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ちゅん、ちちち、雀の鳴き声が聞こえる。太陽の光がカーテンの隙間から差し込み、ほんのりと暖かい。少し開かれた窓からは涼しい風が流れ込みカーテンを静かに揺らしていた。なんとも清々しい朝である。…だが今はそうも言っていられない。

「サイタマ………」
「お前そろそろ準備しに行かなきゃ開店間に合わねえんじゃねえの?」
「そうだね、その通りだね。でも私が目覚まし時計に設定したのは今の時刻の一時間前なんだよね」
「ほう」
「さて問題です、目覚まし時計ぶっ壊したのはどこのどいつだ」
「……誰だろうな」
「サイタマしか!いないでしょーが!」
「はっはっは」
「こんのっ…」
「お、もう行かねーとやべーぞ」
「くっそー…店閉めた後覚悟しとくんだな!」
「雑魚キャラの捨てゼリフじゃねえか」

枕元に散らばった、つい数時間前まで目覚まし時計だったものの残骸をさっと片付け身支度を整える。確かにバキッという破壊音がして一度目が覚めた覚えがあるけれど…空耳だと思って聞き逃したんだよな…まさか時計が破壊されたなんて思うわけがないじゃないか。間に合うか、間に合わないかの結構ギリギリの時間だ、急がなければ。

「いってきます!」
「気を付けろよー」

鞄をひっ掴んで勢いよく駆け出す。Z市の端、サイタマの家があるあたりは数年前からやけに怪人の出現頻度が上がったせいで住民が逃げ出し、現在ゴーストタウンと化している。だから今みたいに急いでいるときに世間一般は通勤ラッシュの時間でもあまり混雑していないのがとてもありがたい。スピードを上げてぐんぐん走って行く。ただ、人がいないということは道路やらなんやらが破壊されても修復されないということで、それだけがちょっと残念である。それにしても、最近はどんどん怪人が増えてるなーと感じることが多い。私たちが中学生のころから怪人がちらほら出だしたんだっけ。今では重火器を持ってても普通の人間じゃ手も足も出ないような怪人が増えてるけどよくここまで人が生き残れてるなーと思う。サイタマや私では行ける範囲が限られているし、本来なら何個かの市は完全に壊滅していてもおかしくないのではないだろうか。サイタマ以外にも趣味でヒーローをやってる人とかいるのかな。
ざわざわと周りが騒がしくなってくるにつれ、ゆっくりとスピードを落としていく。このまま走って行きたいけど前に一回サイタマが全速力で走ってたら都市伝説になったことがあるらしいからやめた。ちなみにその都市伝説は超高速のタコが出現してーとかそんな感じだったらしい。よく怪人と間違われなかったものだ。

「うーん、何時もより何本か後の電車になるだろうなー…やっぱ走って行ったほうが速い気がする」

でもサイタマみたいなのは嫌だな、うん、やっぱり電車で行こう。と一人でうんうん頷いていたら通行人に訝しげな目で見られてしまった。くそう…何もかもサイタマのせいだ。
ホームに入り時刻表を見上げていると髪の毛が触れてちくりと目が痛んだ。そういえば前髪伸びてたのにすっかり切るの忘れてたなあ…昨日サイタマを馬鹿にしまくってたけどそんなことせずにさっさと切っておくべきだった。仮にも食べ物を扱う職なんだから気にしてなきゃな…こまめに切らないと。時間あったら自分ででもいいからちょっと切ろう、と思いながら前髪を弄っていたら、聞き覚えのある声がかけられた。

「ナマエさん、おはようございます」
「あ…おはようございます!奇遇ですね」
「そうですね、たまには電車もいいものだ」

最近よく店に来て下さる…名前は知らないのだけれど、白いマントと男性にしては少し長い髪の毛が特徴的な男性だ。密かに前髪邪魔じゃないのかなーといつも思っている。なんというか、優雅に朝食を取り専属の運転手付きのロールスロイスに乗っているような雰囲気の人だから、こんな駅のホームで会うだなんて予想外で少し驚いてしまった。普段はいつも夕方ごろに来て店でコーヒーを飲んでしばらくレコードを聴いて席を立つ人だから、こうやって普通に話すのははじめてかもしれない。

「えーと…よければお名前を伺ってもいいですか?」
「ああそういえば言ったことがありませんでしたね、俺はーー」

バゴォ、と駅の外から大きな破壊音が響き渡った。悲鳴と一緒に怪人だ、という声が聞こえてきて思わず駆け出しそうになる。完全に店開けるの遅くなっちゃうけど、行かないわけにはいかない。しかし地面を蹴ろうとした瞬間に、男性に腕を掴まれてしまった。

「ナマエさん、危険ですから行ってはいけません」
「でも!」
「それにこのままでは開店時間に間に合わないでしょう?」
「え?何でそれを…」
「伊達に通ってませんよ」

おもむろにこちらへ手を伸ばしたかと思えば、す、と私の前髪を横へ流して男性は何かをした。その手つきが無性にこそばゆくて少し変な声が出てしまう。

「ほら、電車が来ますからここは俺に任せてください」
「えっと今のは…」
「少し前髪が伸びているように感じたので。すみません、邪魔だったら捨ててください」

額を触ると少しひやりとした金属製の細いものに手が触れる。伸びた前髪は目にかかることなく一本のピンで纏められていた。

「ピン…ありがとうございます、助かります」
「俺はフラッシュ…閃光のフラッシュです。では、お気をつけて」

マントを翻し、男性……いや、フラッシュさんが歩み出す。趣味でヒーローをやっている人がいるのだろうか、という私の考えはあながち間違っていなかったようだ。ちょうどやってきた電車に躊躇いつつも乗り込むと歓声が聞こえてきたから、おそらくフラッシュさんが怪人を倒すか推しているかしているのだろう。お客さんの今まで知り得なかった一面を知ったからか、普段は無い会話をしたからか、何から来るのかは分からないがふっと笑みが浮かぶ。他にもヒーローやっている人を見つけられた仲間意識だろうか。なんだか嬉しいような少し恥ずかしいような、上手く形容出来ないけれど…とにかく今日はいい気分でいられそうだ。
ただ、ピンは私よりフラッシュさんに必要なんじゃないだろうかと思った。

2013.2.19(閃光のフラッシュ)