ライラック

むしゃくしゃとしていた。
仕事は上手くいかないし、昨日作ったフレンチトーストは不味かった。挙げ句、今日のお弁当は米を忘れおかずだけ持ってきていた。些細な事でもこうついてない事が続いていると、心がささくれてくるわけで。だからといってなにか発散するような事も見付からない。ただこのむしゃくしゃした気持ちを、ずっとずっと心の隅っこで燻ぶらせている。だけど、このままじゃ何も変わらないしもやもやが晴れない気がして。見慣れた駅の景色とは反対へと足を向けてみる事にした。これで少しは気分転換になるだろう。

一日の疲れを蓄積した足を引きずるようにして歩く。夜でも賑やかな駅のロータリーを抜けるとすぐに商店街へと繋がっている。カラフルな旗が街灯から街灯につながれ、地元を思い出すような懐かしい雰囲気だ。しかし、懐かしい雰囲気という事は昔ながらの店が多いという事で。20時を過ぎているせいでシャッターを下ろしている店が大半のように伺えた。その中のぽつりぽつりと灯る光の中に、ひと際明るい店があった。
晩御飯の支度などする気も起きないないので、お弁当屋さんだったらいいなと期待をこめてたが近付いてみれば、古民家を改装したお洒落な店だった。どうみたってお弁当屋さんではないし、店先には花が並ぶ。二階建ての民家に掲げられた古めかしい看板に書かれた冨岡生花店という文字。綺麗な店舗とのアンバランスさが逆に、ぴったりとはまっているような気がした。

「花、ねえ」

花を飾れば気持ちも安らぐだろうか。家にあるはずの花瓶の姿を思い出して、それならばと品定めに入ることにした。店先に並ぶアレンジメントや切り花の数々。普段であれば一目散に好きな色である赤色の花束を選ぶところだが、今日は違う色に挑戦したい気分。オレンジや黄色に白、そして紫。バラやチューリップ、ガーベラなどの定番の花から、見た事もないような花まで様々だ。

「何かお探しですか」

色とりどりの世界に没頭していた私の耳に、聞き覚えのある声が届く。言葉からして店員さんに間違いないが、私はこの声を聞いたことがある。でも、その声を聞いたのはもう数年前だったから、特段良いわけでもない自分の記憶力に自信がなかった。

「名字」

が、その声が教えていない私の名前をよんだ。驚いて顔をあげると、私と同じように驚いたような顔がこちらを見ていた。やっぱり見覚えのある顔だった。少しだけ大人びたように感じる。それはそうだ、会うのは数年振りになる。私は思い出そうとしなくても出てきた彼の名前を呼ぶ。

「冨岡くん」

すんなりと名前が出てきたのは、会わない間も彼の事を思い出すことがあるからで。

「久しぶり。成人式振りかな?」
「ああ。多分そうだな」

冨岡義勇くん。彼は高校のクラスメイトだった。そして私の初恋相手でもある。初恋相手だからといって何かあったわけではない。だからこそ彼の事が忘れられないでいた。私の初恋は始まる事も終わる事もないまま、美しい想い出として時が止まっている。何もなかったそれは、何年経った今も初恋という種子として土の中で栄養を蓄えている。そのせいか、付き合った人は居たけれど、思い出すのは冨岡くんの事だった。私は心のどこかであの初恋を実らせたいと想っているのだと思う。私は冨岡くんとの思い出を呼び起こしていた。

****

出さなければならないプリントを忘れて、それを仕上げるためにいつもより1時間早く教室へ向かった。プリントをこなす事よりも誰もいない教室に居られるのが、特別な気がして楽しみだった。自然と浮かれた足で教室のドアを引くと、そこには既に人が居た。一番乗りじゃなくて少しだけがっかりしたが、それよりもこんな早い時間に私以外の生徒が来ている事の方が気になった。机の中のプリントに手を伸ばしながら、窓際に向いた背に声を挨拶をした。

「おはよう。冨岡くんも早いんだね」

おはようとこちらを振り向いた冨岡くんの手には、名前は知らないが見た事がある可愛らしい花が握られていた。教室の隅に置かれた花瓶に時々花が生けられているのは知っていた。それは先生の仕業なのだと思っていたのが、この様子を察するにそれは冨岡くんのようだ。でもどうして冨岡くんがお花なんてもってくるのだろうか。私の疑問はすぐに晴れる事になる。

「……家が花屋で、たまに持たされるんだ」
「冨岡くんってエスパー?」
「名字の顔に書いてある」
「え?!顔?」
「お前、分かりやすい奴だな」

冨岡くんが笑った。私は彼が笑ったのをその時はじめて見たような気がして、なんだか嬉しくなった。

****

あの時の私は、冨岡くんの笑顔を見たのはクラスで自分だけかもしれないと思うまでに浮かれていた。冨岡くんはすぐいつも通りの顔に戻ってしまったけど、確実にこれがきっかけで話す機会が増えていった。思い返せば私はこの朝に、冨岡くんを好きになったんだろうと思う。しかし、あの花は一体なんという花だったのだろうか。色も形も覚えていない。覚えているのは鼻の奥に残る甘い香り。

「贈り物か?」
「いや、部屋に飾ろうかなって」
「ならそれよりも、こっちの方がいい」

相変わらず不愛想な顔だったが、それが懐かしくもあった。あまりじろじろ見ては不自然だろうと視線をおろすと、冨岡生花店と刺繍がされたエプロンが目に入った。冨岡と言うことは彼は実家を継いだのかもしれないと思い、疑問を投げた。

「ここって冨岡くんのお店?」
「姉の店だ。俺は従業員として働いている」

その言葉に、二学年上に綺麗なお姉さんが居たことを思い出した。時々、冨岡くんに会いに教室に来ていたのを覚えている。今日はお店に居ないようだけど、きっと相変わらず綺麗なのだろうと思う。
いい加減花を選ぼうと、冨岡くんに勧められた場所に目を向ける。店先においてあるよりも小ぶりな花束が壁に沿うようにして並んでいる。その中でひときわ花穂が膨らみ、甘い香りがするものが目についた。

「このお花かわいいな」
「それはライラックという花だ」
「ライラック?」

鮮やかな紫色の花。手に取り顔へ近づけると、より一層甘さが香る。あの時もこんな甘い香りがしていたような気がする。どうだったか冨岡くんに聞きたい気がしたが、あんな些細な出来事を覚えているとは思えなくて、違う話をすることにした。

「冨岡くんは接客担当?」
「いいや。俺はもっぱらアレンジメント専門だ」
「え」
「意外、と言いたい顔をしている」
「ご、ごめん」

冨岡くんの言葉があの時の事を思い出させた。私は年甲斐もなく、高校時代に戻ったような胸の高鳴りを感じた。冨岡くんもあの朝を覚えていたらいいなと私は思った。

「顔に出るのは、昔から変わらないんだな」
「……昔って?」

冨岡くんは思い出を引き出しから探し当てるように顎に手を当てた。それはパフォーマンスだけのようで、考える時間はなく彼の口からはすんなりと言葉が吐き出された。

「朝早くに教室で会った事、覚えていないか?」
「おぼえてる、勿論」
「そういえば、あの時の花もライラックだったんだ」

ふわり、冨岡くんが笑った。あの朝の日を呼び起こす様に甘い香りがより一層濃くなったような気がした。私の中にあった初恋という名の小さな種子は、今水を与えられ芽を出そうとしている。





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