「この場所にこの線はいりますか」
「そうだな。私なら書けない」
「書かないではなく?」
「ああ」

私とヨハンはとある美術館に来ていた。アンドロイドお断りではない、最近にしては珍しく寛容な美術館だ。もっともバリアフリーの意味あいで連れてくるものが前提だが、私とヨハンのような五体満足の主人とアンドロイドの組み合わせは目を引くし私だけでは絶対に入れない場所だ。

「お前にはこれと全く同じ絵が描けるだろう」
「そうですね。」
「しかしこの人の最新作は作れない」

確かにクセや特徴を捉えることは出来るだろう。しかし、それは模倣であり動機や感情に欠ける。と彼は言う。

「それが芸術の楽しみ方なんですね」
「あくまでわたしの、だが。芸術は見るものが心動かされるならなんでもいい」
「受け取り方は自由、と」

「絵を見ていると相手の考え方、物事の向き合い方、癖、好きなもの……色々なことがわかる。さながら本人と語らっているときのような気分で、相手の心を覗いているように感じるときもある」
「あなたは創造力が豊かだ」
「誉め言葉として受け取っておこう」
「では優劣はどうやって決めるのですか?」
「見いだされた人による」
「あなたは優秀な画家と称されたと考えても?」
「現代においてはそうなり得ることもあるだろう」

彼は謙遜はしない。事実である故に
お陰でこの主とのコミュニケーションの難易度ははるかに容易い。

「稀代の偉大な画家が同時代を生きていたとして、今は見いだされないという場合もあると?」
「才能とはそういうものだ」

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