物心ついたときから将棋を指し続け、1に将棋2に将棋、とにかくひたすら将棋将棋という人生を送ってきた私の道が異質な方向に傾いたのはいつからだったか。
小さいころの私はプロを目指していたわけではなく、ただ単に将棋を指すことが楽しくて仕方がなかったのだと思う。それは今でも変わりないことだけれど、その楽しさが少しぼやけているように感じるのはいつからか対局に絡んでくるようになったモノのせいだろうか。
はじめはとにかく容赦無しで来るもの拒まずすべてねじ伏せるような将棋を打っていて、するとそのの噂を聞きつけた人達が私のところに来るようになり…さすがに多すぎるだろうと思った私がある程度対局を断るようになると、いつのまにか金銭が発生していた。金を払うから打ってくれと言われ金はいらないと断っても押し付けられ、自分でもよくわからないうちに真剣師とやらになってしまっていて。それからはもう坂を転がり落ちるかのような勢いで話が大きくなり泥沼へはまってしまった。
キショーカイとかいうやつらに拉致され気が付けば独立将棋国家とやらにカンヅメだ。
100万集めれば脱出できるとか言われたけれど脱出したらしたでどうせまた否応無しに真剣をしなければならないだろうし、正直脱出なんてしないでいい。

「…相変わらずなまえは将棋打たないんだな」
「だってどうせここ抜けたってめんどくさいことしかないもん」
「あのなあ、ここで一生終える訳にもいかねーじゃんか…第一ここには女は全然いないからそのうち襲われるぞ」
「凛ちゃんだって女の子じゃん!」
「私はそんじょそこらの男には負けないからな」
「たしかにそうだけど…」

まあ、ここは金さえあれば衣食住に問題はないし、将棋を打ちたくてたまらない人たちばかりだし、別に無理に打たされるなんてことはないから快適なのかもしれないけれど。なにより凛ちゃんと出会えたし。そんなことを思ってへらっと笑ったら頭を叩かれてしまった。

「へらへらすんな!マジでなまえはまだ若いんだからとっとと外出なきゃ勿体無いぞ!」
「でも凛ちゃんがいるならここにいたいよ」
「なっ!」
「あ、凛ちゃん照れてる。かわいい。」
「ううううるさいっ!」

やっぱり凛ちゃんがいるならずっとここに残っててもいいかな、なんて思っているとちくりと背中に視線を感じる。振り向いても誰もいなくて、でもまた凛ちゃんの方を向くと視線を感じて。
その視線は数ヶ月前から感じてはいたのだけれど、特に気にしてはいなかった。どうせカモにしてやろうだとかそういう視線だろうからずっと打たずにいれば興味を失うだろうし、と思っていたのだ。
しかしどうやらそれは見当違いだったようでむしろ日に日にその視線は熱くなっていっている気がする。そのうち背中に穴が空くんじゃなかろうか。

「うーん…まあ考えとく…とりあえず今日は帰るね」
「おー」

手を振ると照れながらも振り返してくれる凛ちゃんほんとにかわいい。やっぱり凛ちゃんがいるなら出なくてもいいや、考えていたってしょうがないし謎の視線のことはほっておこう、そんなことをぼーっと考えながら自分の部屋へ行く。

「あれ?」

扉の前に、誰かいる。
考え事してたせいで部屋を間違えたのかと思ってあたりを見回してみるけれどやっぱり私の部屋はそこで、その人が部屋を間違えているのかもと思ったけれど最近ここに新入りが来たなんて話は聞いてないから間違えるような人はいないし、でもまさか私のところに訪ねてくる人なんていないだろうし…とうろうろしている私に気付いたのかその人はこっちを向いた。特徴的な緑と黒の服には見覚えがある。

「こんにちは」
「あ、こ、こんにちは」
「突然すいません、なまえさんですよね」
「…はい。えと、右角さん、ですか?」
「はい。知ってくれてるんですね」

にこりと微笑む右角さんにすこしぞくっとした。恐怖?よくわからない。というか一体私に何の用なんだろう。私は一度だけ地下最強といわれる右角さんの将棋を見たことがある。けれど、言ってしまえばそれだけだ。私が右角さんのことを知っているのならまだしも右角さんが私を知っているのは何故なんだろうか。どこかで会ったことでもあったかな。

「何か御用ですか」
「ええ、あなたと対局がしたいんです」
「お断りします」

対局、という言葉が聞こえた瞬間に即座に断ると予想外だったのか右角さんが固まった。ここにいる人間は喜んで受ける奴ばかりだから断る奴がいるなんて思いもしなかったのだろう。動かない右角さんをほっておいて部屋に入り扉を閉めようとしたら、手をかけられて止められてしまった。

「なっ、なんで断るんですか!」
「私みたいなのじゃきっと右角さんの相手にはなりませんから諦めてください」
「嫌です!」
「私じゃなくても他にいっぱいいるじゃないですかさようなら」
「ちょっと待ってください!」

ガン、と隙間に足を滑りこまされた。これじゃ閉められないじゃないか。何故かやけに真剣な顔をした右角さんは必死そのものでさっき感じた恐怖のようなものとはまた違った恐ろしさを感じる。
正直、強い人とはやりたくないのだ。そこそこの人と対等な勝負を演じて、相手が次こそはと思ったり油断したりしているところで適当に負けたり勝ったりを繰り返してバランスをとる。本気の勝負の繰り返しは厄介な事にしかならないと学んでからはずっとそれの繰り返しをしてきた。もし強い人とやって実力を見抜かれでもすれば面倒なことにしかならない。

「何故そこまで拒否するんです」
「勝敗の分かり切った勝負は受けないたちなんです」
「……勝敗が分かり切ってるだなんて、ここで本気を出したことはないのに、ですか?」
「なんのお話だか分かりません」

スネを蹴り飛ばして足を退けさせる。いつばれてしまったんだろう、そんなへまはしていないはずなのに。第一右角さんが私のことを知っていたことさえ不思議だというのに、謎は深まるばかりだ。一瞬、右角さんと目が合った。右角さんの目は真剣そのもので、どうしてそこまでして私と対局したいのかという疑問が浮かぶ。
無理やり閉めた扉の向こうからは「絶対に諦めませんから!」という声が聞こえてくる。ああいやだ、また面倒なことになってきた。しばらくは部屋に引きこもっていようかな。
さっきの出来事を思い出して深いため息を吐く。扉を閉める瞬間にかち合った視線はどこかで知っているような気がした。