見たくなかった。これは夢だと、誰かに言って欲しかった。




「閏様、お疲れ様でした。ハーブティーをご用意しましたが如何しましょう?」

「飲むよ、ありがとう」


家の付き合いで今までずっとパリにいた。僕の父に子供はいない。僕は孤児院で引き取られた子供。そのハンデを無視し父さんは僕を正式な跡取りとして話を進めているようだった。そのせいでここ半年は何かと家の行事に付き合わされてきた。
接待や会議への出席が重なり、耀泰との連絡も途絶えたまま。さっき携帯を見たら、耀泰からのメールがたくさん入っていた。その中にはちらほらと和仁や魅白の名前もあったけど。


「心配してる、か。可愛いなぁもう」


恋人からのメールを一つ一つ開けていけば、彼にしては素直な文章に口元を綻ばせた。今すぐに声を聞きたい所だが、もう8時半を回っている。既にSHRが始まっている時間だ。
疲れてはいるが、ちょっと学校に行ってみよう。そう思い立った僕は、執事がハーブティーを持ってくるまでに制服に着替えた。


「坊ちゃま、香美(かがみ)です。宜しいですか?」

「ん、いいよ」

「失礼致します」


着替えている最中に部屋に入ってきたのは僕の教育係の香美。普段は優しいが怒らせたら一貫の終わりだ。初めて香美に怒られた日のことを思いだし僕は身震いする。
そんな僕を知ってか知らずか、その手にはしっかりとティーポットが握られ、優雅にハーブティーを注いでいる。


「どうぞ」

「ありがとう」


丁度着替え終わって、淹れ立てのハーブティーを口に運ぶ僕に香美が唐突に口を開いた。


「…今から学校に行かれるのですか、坊ちゃま」

「うん、駄目?」

「見れば長旅でお疲れのご様子。今日は大事を取られた方が良いかと」


有無を言わせない香美のキツい口調に僕は押し黙る。しかし、今すぐにでも耀泰に会いたかった僕は普段は従う香美を説得し始めた。


「どうしても今日行きたいんだ」

「何故?今日お会いしたい方でもいらっしゃるのですか?」

「……そうだよ」


僕の緩んだネクタイを結び直しながら、香美の表情は微動だにしない。微笑む訳でも眉を顰める訳でもなく、無表情。そんな香美を見て一瞬決意が鈍ったが、諦めなかった。だって、会いたいのだから仕方がないじゃないか。
そんな僕に溜息を吐いた香美は、耀泰のことを口にした。


「那優、耀泰と言いましたか。坊ちゃまの恋人」

「……!何で知って、」

「菊鹿の情報網は伊達じゃありませんから。しかし坊ちゃま、彼に会うためだけにお疲れの体を酷使して学校へ行くなどということは断じて許されません」


ピシャリと言い放った香美の顔に、戸惑いなんてなかった。僕を大切にしてくれているのはよく分かる。でも僕は諦められなかった。


「待って香美!」

「お車はお出ししません。今日だけは安静になさってください」

「っ香美!!」

「…………何をなさっているのですか坊ちゃま?」


首を縦に振らない香美に僕は最終手段に出た。……香美が部屋から出ないように僕が香美に抱きついたのだ。流石の鉄仮面も今回ばかりは驚いたようで、目を丸くして僕を見ている。


「どうしても会いたいんだ、香美」

「………」

「会ったらすぐに帰る!我が儘言うのはこれで最後にするから…だから!」


続く言葉を聞かずに、香美はやんわりと僕の腕を解いた。香美は少し考え込むように目を伏せ、何も言わずに部屋から出ていこうとするので僕は慌てて腕を掴む。すると意外な言葉が返ってきた。


「坊ちゃま、お車をお出しますのでお早く」

「…ありがとう香美!」


こうして僕は晴れて学校に行けることになった。と言っても顔を出すだけで授業は受けないが。
学校に着いたのは9時少し前。授業始まっちゃったな、と思いながら耀泰がサボっていることを祈り、取り敢えず自分のクラスへ向かう。
ふと、クラスにほど近い特別教室から微かに声が聞こえてきた。何だか気になって、僕は特に何も考えずにその特別教室に近付いた。


「…は…なたの…お……る」

「……?」


よく聞こえないが、確かに誰かの嗚咽を抑えたような泣き声とそれを慰める男の声がした。微かだが、これは多分…和仁の声。じゃあ、相手は……?
浮かんだのは、一人しかいなかった。


「……はは、力入ンないや」


そう言ったのは確かに会いたかった耀泰の声。中で何が起こっているのか僕には理解出来なくて、心臓の音がやけにうるさかった。暫しの沈黙の後、小さな声で呟いた耀泰のその言葉に僕は耳を疑った。


「抱き、しめて…」

「……え?」

「"あのとき"みたいにっ…!」


あのとき?あのときって何時のこと。僕がいないこの一週間でこの二人に一体何があったの?疑問ばかりが頭に浮かんで、僕は拳を握り締めた。


「あっ…う……かず」

「!」

「も、少し…だけ…ぎゅってして」


信じられなかった。何かが崩れていく音がした。耀泰の声は、初めて体を重ねたあの日の甘えるような声と同じ。
どうして相手が僕じゃないの。何で和仁なの。どうして他の男の名前を呼ぶのさ、耀泰。


「……耀泰……」


何かが這い上がってくるような、不思議な感覚に襲われた。僕はその何かから逃げるように、その場を去った。





翳るのは冬の碧空

(その時感じたのは後悔と憎悪)

──────────

閏視点





prev turn next


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -