まるで死刑宣告を受けることが決まっている囚人かのような面持ちで錦山は雪成と向かい合っていた。錦山の放つ重々しい雰囲気によって雪成が住むアパートの一室に漂う空気は完全に冷え切っており、部屋の主である雪成は錦山に湯呑を差し出す。

「どうぞ」

丸テーブルに置かれた湯呑には目もくれず、錦山は口を開いた。

「一馬が逮捕されたのは……」

雪成のお盆を動かす手が止まる。

「親っさんの親父である堂島って奴が由美を無理やり攫ったのが切っ掛けなんだ」
「堂島というと、あの堂島組ですか」

堂島組といえば、風間組のシノギのお蔭で保てているだけだと同業者どころか一般人からも蔑まれている落ち目の東城会直系組織であることは、雪成もよく知っていた。

「ああ……それを偶々見かけたシンジから連絡が届いて俺たちは急いで堂島事務所に向かった。先に到着したのは、一馬で……止めろといってもあのクソ野郎は聞きやがらねえ。それどころか、目の前で由美に手ぇ掛けやがって……」

当時を思い返してゆっくりと話しながら錦山は畳の皺をきつく睨みつけ、心の底から湧いて出る怒りと憎しみを堪えた。その様子を雪成は凪いだ瞳で見つめている。

「だから……だから、カッと頭に血が昇っちまって、何発も発砲したんだ……」

堂島に対する憎悪を抱え真実とは異なる――立ち位置を置き換えた作り話を語り終えると、錦山はそこで乾ききった喉に気付いて湯呑に視線を移す。雪成のいるアパートまでやってきてから、錦山は一度も彼の顔を見てはいなかった。
親友は自分の罪を被って服役することになるという自責感、親友の弟にその真実を話すこともできない罪悪感。堂島への憎悪に燃える錦山の心もこの男を前にするとその火の勢いが弱まり、ただひたすらに己の罪の意識に苛まれてしまうだけになってしまう。
事情話を伝え、錦山は雪成に頭を下げる。

「警察には由美の件は伏せている。一馬の名誉は貶められるが、由美が原因で殺しが起こったなんて知られたら由美の身が……頼む!このことは誰にも言わないでくれ雪成!」

土下座をする錦山を見下ろし、雪成は静かに「分かりました」と頷いた。
雪成の肯定にほっと息を撫で下ろした錦山。

「一つ、聞いてもいいですか」
「な、なんだ?」

錦山にとって一番心苦しかった嘘の供述が終わり、僅かに余裕が生まれたのだろう。錦山は顔を持ち上げた。そこで、今日初めて雪成の表情を見た。
それは錦山が今まで見たことのないものだった。
赤い瞳が鋭い眼光を以て錦山を射抜き、普段浮かべている穏やかな笑顔とは正反対の冷たい無の表情で、心臓をナイフで狙われているかのような緊張が迸る。
これからされる質問に、一切の嘘も許されない。咄嗟にそう感じた。

「兄の方が早く事務所に着き、錦山が追い付いた時には堂島組長は兄に殺されていた。状況はそれで合ってますね」

頷く。


「――組長を殺し、貴方が部屋に入った後で兄が発した第一声は、なんですか?」


10月1日、あの夜がフラッシュバックする。




『錦……堂島組長……』


仰向けで倒れたクソ野郎。
部屋の端で脅える由美。
後からやってきた一馬。


『一馬……組長が、由美を無理矢理……だから、撃っちまったんだ』
『カッとなっちまって……何発も……何発も』


完全な勢いだった。
血が昇った頭で後先考えず組長を撃ち、それでも後悔は無いと堂々と出来ていたらどんなによかったか。
意気喪失しているだけだった俺。


『由美……由美!おい、しっかりしろ……』

『殺っちまった……東城会の、大幹部を……』



一馬は……

一馬の奴は、あいつは、俺になんて言ったんだっけか。


『錦、――――――――』


ああ、くそ、どんな時もお前はかっけぇなあ……

お前がそんなんだから、俺は…………




「錦、由美を連れて逃げろ=\―あいつは、ハッキリとそう言った」


極道に入り風間組の若衆として働くようになってから十年以上経つ。
素人の覇気に負けてたまるかと。
これだけは、せめてこれだけは、偽りのない真実を伝えようと錦山は半ば睨み返すような気概で答えた。
錦山の返答に雪成は瞼を下ろし、数秒の間沈黙する。そして、小さく、だが耳に通る音で「よく分かりました」、穏やかな声と共に笑みを浮かべた。

「錦」

「あ、ああ?」愛称で呼んでくるのは珍しい、施設以来ではないだろうか。思わずどもった。

「今回の一件、兄さんには何の後悔も憂いもないでしょう。あったとしても由美の今後ぐらいでしょうかね。ですので、貴方もそんな辛気臭い顔をしてないで刑務所で過ごす兄の分も成り上がってくださいよ」

今度は別の意味で度胆を抜かれた。何故、あの桐生一馬が殺人という罪を犯した――ということになっている――のにも関わらず、雪成は晴れ晴れとした笑顔になっているのだ?
そんな錦山の疑問がストレートに顔に出ていたのか、雪成は錦山を見てフッと鼻で嗤い、人指し指を立てた。

「ひとーつ。そもそもヤクザという社会のゴキブリが警察に世話になるのは当たり前だ。まさか身内を殺すとは思わなかったが由美が狙われたなら大納得する」

中指を立てた。

「ふたーつ。刑務所にぶちこまれても面会だの手紙だので話せる。殺人罪だと刑期も長いが……まあ模範囚だろうし普通に出所できるな」

薬指を立てた。

「みーっつ。兄さんが殺して阻止してなきゃ俺がそのカスをどうこうしてた」

目を見開いた。
にやりと口角をあげ、雪成は小指を立てた。

「ラスト。第一、守りたいものを守れた彼奴が後悔してるわけがない……な?こんだけ色々揃ってて、俺がにいさーんどうしてだよーって泣くわけないだろうが」
「雪成……」

雪成は錦山の肩を叩き、話が長引いたことで温くなった湯呑をぐいっと一気に飲み干す。

「いいんだよ、別に。何やらかそうが何処にいようがさ。元気にやってればそれで充分だ」

優しく目を細める雪成。その姿を見て、錦山は衝撃を受けた。
(畜生……)
人格、器量、頭脳、運動、人望。
どれをとっても敵わない。二人が揃った日にはもう勝てるイメージすら湧かなかった。
(やっぱ、昔っからでっけぇよ……お前らは)
劣等感はある。悔しさがある。好きな女の視線が上の幼馴染にしか向いていない事に、心のどこかで嫉妬していた。入院の必要もなく施設で隣同士に立つ仲のいい兄弟の姿に、心のどこかで僻んでいた。
だが。
(……それでも、嫌いになんてなれねえよな)
由美も一馬も雪成も、大事な幼馴染で一緒に育った家族なのだ。

「お蔭でスッキリしたぜ、雪成」

バチンと頬を叩き、改めて錦山は雪成と顔を合わせ、口角を上げて不敵な笑みになった。
守りたいものは守れた。大きすぎるケチはついたが、だからといって見過ごしていたもしもの未来なんて考えられないのだから。

「決めた!俺はムショに入る一馬の分も動きまくって、そんで一馬が立ち上げる筈だった組を俺が立ち上げる!そしてムショから出た一馬を俺がよう、待ってたぜ、なんて言って出迎えてやるんだ!」

風間の親父から今回騒動を起こした桐生一馬は絶縁ではなく破門にする方向に持っていくと話は聞いている。自分の泥を被って刑務所に行ってしまう親友を、精々派手に出迎えてやろうではないか。そうだと今決定した。

「ふふ、折角なら社会復帰しても良いと思いますがね。まぁ所詮脳が筋肉で出来ている中卒のヤクザ、服役していたともなれば今更社会の歯車と化すのは到底不可能でしょう。どうか不束な兄をよろしくお願いします、錦」
「お前…………実は一馬のこと嫌いなのか?」
「大好きですが?」
「そ、そうか」


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