「今度の対局でタイトル防衛できたら俺と結婚してください」

机に額がつきそうなほどに身体を折ってこちらに手を差し伸べる的当さんにびっくりしすぎて声が出ない。なんというか、突然すぎやしませんか。
私と的当さんの関係はまあ仲のいい友人だ。名前を呼び合うことはしない。苗字と敬語はいつまで経ってもお互い剥がれずにいる。時々一緒にお茶をしたり、散歩へ行ったり、まあなんというか(不本意ではあるが友人に言わせてみれば)爺婆臭いことをやっている。
でも、的当さんがこの友人という関係を脱却したがっていたということくらいは気付いていた。自分の手のひらに体温が近づくことや、時々火傷しそうなほどに熱い視線を向けられること、エトセトラ。これで気付かなければ超弩級の鈍感野郎だというくらい的当さんは色々アプローチをしていた。…如何せん私は臆病者で、それらの行動に応えることができなかったのだけれど。私から的当さんの手のひらを握れば、視線を自分から合わせていれば、きっと私たちは今頃“恋人”になっていただろう。何故なら私も、的当さんのことが好きなのだから。でも、もしも的当さんの好意なんてものは私の妄想でしかなくて、今の関係が壊れてしまったら?そんなのは嫌だ。なんて考えが頭を過ってしまって何もできずにいたのだ。

「ま、的当さん…結婚、て…」
「言っておきますが『ふざけてますか?』なんて聞かないで下さい俺は本気です」
「いや…でも、あんまりにも急でびっくりしてる…というか…」
「というか?」
「的当さん汗凄いですし顔色も凄く悪いですけど大丈夫ですか?」

今喫茶店にいるのだけど、ここに呼び出された時から的当さんはずっと切羽詰まったような表情をしていて気になってはいたのだ。さっきからやけに早口でまくし立てるように喋っているし、息も止めているんじゃないだろうか。飄々としているときの的当さんとあんまりにも違うせいで少しおもしろくて、思わずふっと吹き出してしまう。

「すいません、なんだかおかしくて…ふふっ」

少し俯きながら的当さんが「話を逸らさないで下さい」と呟いていて、その声色がなんだか可愛らしくてまた笑ってしまった。さっきまでびっくりしすぎて頭が上手く回らなかったけれど、少し落ち着いてきた気がする。声をかけると的当さんが顔を上げ、こちらへ視線を合わせてくれた。普段は私が照れてしまって視線を逸らしてしまうから気付かなかったけれど、的当さんはいつも私の目をちゃんと見ようとしていてくれたのだな、と思って顔が熱くなる。
的当さんはいつだって私に好意を伝えようとしてくれていたけれど、私はいつも目を背けてばかりで一向に応えようとはしなかった。でも、的当さんは私にいつだって優しくしてくれたし、離れずにいてくれた。きっと的当さんだって私が的当さんのことを好いていることは分かっていたはずで、それでも関係を発展させることを急くことも無かったのだ。そんな的当さんがこうやって直接言葉にして気持ちを伝えてくれたのだから、応えないわけにはいかない。

「的当さん」
「はい」
「絶対に、勝ってくださいね」

はい、と力強く返事をしてくれた的当さんの手をぎゅうっと握る。
お互い名前で呼び合うとか、付き合うだとか、そういうことをすっとばしているけれど的当さんならきっと大丈夫。むしろ私はそんな的当さんだから好きになったんだから。臆病な私だけれど、精一杯、気持ちを伝えて行きたいと思います。