感じたのは、確かな温もり
「……和仁、閏、今日も来ないね」
「そうですね……」
ふと前の席に座っている千代 魅白(ゆきのりみしろ)に声を掛けられた。彼は長い前髪で顔をほとんど隠していて、制服の下にパーカーを着ていてそのフードまで被っているので表情は分からない。ただ、声音が心配そうにしているのを私だけが感じた。
「…家の用事、一週間続くなんて変」
「ええ…」
魅白の言葉に頷いた私は斜め前の閏の席を見た。そこにいつもの閏の姿は無く、ただ虚しく主人の帰りを待つ机と椅子があるだけだった。
那優とも連絡を取っていないようで、那優は毎日1組に来れば閏がいないのを知り落胆の表情を見せる。ここ一週間、そんな同じ那優しか見ていなかった。
「藤波!今日は……っ」
「那優……」
また今日も、那優は現れた。閏の席を見てまた、悲しそうな顔を見せる。健気だなと思うが、これでは那優があまりに可哀想だ。しかし閏と連絡が取れないのは私も同じで、那優にどうしてやることも出来ない。
そんな自分の無力さを私は悔いた。
「……恋人に連絡しないなんて、やっぱり変」
呟いた魅白の言葉に、私は何も返さなかった。那優のあの表情を見た私は、無言で椅子から立ち上がり急いで彼の元に向かう。
「那優…」
「…藤波、なンか聞いてない?閏さ、メールしても全然反応ないンだよね」
「私にも連絡は来てません。余程大きな用事なんでしょうね…」
声を掛ければ終始暗い顔で私に問う那優を見て、私は悲しくなった。何故だかは分からない。ただ、那優があまりにも痛々しくて仕方がなかった。
私にも連絡がないと告げると、那優は張り詰めていた糸がプツンと切れたように私に問いつめる。
「それなら!一言くらい言ってくれても良いじゃんか…ッ!俺はアイツの何なンだよォ…っ」
「…那優……」
「俺っ…閏になンかした!?……ねェ藤波ッ…!」
ぽろぽろと泣き出してしまった那優を取り敢えず宥める。廊下のド真ん中は流石に気が引けるので、場所を変えよう。そう思い私は那優を連れて近くにあった特別教室に入った。
「…っふ…ッ…く…」
「大丈夫です、閏はあなたを嫌ったりしない」
「だっ、て…」
「前にも言ったでしょう?閏は、あなたのことを一番に考えていますよ」
今もきっと、あなたのことを想ってる
そう言ってやれば、安心したように那優は微笑む。しかしフラフラと立ち上がれば、また座り込んでしまった。
「那優?」
「……はは、力入ンないや」
駆け寄ればまた那優は悲しそうな顔をしている。私の顔を見るなりぽろぽろと泣き出した那優を私はどうしていいか分からなかった。狼狽える私に、那優は蚊の鳴くような声で言葉を絞り出す。那優の手はぎゅっと握られ、震えていた。
「抱き、しめて…」
「……え?」
「"あのとき"みたいにっ…!」
あのとき、とは多分、屋上で閏のファンクラブの瑠璃丘から助けたときだろう。何故私に抱きしめてほしいのかは、今の私には皆目見当がつかない。ただ、私は無意識に那優を優しく抱き締めていた。
「あっ…う……かず」
「!」
「も、少し…だけ…ぎゅってして」
初めて下の名前で呼ばれた気がする。驚いて那優を見れば目には涙を溜め声を漏らすまいと懸命に唇を噛む彼と目が合う。那優は私が見ても、男だということを忘れてしまうくらいに欲情的だった。
思わず生唾を飲むが、私は堪えた。友人の恋人に手を出すほど私は腐っていない。那優のこれは多分、友人としてのスキンシップなのだろう。私はそう無理矢理解釈し、何も言わずに那優を抱き締めた。
「───……」
腕の中で震える那優で手一杯だった私には、この現場を誰かが見ていたことに気付かなかった。
「……耀泰……」
そんな彼の呟きは私たちには届かなかった。
確かに遠ざかっていく足音は、食い違った歯車が動き出す音と酷似した。
雪解け、した筈
(二人の間に、隔たりはない)
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和仁視点
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