もう俺の中に入ってこないで




「ねぇ那優くん。ちょっと話があるんだけどぉ、一緒に来てもらえるぅ?」

「え?」


もう肌寒くなってきた11月下旬。授業が終わってクラスと連中と話していたら、クラスに3年の先輩が入ってきて俺を呼んだ。
何だろうと思いながらも、俺は彼の後を付いて歩く。その頃クラスではこんな会話が成されていたとは露ほども知らずに。


『アレってさ…確か閏様のファンクラブの』

『那優ヤバくない?』

『あの人、閏に近付いた奴を手当たり次第に叩くとかいうので有名だよな』


そんな話をしながらも誰も俺の元には来なかった。それはとばっちりを食うのが怖いから。結局見て見ぬ振りをしたクラスメイトを、多分俺は責められないだろうけど。




「で、話って何ですか先輩?」


屋上に着いてもなかなか話を切り出さない可愛らしい先輩に問いかける。先輩は綺麗な髪を掻き上げて、ニヤリと笑う。俺の背筋が凍った気がした。
俺が喉を鳴らせた音が響く。


「……アンタさ、ちょっとカワイイからって調子乗りすぎ」

「……は?」

「何なの?ぽっと出のアンタが、何で閏くんの恋人なの?」


先程までの可愛らしい話し方から、目つきから、全てが豹変した。俺より少し背が高い先輩は長い爪を立てて俺の腕を握り体をフェンスに突き飛ばした。


「…いっ…あ…」


全身に鈍い痛みが走り、俺は思わず声を上げる。閏と付き合い始めてから喧嘩をしていない(止められていた)ためか、痛みに対してほとんど免疫が無かった。
痛みに顔を歪めて、それを見られたくなくて俯いていた俺を先輩は、前髪を引っ張り無理矢理上を向かせた。


「誘惑でもしたの?……答えろよこの泥棒猫ッ!」


バシッという乾いた音が屋上に響く。俺の左頬に、ヒリヒリとした痛みが広がる。嗚呼叩かれた、そう理解するのに時間は掛からなかった。
癇癪を起こしながら狂ったように怒鳴り散らす先輩に、俺は懸命に言葉を絞り出す。


「俺ッ…そんなことしてな…っ!」

「じゃあ何でアンタなんか選ぶの!?アンタみたいなやつ…死んじゃえばいいのにッ!!」

「………!!」


死ねばいい、そう言われることに特に抵抗は無かった。正直な所聞き慣れたというのが正しいかもしれないが。
先輩の手が高く上げられる。殴られる!そう思ってすぐに訪れるだろう痛みに、俺は固く目を瞑った。


「…?」


いつまで経っても来ない衝撃に俺は戸惑う。恐る恐る瞼を上げれば、目の前にいたのは先輩の腕を掴む男の姿が。逆光で顔は見えなかったが、体のシルエットから彼が誰なのかが分かった。


「…藤、波……」

「ふ…藤波くん…!?」

「失礼ですが瑠璃丘さん、閏は彼をとても大切にしています。ファンクラブに所属するあなたが成すべきは、この二人を支えることなのでは?」

「……っ離して!」


先輩は悔しそうに舌打ちをして走り去っていった。それを見つめるのもやっとで、体中の痛みにだんだんと目が霞んでいく。消えそうな俺の意識を繋いだのは、左頬に感じる冷たい手の平。


「大丈夫ですか、那優」

「…!……!!」


初めて名前を呼んで貰えた。優しく微笑んでくれた。閏の時も確かに嬉しかった。でも、違う。コイツに呼んで貰うだけでなんでこんなに幸せなの?初めて会ったあの日、見たいと思ったコイツの微笑み。
もう何が何だか分からなくなった。頭の中はぐちゃぐちゃで、知らない内に涙が零れた。


「わっ、どこか痛かったんですか?」

「……っ!…っ…!」


気付いたら藤波の腕の中で声を殺して泣いていた自分がいて、俺は驚いた。閏にだって、哉継にだって格好悪くて泣いている所は見せなかったのに。コイツの傍にいるとすぐに泣ける。全てを曝してしまいたくなる。


「怖かったでしょう、もう大丈夫ですよ」


藤波の優しさに触れる。それだけで俺はおかしくなりそうだ。閏に感じるものと似てる。でも、違う。
丁度藤波の胸の鼓動が聞こえた。心地良い音だ。その音はまるで子守歌のようで、いつの間にか俺の涙は止まっていた。


「っ…ごめ、…治ま、ったから……」

「遠慮しなくていいですよ、ずっとこのままでも私は構いません」

「…え…?」

「一人であの辛さに耐えたんです、よく頑張りましたね」


嗚呼俺はおかしいのだと、やっと自覚した。多分、これはきっと"恋"なんだと。あろうことか、閏(恋人)がいるのに他の男を好きになっている。俺は馬鹿だ。
藤波の優しさに触れているだけでおかしくなりそうだったのは、それが嬉しかったから。名前を呼んで貰えて幸せだったのは、俺がコイツに恋してるからなのだと理解した。
でも俺は、気付かない振りをする。
俺は閏が一番。
でも今日だけは、この優しさに甘えてもいいだろうか。


「藤、波…あ、りがと……」

「どう致しまして」


その会話の後、眠ってしまったのか俺の記憶は飛んでいた。目を覚ました時隣にアイツの姿はなく、ただ無機質な白い保健室の天井が瞳に映った。





ネグレクトするのは

(その気持ちを閉じ込めてしまいたかったからなのだ)

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耀泰視点
ネグレクト:無視する





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