「おいなまえ」
「へ、何ですか澄野さーーうげっ!」

がっ、と背後から腹に腕を回される。歩いていたところを急につかまれたせいで思い切り腹に腕が食い込み息が詰まった。何なんだこの人は!一体どういうことなんだ!そんな叫びは先ほどの衝撃のせいで声にならずげほげほむせただけで終わってしまった。そんな私を見て「もうちっと可愛らしい…そうだな、キャッ、とか言えねえのか」とかいってくる澄野さんは本当に横暴である。

「いっ…たー…澄野さん、そういうのは斬野くんに言ってください」
「何でだよ」
「澄野さんが望むとおりにしてくれるし私なんかより100倍は可愛いですよ」
「俺にソッチの気はねえって」
「うわー!斬野くんかわいそー!澄野さんに弄ばれてかわいそー!」
「弄んだことなんかないだろうが…ゲンコツ喰らいたいか」
「ウィッスふざけてすいませんでした」

べたべたべたべた、腹回りを撫で回される。くっそ恥ずかしいからやめて貰いたいが怪物級の馬鹿力の喧嘩狂である澄野さんを振り払うことは不可能だろうから、大人しく触らせておくとしよう。絶対にそれだけは回避しなければ…指でおでこをコツッとやられるだけで目玉が飛び出そうなほど痛いのだからゲンコツなんか喰らったら死んでしまうじゃないか。大人しくなった私にご満悦なのか、澄野さんの手つきが先ほどより軽快になった。

「ていうかなんで私のお腹なんか触るんですか、贅肉が気になりますか」
「イヤ…違うな」
「えーじゃあ欲求不満ですか?喧嘩でもして解消してきてください」
「それも違う」

澄野さん、相変わらず意味わからない行動するなあ。斬野くんみたいに澄野さんの気持ちになって…なんて芸当は私には一生かかってもできそうもない。ぼーっと澄野さんの手のひらを見つめていると触るのに飽きたのかその手のひらが上にするする移動してくるのが見えた。これは…まさか…

「おっぱいはご遠慮ください!」
「遠慮しねえ」
「ひぎゃあ!」

がっしり掴まれて、なんというかもう叫び声しか出ないレベルで痛い。どうしようもないくらい痛い。これが斬野くんのお仲間が好きそうな漫画とかだとハートマークが飛び交いあはんうふんになるのだろうけれど、痛すぎてシャレにならない。容赦がなさ過ぎる。仮にも恋人のおっぱいだぞ、もう少し労わってくれ…取れる…。そんなことを呆然と考えながら痛みに耐えていたら、突然押し倒された。何だろう、やはり欲求不満だったのだろうか?ふっとこんな雰囲気もくそもない状態で致そうだなんて、澄野さんって盛りのついた犬かよ、と思った。けれど、澄野さんの表情が怖くなるほど真面目でそんな考えは一瞬で砕け散る。すぐに脇を持ち上げられ、澄野さんと対面する状態になった。そしてまたぺたぺたと腹を撫で回される。

「ちょっさっきから何なんですかもう…」
「ハラ、薄っぺらいなと思ってな」
「そう…ですか…?」
「内臓入ってんのかよ、まさか俺みたいなことねーだろうな」
「澄野さんと違ってきっちり揃ってます」
「……そうか」
「え?何ですかそんな心配してたんですか?」
「んなわきゃねえだろ」
「うわー心底嫌そうな顔してらっしゃる」

内臓がないって、どんな感覚なんだろう。澄野さん結構ヤンチャしてるしかなりしんどいってことは今のところ無いだろうけれど、やはり痛んだりするのだろうか。息苦しさは確実にあるだろう、だって肺が片方ないのだから。消化器がないって辛いだろうか。澄野さんも普段特に気にしていないし私も気にしなかったから全く考えなかったけれど、澄野さんにはきっかり決まった寿命があるんだよね。一度考え出すと芋づる式に色んなことが出てきて、なんだかやけに悲しくなってしまう。

「っ…」
「おいおい何泣きそうになってんだよ」
「澄野さんの残された時間について思いを馳せていました」
「そうか」
「澄野さん、澄野さんはさっきみたいに唐突に変なことしてきて迷惑ですけど居なきゃ私寂しくて死んじゃうかもしれません」
「…なんだそりゃ」
「澄野さんがいない世界とかかなりきついです」
「こんなことしててもか?」
「あいたたたたおっぱい鷲掴みはやめてください」

にやにやいつも通りの笑みを浮かべる澄野さんは先ほどの真面目な顔が嘘みたいだ。まあさっきのは私が心配だったとかそんなのではなく、澄野さんも少し不安になってしまっただけなのだろう。何故かそんな澄野さんを見ているだけでまた悲しくなってしまってぼろぼろ涙が零れてしまう。澄野さんらしくないじゃないですか、どういうことですか、そんな言葉は嗚咽のせいで声にならなかった。

「おいこら泣くな」
「無理です」
「俺が居なくなったらどうするんだ、泣きすぎで干からびるんじゃねえか」
「澄野さんと一緒にいれるならそれでもいいですけど!」
「そうか」

不意に手のひらが離れていって、さっきまで感じていた体温がなくなるその感じに私の内臓も澄野さんのようにぽっかり無くなってしまったような気がした。私、こんな人間じゃなかった筈なんだけどな…澄野さんに変に毒されてしまったのだろうか?どういう経緯でこの状況になり私は泣いているのかもよく分からなくなってしまい、これは夢なのだろうか、それとも幻、そんなことを思ってしまうほどに感覚が朧げになってくる。

「なまえ、焦点あってねーぞ」
「なんかもう澄野さんのせいでめちゃくちゃ悲しくなっちゃったじゃないですかあ」
「すまん」
「全く誠意がこもっていない!」

もう、この瞬間がまぼろしだって、なんだっていい。今私が彼を愛していることは間違いないのだから。