いつからだろう、あなたが笑わなくなったのは




「っう……ふ…ッ」


昨日俺は、無理矢理閏に抱かれた。だるい体を引き摺って、あの後自力で家に帰った俺は玄関でそのまま倒れた。ぷっつりと記憶がないから多分倒れた、の方が正しいが。
丁度その時に、俺の腹違いの上から二番目の兄さんが部屋まで運んでくれたらしい。一番上の兄貴は馬が合わないから兄貴じゃなくて良かったとつくづく思う。
枕を濡らしながらぼんやりと考えて、涙を拭う。今何に対して悲しいのか、苦しいのか?どうして泣いているのかさえ曖昧だった。
布団を頭から被って止まらない涙に悲しくなってまた泣いていると、コンコンと俺の部屋をノックする音が響いた。


「耀泰、その…大丈夫か?」

「…兄さん……」


声を掛けただけで部屋に入ろうとしないのは、俺に気を使ってくれているからだろう。兄さんは多分、俺に何があったかを知っている。
最初に目覚めた時俺が着ていたのは、情事中に汚れた制服ではなくいつも着ているパジャマ。体に付いた汚れも綺麗に拭き取られていた。
何だか顔を合わせ辛くて、でも安心したかった俺は無意識の内に部屋の扉を開ける。少し驚いたような顔をしている兄さんに、俺は思わず抱きついた。


「…っ…う…兄さッ…」

「……」


また泣き出してしまった俺を、兄さんは何も言わずに抱きしめる。そんな兄さんの優しさが嬉しくて、俺はまた泣いた。




「…兄さん、兄さん」

「どうした」


学校を休んだその日の夜、俺は一人で寝られなくて兄さんの部屋にいた。兄さんが隣にいたら絶対に寝られる、なんてことまで言って、俺は兄さんが寝ているベッドに潜り込む。


「あの、無理言ってごめん…ベッド狭いよね…?」

「気にするな」


急だったし、一人用のベッドに二人はやっぱりきついと思う。俺は体が華奢だからわからないけど。心配する俺の頭を優しく撫でる兄さんは何だか嬉しそうだったから、俺も嬉しくなった。


「兄さん大好き!」

「ああ…」


俺は兄さんに抱きつく形で眠りに就いた。その夜見た夢の中で何故か兄さんが俺にキスしていたから、朝目が覚めたときまともに兄さんの顔を見れなかったのはここだけの秘密。もっともこの夢には大きな原因があったのだけれど、それを知るのはまだ当分先の話。




「あらー那優じゃんおひさー」

「うん、久しぶり智明」


翌日、俺は学校に来ていた。閏と顔を合わせるのは嫌だったけど、カズの顔を見たかった。矛盾した気持ちで、やけに天気の良い空を見上げ俺は学校に入る。
げた箱でばったり、智明に鉢合わせた。へらへらしながら俺に挨拶してきた智明は、何だかいつもより機嫌がいい…気がする。


「一緒に教室まで行こ?那優」

「あ、うん」


返事を適当に返せば、俺は背の高い智明の隣に並んだ。智明は色々話をしてくれるけど俺は、そっか、と相槌を打つだけ。そんな俺の頭の中ではただ、閏に会いたくない、その言葉だけがループしている。
ぼんやりと智明の話を聞いていると、教室に着いてしまった。内心しまった、と思い無意識に教室へ入ろうとする足が止まってしまう。


「あ……」

「どした?入んねぇの?」

「へ、あ、ごめん」


不思議そうに俺の顔を覗き込む智明に俺は慌てて返事をした。バタバタと教室に入っていけぱ、時間が早かったのか部屋には誰もいない。
ふと、智明が声を上げる。


「……那優さ、菊鹿と上手くいってんの?」

「えっ…?」

「昨日休んでたし、最近那優元気ないだろ?」

「そんなこと、ない…」


怪訝そうに俺の顔を見る智明の目が、俺は怖かった。
どこまで知ってるんだろう?閏に強姦されたこと?俺がカズを好きってこと?何を知ってるの?そんな疑問ばかりが俺の思考を支配する。
自分の席に鞄を置いて教科書なんかを机に仕舞いながら、智明は口を開く。


「キツかったら別れちゃえば?他に好きな人いるんじゃねぇの?」

「……っな、んで…そんな」

「藤波、とか」

「ち…ッ違うっ!」


泣きそうになりながら俺は声を荒げた。なんで知ってるの!心の中で叫んだのは多分智明は知らない。俺の様子を見たら勘の鋭い人は分かってしまうのかもしれないが。
息を荒げて唇を噛む俺を、智明は黙って見つめる。睨み付けていた俺の目と智明の目が合う。どれほどの時間が流れただろうか。ふと、智明の引き寄せられそうなくらい真っ黒い瞳が弧を描いた。
ハッとして身構えた俺の体はすぐ後ろにあった大きな柱に押し付けられている。すぐ目の前には、智明の整った顔。暴れる俺を押さえつけた時の智明の目は冷たかった。


「離せよ…っ!」

「多分、気付いてるのは俺と菊鹿……それから哉チャンかな」

「な、にを」

「何を?陳腐な質問だね」


那優の本当に好きな人の話だよ
俺の耳元で囁く智明の低くて心地良い声に俺は思わず顔を逸らす。腕を動かそうとしても智明の手でいとも簡単に押さえ付けられてびくともしない。


「哉は気付いてる。一年以上、ずっとお前のことを見てたんだからよ」

「……?」

「……俺も見てきた」


ずっと、お前を
そう呟いた智明に俺は何の話だと口を開こうとした。だがその言葉は、智明が俺の唇に重ねたそれに飲み込まれる。
一瞬何が起きたか分からなかった俺は思わず口を開く。するとそこから無理矢理智明の舌が割って入った。


「ッん…んーっ!」

「っ」


酸欠で頭がくらくらする。口の端からは俺のか智明のかも分からない唾液が顎を伝った。
訳が分からない、なんで、智明が。なんで、哉継が知ってるの。
俺の口の中をまるで別の生き物のように動き回る智明の舌を噛むが、力が入らずに甘噛みになって余計に智明を煽る。
何度も何度も角度を変えて、貪るように俺に口付ける智明にいつしか俺はカズを重ねていた。


『那優』


ああ、どうして相手はあなたじゃないんだろう。

カズの優しい微笑みと、閏の悲しそうな笑顔が脳裏に蘇る。なんで悲しいのかも分からないまま、俺はただ涙を零した。





傷だらけの人魚姫

(いつから、僕らは変わったの)

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耀泰視点





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