包帯が巻かれた両手をまじまじと見つめ、開けては閉じてを繰り返す。
きり丸は致命的な怪我こそ負ってはいなかったものの、全身に切り傷擦り傷が数多くついており、喉に炎症が起きていたり足首を捻挫していたり、小さな怪我が積み重なっている状態だった。
季節は秋が過ぎて冬。
出歩くだけで死人が出る時期である為に、きり丸は銀楼寺の和尚と僧たちに勧められるままに、寺の客間にて療養していた。

「おいきり丸、公魚釣りに行くから着替えて」
「え?で、でも」

しかし、ミツはそんな事もお構いなしにきり丸を外へと連れ出した。

「これ、お前の服な」
「はあ……」

炎症した喉でも食べやすいようにと作られた粥を持ってきた僧がすっかり温もりの消えた寝床を目撃すると直ぐに事態を理解し、和尚に報告される。
銀楼寺に残った面々は重苦しく溜息を吐くのだった。
休ませるように重ねて言い聞かせたというのに、あの子は全く……と。

「釣りをやったことは」
「ある、けど……ワカサギはない」

呆れ返られているとは露知らず、ミツは古惚けた釣り道具を見て新調したいと思いながら、畦道を歩いていた。

「餌はどこから調達する?」
「石の下」
「普段使ってたのはミミズか。公魚釣りならサシや赤虫が良いんだけど、ミミズでも出来る。私は川で赤虫を調達するから、きり丸はミミズをこれに集めて」

ぽんと渡されたのは、きり丸の幼い手にもすっぽりと収まるサイズの持ち手がついた籠。
村があった頃、子供用の籠はあったが自分の手に馴染む丁度いい大きさの籠はなく、まるで自分の為に誂えたかのようなピッタリなサイズにきり丸は目を丸くする。
これはもしや、と顔をあげると、ミツの後姿が遠くにあった。

「ま、まって!」

きり丸は痛む足を堪えながらすたすたと進んでいくミツを追う。
ミツの真後ろまで追いつくと、息を切らして速さを緩める。

「おねーさんひどいよ、おれまだ足くじいてるのに――むっ!」

歩みを止めたミツの背中にぶつかり、べちんと音を立てて尻餅をついた。

「きり丸、私のことは名前で呼べ」
「えっ?……ミツ?」

ミツは振り返り、腰を落としてきり丸を目線を合わせる。
普段からゴーグルをかけて過ごしているミツの目は認識し辛いのだが、ここまで距離が近付けばバイザー越しであってもはっきりと目が合うのが分かった。
あの日、闇の中で見つけた暖かいものを思い出し、きり丸は無意識の内に薄暗い色に染まった彼女の両目を凝視する。

「私には呼び捨てでも構わないが、他の大人を相手にする時は敬称をつけた方が良い」
「え、あ、……ミツねえちゃん、」
「名前なら何でもいいさ。良いかきり丸、相手の名を呼ぶっていうのは、相手の存在を認めるってことなんだ」
「みとめる?」
「相手がそこにいること、存在していること。……延いては命と魂を認識して認めることに繋がる」

目の前の女性から告げられた言葉に、きり丸は面食らった。

「名前をよぶだけ、で?」
「ああ。私は私が生きていることを肯定して、認めてる。でもさぁ、なんかね……自分だけだとつまらないんだわ。人は一人じゃ生きてけないし、一人だけじゃ限界があるから」

きり丸には、命というものがよく分からない。
とてもとても大切なのに、呆気なく無くなってしまうものということしか分からない。
魂という概念もよく分からない。
お盆の時に茄子と胡瓜を飾れば、両親にとっての両親、きり丸のおじいちゃんとおばあちゃんがやってくる。目には見えないけれど、喋れないけれど、家に帰ってきてそこにいるのだと、父ちゃんと母ちゃんが言ったから。もういなくなった人であっても、魂とやらは出迎えられるということしか分からない。

「私は私が生きてることを他人にも認めてほしいと思ってる。きり丸、私を呼んでくれるか?」
「名前を……」

包帯を巻かれた右手が胸元の服を、反対の左手は籠を握りしめる。
今きり丸が着ている服は銀楼寺の人たちがくれたものだった。
診察して薬を塗ったのは、包帯を巻いたのは、ミツがやってくれたことだった。

「……ミツねえちゃん」

名前を呼んだ。

「ミツねえちゃん」

大きく名前を呼んだ。

「ミツねえちゃん、ミツねえちゃん、ミツねえちゃん」
「きり丸……」

何度も名前を呼んだ。

「ミツねえちゃん!」

強く、大きく名前を呼んだ。

「……きり丸、ありがとう」

頭上を見上げたきり丸は、目を細めながら柔らかく微笑んだミツを見て、再び思い出す。
故郷の村が焼かれてからひもじくてさもしい思いをした毎日。
侘しかったきり丸の心に射しこんだのは、この女性と出会った時――

(――やっぱり、おひさまみたいだ)

ぽかぽかするもの。とても暖かいもの。
あの日、あの宵闇の中で、きり丸は。
ひもじさもさもしさも侘しさも、全てが粉々に砕かれて打ち消された。
澄んだ青空に浮かぶ、きらきらと輝いた太陽。
今はゴーグルで隠れているのに、そこにあるのだと分かるもの。

(あったかいなぁ……)

凝り固まった表情筋を必死に動かし、頑張って作った下手くそな笑みを返す。
立ち上がろうとして、つきりと足首が痛み顔を歪ませたきり丸にミツは右手を伸ばす。腕を引き、真っ直ぐに立たせて土埃を払った。

「いっぱい魚を釣って皆を吃驚させてやろう、きり丸」
「うん。……おれ、けっこうつりうまいんだぜ、ミツねえちゃん」

ミツときり丸は共に川べりに向かう。その途中で、二つの影が重なりながら。





人生ですべてを手にいれることはできない。しかし持っているすべてを愛している。
Não tenho tudo na vida, mas amo tudo que tenho.




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