狭霧山までの移動と山下りの試験で疲れ切っていた身体が目覚めたのは昼過ぎ頃。炭治郎は寝る前と変わらず隣で眠ったままだった。お寝坊さんめ。人の事言えませんけど。
疲労が残る手で目元を擦ると、枕元に替えの服が置かれていたので有り難く着替えた。

「あ、味噌汁」

鱗滝さんが作ってくれているであろう昼飯の匂いが鼻を擽る。昨日のことで栄養を欲している音が無遠慮に鳴った。腹を擦りながら良い匂いが漂ってくる襖を開ける。

「おはようございます、鱗滝さん」
「起きたか」
「はい、替えの服を用意してくださってありがとうございました」
「寸法は合っているようだな」
「バッチリです」
「腹を空かしているだろう、そこに座れ」

朝飯兼昼飯を早速頂いた。もうお腹がぺこぺこでしょうがない、成長期ですもの。
鱗滝さんが炊いた米は我が家の米よりも硬い。使用している玄米の違いもあるのでしょうが、そもそもそんなに水分を入れない派なのでしょうか?うちは弟たちが食べやすいように自然と水分多量柔らかめ派になっていたし。
味噌汁の方は白味噌が使われているようで、うちと同じ。舌に慣れた味でよく馴染んだ。具はざくざくぶつ切りで、一粒が大きい。ぷかぷか浮かぶ豆腐は箸で割って食べる。うまい。茄子は口で千切って二回に分けて食べる。これもうまい。

「御馳走様でした」

味付けは丁寧でしたが、具の切り方とサイズがザ・男の料理という感じでした。食器を片付けて振り返ると、鱗滝さんに手招きされたので前に座る。

「お前は弟と身一つで此処まで来たな」
「はい」
「修行に入る前に、まず日頃扱う必需品を準備する必要がある。儂が過去に育成した子供が遺した衣服や道具があの箪笥の中に一通り揃っているから、自分に合うと思ったものを幾つか選べ。冬物は一番下の二つだ」
「畏まりました」

私と炭治郎が寝ていた部屋に入り、鱗滝さんが指した箪笥の引き出しを開けた。
修行をする為に此処に住んでいただけあってどれもこれも何十回と修繕された痕がある。その代わり全て保存状態がいい。肌着、洋袴、上着、靴下と手に取っていく。

「終わったら籠の中に入れておけ、修行で汚れるから毎日洗濯する事になる」
「はい」

虫食いが起こっているものは一つもなく、定期的に掃除しているようだ。私も大事に着よう。

「それと雪成、一つ聞くが」
「はい?」
「お前の弟は今まで長時間眠り続けていたことはあったか」
「……いいえ、ありません」

炭治郎は寝つきも寝起きも良かった。鬼になったばかりだから寝こけているのだと思っているのですが、どうなのでしょう。

「鬼は睡眠をとらずとも活動が可能なはずだが、お前が昨夜山を下っている間一度も目を開ける事がなかった」
「そうでしたか」
「人を喰わぬ鬼は前例が無い故、今の状態の判別がつかん。もう暫く様子を見て起きる前兆がなければ医者を呼ぶ」
「是非お願いします。しかし鬼に詳しい医者はいらっしゃるのでしょうか?」
「鬼を殺す為にひっ捕らえて身体を研究している者はいるが、医者はいない。儂の伝手で信頼できる医者を呼ぶ」
「……ありがとうございます」

鱗滝さんに向かって、手を重ね深々と御辞儀をする。研究体として引き渡されても可笑しくはなかったのだ、本当に有り難い。しずしずと頭を戻して鱗滝さんの顔を見つめる。初対面と変わらず、天狗の面を被ったままだ。室内でも面は取らないのだな、と思いながら口を開く。

「炭治郎の存在について、お上の方に報告は済ませておられるのでしょうか」

鬼殺隊は鬼を殺すための組織。炭治郎という鬼の事情を汲んでくれる鬼殺の剣士はいるのか。

「いいや、まだだ。鬼殺隊にとっても重要な件であるが故、時機を見て伝える」
「…………」

目を伏せて黙り込む私に鱗滝さんは話す。

「雪成、お前は鬼である弟を守る力を、鬼を殺す力を手に入れるべく儂の弟子となった。だが鬼殺の剣士が鬼を連れ歩くというのは言語道断、前代未聞だ。分かっているな」
「はい」
「長く果ての無い道だ。終わりなどそう簡単に見えない。何よりも険しいぞ」
「承知の上です」
「鬼殺の剣士は最終選別を潜り抜けた者のみが名乗る事が出来る。……お前は鬼殺隊の一員ではない」
「それは」

まだ鬼殺隊に属していない以上、上層に報告する義務はない、ということだろうがしかし、それはあまりにも鱗滝さんが不利だ。時機を見るといっても何れはこのことを伝えなければならない。鬼を匿う期間が長引けば長引くほど鱗滝さんの処罰が強まる。

「お前のような殻を被ったままのひよっこが案じることではない」
「……鱗滝さん」

苦悩が強く表れてしまったらしい。私の考えを見透かした鱗滝さんは厳しい物言いで、酷く優しいことを言う。

鬼殺隊に入る必要は、必ずしもあるわけではない。
鬼殺隊に入るメリット、デメリット。鬼殺隊に入らないメリット、デメリット。どちらも存在した。
失礼にも程があるけれど、修行のみ享受して最終選抜はすっぽぬかすことも出来る。この場合だと鬼を殺せる武器はきっと簡単には手に入らないだろうが、炭治郎への処遇が分からない以上選ぶ余地は十分にあった。

「鬼殺隊を率いる当主を、我々はお館様と呼んでいる」
「お館様、ですか」
「滅多に顔を出さず、一部の立場の者だけが対面することを許される。そしてお館様には多大な発言権がある」

つまり、その人を納得させることのできるものを用意する必要がある。

「現役だった頃の儂が従っていたお館様は逝去されてしまっていて、当代の鬼殺隊当主について詳しく知っているわけではないが、これだけは断言しよう。儂の知るお館様と跡継ぎ殿は柔軟な判断を降せる冷静な頭脳を持つ、先見性のある方々だった」

心の中で、ぐっと歯を食いしばった。なんということだろう。なんていう人なんだろう。
全身の隅々から、言葉の節々から。鱗滝さんの全てから、思い遣りの匂いが伝わってくる。

「時機だ。時機を読むんだ、雪成」

炭治郎が鬼殺隊に受け入れられるよう、様々な状況を読まなければならない。

「はい、鱗滝さん」

私自身が動くだけでは足りない。
私の言葉だけでは無理だ。
炭治郎自らの力を以て、人を喰わぬ鬼であると証明することが最良だろう。
改めて背筋を伸ばし、鱗滝さんに向き直す。

「仲介してくださった冨岡さんも含めて、鬼殺隊の中での貴方方の信頼や立場に罅が入ってしまうことでしょう。敵である鬼を引き連れた私を剣士として育成してくださること、寛大な対応に大変感謝致します」

床に額を擦りつけ、深く、深く、二度の御辞儀をした。

「このご恩は一生忘れません。重ね重ね、誠にありがとうございます、鱗滝さん」

どうやら私は、この世においても良縁に恵まれるようである。


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