目が覚めたと思ったら、海で漂流していた。漂流というには随分と陸が近いので急いで泳ぎ、なんとかコンクリートの上に立つ。 ……なんで俺は海で寝てたんだ?マゾか? サイレンの音がうるさい。頭が痛い。というか全身が痛い。つうか寒ぃ。 消防車から放たれる高音から逃れる為に薄暗い路地裏へ行き、重っ苦しいジャケットを脱ぎ捨てた。あばよ、ずぶ濡れで邪魔なんだわ。 ジャケットがなくなった分軽くはなったがそれでも尚、疲労感は解消されない。流石にズボンまで脱ぐわけにもいかず、シャツなら許されるのではないかと悩みながらぼんやりと足を進めていたら、海が見えた。 行き止まりか……いや、向かい側に何かがある。 路地裏から抜けた先には巨大な観覧車が見えた。その周辺にある施設から見るに、遊園地か何かだろうか。 パンと派手に打ちあがる花火と、観覧車に映し出される色鮮やかなプロジェクションマッピング、その前に高く上がった噴水がオーロラのようにキラキラと輝いている。 「綺麗なもんだ……」 訳のわからない現実のことはさて置いておき、ただ目の前の景色を眺め続けていた次の瞬間、五色のスポットライトが視界に飛び込み、突如頭を槍で突き刺されたかの如き激痛に襲われて膝をついた。 「う、うぐっ……ぐぉぉお……ッ」 頭を抱え、痛みを少しでも逃そうと目を見開いた。その途端、脳裏に五色の光の粒子が激しく飛び乱れた。書類をばら撒いたように、様々な過去の映像がフラッシュバックする。 汗が滴り落ち、こめかみに当てた手がか細く震える。 「ぐおおォォォッ―――!!」 倉庫街に轟く爆発音やサイレン音に掻き消され、俺の叫びは誰の耳に入ることなく止んだ。 頭の痛みが治まり、いったん冷静さを取り戻した俺は少しでも現状を把握しようとベンチに座った。 記憶喪失。 そのたった四文字が背中にのしかかる。 目が覚めるまでの記憶がない、自分の名前すら覚えてない、親兄弟や友人の顔も分からない。 先程の頭に走った痛みとは別の、目覚めた時から続く全身のずきずきとした痛み。恐らく俺は事故に巻き込まれ海に放り出されたんだろう、運悪く頭に衝撃を追ってしまい現在に至る……なんてところか。 まず大事なことは俺という個人の把握だ。免許証などは持ってないだろうか。非常時の連絡先とか、俺なら用意している。そんな気がする。俺はきっと出来る男だったに違いない。そんな気がする。 「気がしただけだったわ」 ズボンのポケットから見つかったスマホはバキバキに割れていた。まあ、そうだろう。だって事故にあったんだし。脳味噌という精密機械がショックを起こしているのだからスマホという精密機械もショックを起こしているだろうよ。糞がよ。 天を仰ぎ、腕と足を組みながらこれからどうするかと考え込む。……警察、警察だよなぁ。んー、でもなんか気が乗らねえなぁ。行く気がしねぇんだわ。あ〜〜空が青い〜〜〜〜、鳥はいいな〜〜〜〜〜〜。 「ねぇねぇ、大丈夫?お兄さん。顔、汚れてるよ」 下方から話しかけられて、目線を空から地へ戻す。意識をどこかへ飛ばしている間に少年と少女が眼前に立っていた。……変だな、見たことがある気がするぞ。 「ああ、そうなのか」 二人の子供への既視感に首を捻り、頬に手を当てて曖昧に頷く。海で入浴してたんだから綺麗になっとけばよかったのに。 「うわぁ、お兄さんの目、左右で色が違うんだね」 「片方だけが赤い瞳……?これはアルビノの症状の筈だけれど……」 二人揃って仲良く俺の顔を覗きこみにくる。自分の顔を追及されてもどんなものなのか一切知らないからな、どうしたもんか。苦笑して何も答えないでいると、少年は心配そうにきょろきょろと周囲を見渡す。 「どうしたの?こんなところに一人で。お友達もいないみたいだし……それにケガしてるよ。膝と手、あと左足もやっちゃってるかも……スマホも壊れてるみたいだし。これ、ちょっと見せて」 「どうぞ」 少年にバキバキスマホを渡すと、今度は少女が質問してくる。 「お兄さんはいつから此処にいるの?」 「数十分前ぐらい」 「そう、どこから来たの?」 「海」 「……起きたら海の中で、そこからここまで歩いてきたとでも?」 「大当たり、凄いな君」 「こっちは少し呆れたわ。お兄さん、名前は?」 「スマホが直れば分かるかもな」 両手をあげて降参しながらにっこり笑い「なーんも覚えてねえんだわ」と言うと、少女は溜息を吐いてこちらに手を伸ばす。 「自分が誰でどこから来たのかも分からない──これって……」 「ちょっと頭を見せて」 「どうぞ」 「大した傷じゃないけど、最近のものね」 え、大した傷じゃないんだ。記憶がないくらいだからもっとやばいもんかと……いや、それだと死ぬか。流血してねえんだから大した傷ではないな。 大の大人を放り、少年少女は俺の外傷を診断し経歴を推測していく。 どうやら俺、車で事故ったらしい。少年の推理力に関心しつつ、その掌にあるフロントガラスの破片を眺める。 「それに、彼の身体から微かにガソリンの臭いもする」 「あ、ホントだ」 証拠品まで出てきた。やべえな、早急にシャワーを浴びたくなってきたぞ。嗅ぎに来るな少女よ。 「お兄さん。他に何か持ってない?」 「さて、あったかな」 少年に促され、立ち上がり上半身から下半身をポンポンと叩いていく。するとスマホが見つかったポケットとは逆の所からカードの束が出てきた。 「お兄さん、見せて」 大きさは掌ほど、単語帳だろうか。表紙を捲ると五色の半透明なカードがあるだけだった。 少年少女は頭を突き合わせてこれはなんだろうかと思考を巡らせていて、俺は蚊帳の外である。 白。橙。青。緑。赤。なにか謎がありそうだが、張本人の俺よりも今会ったばかりの二人の方が興味津々なようだ。俺としては妙な既視感を得たこの二人の方が興味がある。なんとも子供らしくない子供だ。 戻る |