俺は、ただ、悲しかった


だから大好きな兄さんに、そしてあの人に誉められたこの自慢の髪を切ったら、総て忘れられるんだと思った。


「っ……」


あれから屋上で、本当に声が枯れるまで泣いた俺は学校をサボり家に居た。
兄さんは仕事でいない。兄貴は義姉さんと同棲中だしこの家にはいない。誰もいない家で、俺は一人だった。


「───……」


もう声なんて出せなくて、何に苛ついてるのかさえも解らなくて。訳が分からなくて、それでまた涙が溢れてた。
コツ…
そんな時床に手をついた俺の指に触れたのは、一本のハサミ。そのハサミを見て、俺は微笑んだ。
"切っちゃおう"
ハサミを手に取り、俺は今まで伸ばしてきた大切な髪を掴んだ。
"ごめん兄さん"
そう思いながら。




「…ただいま、」


兄さんが帰ってきた、この髪を、今の俺を見たら何て言うだろう。俺は心の片隅でそんな事を考えながらも兄さんを出迎えた。


「…お帰り兄さん」

「……!」


兄さんは、何も言わなかった……否、何も言えなかったの方が正しいだろうか。
だって兄さんは俺を見て驚いたような、同時に哀しそうな顔を向けてきたから。


「…耀泰…その、髪…」

「…切っちゃった、いい加減長いの邪魔になってきちゃってさ」


あはは、と俺は笑ってみせたけど兄さんは変わらず哀しそうな顔をしている。
どうして兄さんがそんな顔するの?俺だけが今辛いんじゃないの?
そう思うと、兄さんの顔を見ていられなくなって俺はリビングに向かった。


「………」

「………」


こんなに会話の無い夕食は初めてだった。普段は、兄さんはいつも仕事の話をしてくれるし俺だって学校の事を話したりするのが普通だったのに。
この日の夜、兄さんは口を利いてくれなかった。


「………」


部屋に戻った俺はモノトーンで統一されたベッドに飛び込んだ。俺は何か間違った事をしただろうか。
兄さんと口を利けなくなっただけで俺の胸は張り裂けそうになったけど、でも俺は間違った事はしてないはずだ。
"そうやって自分を正当化していた"




「おはよ」

「…!?ちょっと那優どーしちゃったのよその髪!」

「んーイメチェン?似合うっしょ?」


次の日、俺はまた兄さんと一言も話さず学校へ行った。制服も、ちゃんと男物を着て。


「まぁ似合うケドさ…しかもちゃんと男物の制服着てるし!どーゆー風の吹き回しよ?」

「別にィ、ただの気分だって」


まだ咲親は不満そうな顔をしていたけど、俺が本音を言わないのは一目瞭然だっただろうから彼女はそれ以上何も言わなかった。


「あ、そーいえば知ってる?」


思いついた様に俺に問いかける咲親は、話をし始めるとわくわくしながら目を輝かせていた。


「何が?」

「最近ここら辺で、隣の街の不良高校の……あれ、名前何て言ったっけ?…えーっと……」


なんでも私立校なのに柄が悪いことで有名な不良高校の話らしい。
俺としては特に気にする事もなかったが、彼女の疑問に答えたのはもう一人の彼だった。


「西城高校、だろ」

「そーそーそれよ!幸やるじゃなーいっ!」


二人の仲の良さは見て分かる。双子だから、そういうのもあるだろうけど。
兄さんと兄貴とでは全く違う空気をこの二人は纏っている。そんな事をふと考えていると、幸親と目が合った。


「ケッ、てか那優…髪切ったのか」

「おゥよ!どうどう?似合ってる?」

「……まぁな」


幸親は俺の頭をガシガシと撫でた。
どうしてそんな事をしたのかよく分からないけれど、幸親は何だか辛そうな顔をしていた気がする。
それは昨日の兄さんの…
思い出したく無い事が脳裏によぎり、慌てて俺は頭を振った。でも、そんな俺はお構いなしに話を進める咲親。


「その西城高校の奴らがね?何でもウチの生徒にちょっかい出してるらしいのよ!もう何人も被害者が出てるらしいしー」

「西城のシマは隣だろうが、何でこんな所彷徨いてんだ?」

「そりゃ此処には西城みたいに組織されたワンちゃん達はいないじゃない?」

「……ふゥん、」


咲親と幸親が、シマがどうこうとかの話をし始めたのを見て俺は小さな相槌と溜息を吐いた。
西城の奴らは良い噂を聞かない。
サシの喧嘩に加勢したりとか、後ろから大勢で奇襲かけたりとか、わざと弱いヤツ狙っていたぶってるとか。
兎に角悪い噂しかない奴らだったから、懲らしめてやろうか。ふとそんな考えが頭に浮かんだ。


「ねぇ那優、それでソイツらね…」


キーンコーンカーンコーン
朝のHR開始のチャイムが鳴る。
咲親が言いかけた言葉がえらく気になったけど、遅れるとなんて言われるか分かんないから俺は幸親を連れて慌てて咲親達の教室を出ていった。


「咲親、今の話……」

「あら和仁じゃない、那優気付いてなかったみたいだけど良かったの?」

「えぇ……で、西城の奴らがどうしたんですか?」


いつも微笑みを絶やさない彼の怒りを含んだ言葉に彼女は息を呑んだ。


「…襲った子にいつも言ってるらしいのよ、…"那優耀泰は何処だ"って」

「…那優を?」

「そう、アタシの後輩から聞いたんだけど……那優は、西城の奴らがウチのシマを彷徨いてるのさえ知らなかったし」


彼女は手に持っているシャーペンを特に訳もなくくるくると回している。彼はそんな彼女を見て、一言言った。


「それは…調べてみる必要がありますかね……もしかしたら」

「そうよ、那優が危ないわ」


二人の会話は、一時限目を知らせるチャイムによってかき消される。
俺の知らないところで、何かが動き出そうとしていた。




引き裂かれるくらい

(俺の心に余裕なんて無かった)

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