[> 2



「―……」

燧が目を覚ますと、知らない天井が視界に入った。

「………?」

起き上がるでもなく、寝返りを打つでもなく、ただボーッと半目で天井を眺めた。
ここはどこだろう?
寝る前は、僕はなにをしていたっけ?
えーっと…

「ん?」

視界の端にもぞっと動く黒髪と赤いちょうちょ結びの髪飾りがあるのに気付いた。

「あ、目が覚めた」

首を動かして声の主を見た。

「(…誰だ…?)」

燧は疑問に思い、むくりと起き上がった。

その部屋は障子と襖で仕切られ、畳からはいい香りがしている。
いかにもな日本家屋で、縁側の向こうには緑が広がっていた。
自分は敷布団の上に寝かされていたらしい。
…しかしいくら頭を働かせども、眠る前に自分が何をしていたのかは思い出せなかった。
目が覚めたら知らない人がいた、なんて経験は日常じゃあまり体験し得ないはず。

「…?」

「ちょっと、人がせっかく助けてあげたっていうのに、
一言どころか喋りもしないわけ?」

「あ、いや…、
『助けられた』?僕、が…?」

何せ目が覚める前の記憶がぱったりと、途切れるようになくなっている。
家族のこと、友人のこと、住んでるところ、自分の為人。

「そうよ、うちの敷地内でばったり倒れてて。
…覚えてないの?」

燧はこくんと頷いた。
また縁側のほうへ目をやり、よく晴れ渡った空を眺めた。

「思い出せない…」

「んー…」

黒髪の彼女は、小さく唸った。

「じゃあ、これは何?」

燧に掛かっているものを指す。

「布団、だけど…」

「これは何色?」

自分の髪飾りを指差した。

「赤…」

「これ何本?」

ぴっと指を立てた。

「3本」

「あなたの名前は?」

「丞烽院 燧」

「どこから来たの?」

「…わからない」

「ここどこだか分かる?」

「知らない…」

燧は彼女の顔をじっと見た。

「貴女の、名前は?」

「私は博麗霊夢よ」

「博麗、さん…」

燧は膝に掛かった掛布団をめくってチラッと自分の格好を見た。
うんいつもの服装だ。

「ごめん知らないや、君は僕の知り合い?」

「いいえ。
ただ、うちの神社の境内にいたから。
そのまま放っておくわけにはいかないでしょう?」

「…ここ、神社なの?」

霊夢の発言に耳を疑い、燧はあたりを見回した。
襖も障子も、すこし色あせていて、最近貼り変えられた様子はない。
掃除こそ行き届いてはいるが、畳もすり減っている。
自分が寝かせられていた布団も、世辞にもふかふかとは言えなかった。

「悪かったわね、貧乏神社で」

霊夢はむすっとした。
彼女も好きでこんな状態のまま放置しているわけではないのだろう。

「ごめん」

燧は布団の上で正座して霊夢に向き直った。

「え、っと…こんな、分からない星人な僕を助けてくれてありがとう、博麗さん」

にっこりと微笑んだ。

「いいのよ、ここにはよく人が流れ着くから」

ふいっと顔を逸らして霊夢は言った。

「見た目は、外の世界の人間みたいね」

燧の着ているファッションスーツを見ている。

「こういう服好きなんだ、普通じゃつまらないでしょ?」

髪だって染めてるし目の色もカラコンだよ、と燧は続けた。
しかし今はそんなことより気になる単語があった。

「『外の世界』って?」

「…逆に聞くわ、あなたの言う『普通』って何?」

燧は答えられなかった。
自然と口をついて出た言葉だが、何と比べて「普通」と判断したのだろう?
それに、いつもの服装だと思ったことも甚だ疑問だ。
「いつも」の日常の記憶がないのに。

「うーん?」

「『外の世界』に対して、こっちは『幻想郷』っていうのよ。
一般常識と自分自身に関係すること以外の記憶がないみたいだから、知らなくても仕方ないわね。
ちなみに、この幻想郷にはカラコンなんて技術はないのよ。
『外の世界』より技術力は劣っているの」

「じゃあ、どうして博麗さんは幻想郷の人なのにそんなことを知ってるの?」

燧は疑問に思った。

「ここ、博麗神社はね、『外の世界』と幻想郷との間にあるの。
だからここは正確には幻想郷ではないのよ」

燧は必死に頭を働かせる。

「じゃあどっちへ行けば『外の世界』へ帰れる?」

「どこへ行けば戻れる、っていう話じゃないの」

霊夢は一息ついた。
燧は霊夢の言うことを一言も聞き漏らすまいとじっと見つめた。

「出口は一つ、鳥居をくぐればいいわ。
その時点で、『外の世界』の常識を持っていれば『外の世界』へ、
幻想郷の常識を持っていれば幻想郷へ行けるの。
たぶんあなたは、部外者ながらも幻想郷の常識を持っていたのね」

あるいはあのスキマ妖怪の仕業か…と霊夢はぼやいたが、燧には何を言っているのかは分からなかった。

「うーん、めちゃくちゃだなぁ…いろいろと…」

「そうね、そんなとんでもない世界なのよ、幻想郷は」

「なんで何も覚えてないんだろう」

「私には分からないわ。
それよりも、これからどうするか、よ。
何か思い出すまでは、あなたは家も宛てもないただのホームレスよ」

横目で見ながら霊夢は言う。

「博麗さん、意外と言いますね」

燧は苦笑いした。

「ただ眠っていただけみたいだから、身体の方は特に問題ないと思うけど…」

特に怪我もないし、と霊夢は続けた。

「ちゃんと看てくれてたんだ、ありがとう」

「別に、どこか打ってて大事になったら大変だから確かめただけよ!」

「…ツンデレ?」

「うるさいわね!!」

なぜか慌てる霊夢に、燧はクスクス笑った。

「そうだなぁ、宛てはないけど、帰れないなら仕方ない。
この幻想郷って世界?をふらついてみるよ」

燧は気楽に考えていた。


「………」

燧が博麗神社を出た後、霊夢は燧の寝ていた布団を見つめた。

「(見た目は人間だけど、気配がまるで妖怪のそれだわ…。
それは珍しいことではないけれど、
本人が自分を妖怪だと知らないような…これはどういうことかしら)」





_

( 3/11 )
[] []
[戻る]
[しおりを挟む]




- ナノ -