全て取った女子たちは純奈を見て、くすくすと笑っている。
それからすぐに出ていこうとドアノブに手をかけた瞬間、女子たちが開けるより先に部屋の向こう側から戸が開けられた。
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