会いたい。
そんなメールを何度下書きのボックスに突っ込んだことか。今日も小一時間悩んだ末に入れた。ボタンをワンタッチ、これだけで簡単に自分の気持ちを伝えることができる携帯という文明の利器があるのに生かせることが出来なければ台無しである。でも彼は縛られることを嫌っていそうで、結局いつも彼から貰った一冊の本でさみしさを紛らわせている。どこででも購入できるようなありふれた物だけど…これは彼、ゾンビマンからの初めての贈り物で、もう長い間繰り返し読み続けているものだ。その本片手に一人でベンチに腰掛けてぼーっとしているなんて、どれだけ寂しいやつなのだと自嘲ぎみな笑いが漏れた。でも家にいると結局携帯を前に唸るだけになるからまだこちらの方が有意義である。
寒空に身を震わせながらかじかんでしまった手にはーっと息を吐きかけて指先を温める。少しあったまったところで本のページを捲り、また息を吐きかけた。
普段は人通りが多い道だというのに何故か今日は閑散としていて物悲しい。それは私の気分も関係しているのかもしれないけれど。
はじっこがすれてきているカバーを撫でつつこの本とも長い付き合いになるなあと思いながら、昔どこかで聞いた「大事にしている本からは自分のにおいがする」とかいうどこで聞いたかも思い出せないような言葉をふと思い出して、なんとなく気になりにおいを嗅いでみた。

「……あ、」

鼻を掠める、うっすらと煙草のにおいが混じったよく知った香り。肺いっぱいにその香りを吸い込むだけで心臓がきゅんと締め付けられる。頭の中に紫煙を燻らせながら煙草の箱を弄ぶ姿が鮮明に浮かんできて、口から考えるより先に自然と「やっぱり会いたいな、」という言葉が漏れた。この本が元々ゾンビマンの持ち物だったからかゾンビマンと一緒にいるからかは分からないけれど、予期していなかったその香りに口角は上がり頬がすこし熱くなってしまう。先ほどの口をついた言葉に応えるかのようにジッポライターのカキンという高い金属音が聞こえて来た気がして、「こんなピンポイントな空耳だなんてお前は随分と彼にご執心なんだな」と言われてしまったような気分だ。
「誰に会いたいんだ?」
そんなことを考えていたせいもあって、背後から突然降りかかってきた聞き覚えのある声に大げさに肩が跳ねてしまう。

「ゾ、ゾンビマン!?」
「なまえ顔真っ赤だな」
「え、あ、ええっ」

空耳じゃなかったという驚きと、ゾンビマンがいることに対する驚きと、ゾンビマンにさっきの言葉を聞かれていた恥ずかしさのせいでさらに顔がじわじわと熱くなるのが分かった。

「ちょっいつからいたの!」
「なまえが本を顔に押し付けてにやにやしてたあたり」
「…見てたの?」
「ああ。で?誰に会いたいんだ?なあ」

にやりと口の端を吊り上げながら言っているあたり、こいつは分かっているんだろうと思う。私を辱めるためにそんなことを言うなんてとんだサディスト野郎め、と心の中で罵ってみたりもするけれど、ゾンビマンに会いたかったことは本当なのだからどうしようもない。

「そういえばゾンビマンがなんでこんなところに…」
「なまえの家に行っても居なかったから探してたんだよ」
「へ?家?」
「……」
「まさかゾンビマンも私に会いたかったとか…」
「悪いか…つーかやっぱなまえも俺に会いたかったんだな」
「(あああ墓穴掘った…!)」

恥ずかしさに唸っているとゾンビマンが私の手から本を奪い取ってすんすんにおいを嗅いでいて、すでに羞恥で死にそうなのに私が本のにおいでにやついていた理由がばれたら本当に死んでしまう。
しかし、ゾンビマンの言葉は私にとって一番予想外なものであった。

「…なまえのにおいしかしないな」
「えっ」
「まあいい、飯でも食いに行こうぜ」
「あ、うん!」

ゾンビマンについて歩く間も頭の中は疑問符が浮かんだままで、ぐるぐると思考が回る。私にはあんなにはっきりとゾンビマンの香りだとわかったのに、何故ゾンビマンは気付かなかったんだろう。自分のにおいは自分じゃわかんないのかな。そこまで考えて、ふと辿り着いた考えにまた身体がぼわっと熱くなった。ゾンビマンが私のにおいと言い、私はゾンビマンのにおいだと思って、自分じゃ自分のにおいがわからないとしたらそれって。

「なまえ」
「ななな何っ!?」
「さっきよりも顔凄い赤いけど大丈夫か」
「う、うん」

それならいい。と呟いてまた歩き出したゾンビマンの背中をじっと見つめる。二人でいる時にはいつもこの本があったのかな、なんて考えているとなんだか一人でうじうじしてたのが馬鹿らしくなってしまって、これからは何事も行動あるのみだなと決意して先行くゾンビマンを少し晴れ晴れとした気持ちで追いかけた。


「これからは会いたくなったらとっとと連絡しろよ」
「ゾンビマンもね」
「…おう」